象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

民主主義のパラドクス(後半)〜プラトンが描いた理想国家の哀しい結末

2021年02月13日 09時14分33秒 | 数学のお話

 ”民主主義のパラドクス”(前半)では、プラトンの理想と民主主義の矛盾を述べましたが、反民主主義の中にもその答えは見い出せない。それは、数学的なパラドクスが現実社会においても避けられないという事の証明でもあろうか。
 因みに、前半の記事は1ヶ月ほど前に書いたんですが、後半と繋げる為に、新しい日付で再アップしてます。

 そこで今日は、プラトンが描いた国家の正義とその存続と正義のあり方について書きたいと思います。
 法の支配か?対話の哲学か?それとも両方とも当てにならないのか?


「国家」とは?正義とは?

 プラトンが自身の著「国家」において自問自答した最初の問題は、”正義(正しさ)とは何か?”でした。
 彼は、「国家」の主役であるソクラテスとその仲間たちの長い議論でこの問題を探求します。
 ”正義とは単に真実を言ったり、借りた金を返したりする態度にある”(ケパロス)
 ”友人から武器を借りていて、気が狂った友人に武器を返すという行為は、彼に自殺する手段を与える事になるではないか”(ソクラテス)
 ”正義とは友人に良い事をし、敵に害を与える事である”(ポレマルコス)
 ”敵を害する事は彼ら自身を正しくない者にする。故にどちらも答えではない”(ソクラテス)
 そこで哲学的な助言をして金を儲けるトラシュマルコス(ソフィスト)は興奮し、単純な事を口走る。”正しい事とは強いものの利益になる事だ”
 その後、喧々諤々な議論となり、最後にソクラテスはトドメを刺す。
 ”愚かな支配者は自分に損害をもたらす法律を制定するかもしれない。しかし市民達がその様な法に従う事には、たとえそれが支配者自身を排除する事になったとしても、支配者自身の正義の定義により、それは正しいと言えるのか?とてもそうは言えまい”
 トラシュマルコスは赤面してその場を去る。

 果たして、不正は割にあうのか?
 実は、この議論は20世紀のゲーム理論を先取りする。
 つまり、盗賊ですら互いに不正に行動すれば、大した成功は得られない。故に、正義は完全なる不正よりもいくらか勝る。
 最後にソクラテスは、聞き手達が待つ答えを提供する。
 ”正義とは正しい秩序を保つ事を意味する。各人が最善を尽くすだけでなく、他人に余計な干渉をしない。もし全ての市民が上からの命令でなく、楽しむ為に割当てられてない事をするならば、正義が支配し、市民たちは互いを害せず、国家は栄えるだろう。
 つまり、一方では正義と調和が統一をもたらし、他方では不正と扇動が革命をもたらすからだ”

 嗚呼、この言葉をそっくりそのまま、トランプに伝えたいですな。


国家に正義が存続する為に

 次に、どのように国家を組織化すれば正義が支配できるのか?である。
 プラトンが頭に描いた理想国家には、3種類の市民を心に描く。
 第1の階級では、国家の守護者である政治家を必要とした。プラトンが理想とした政治家は、幼児期に始まる長く厳しい教育を受けるべきと考えた。初等教育と義務兵役の後、数学の教育が10年続き、更に5年の話術の訓練を受ける。35歳になった彼らは、国家の問題に対処しながら、更に15年の見習い期間を過ごす。50になると法律を作り、紛争を解決し、判決を下す。
 つまり、”哲人王”として国家に尽くす絶対の忠誠心が必要となる。その上、いかなる個人的財産も保有してはならない。

 第2の階級では、職業的軍人と兵士が必要と考えた。この階級は警察隊と軍隊を代表し、彼らを定義する属性は勇気である。彼らは自身の生命を共同体に捧げ、哲人王と同じく私的財産を所有してはならない。つまり、彼らが必要なものは全て国家により提供されるからだ。
 ここまで見ると、プラトンはマルクスの「資本論」の2千年以上も前に、共産主義初期の形を提唱してるではないか?
 しかし、プラトンがマルクスと違う所は、誰もが財産の所有を破棄する訳でもない事を認識してたし、私有財産の全般的な廃止を勧めてもいなかった。これは彼が描いた3番目の市民のタイプでもあった。

 第3の市民階級は3つのうちで最も大きく、国家の経営(経済)と防衛を司る2つのグループにも属さない全ての人々からなる。
 彼らの役目は、国家の経済を維持する事である。彼らは生産し、取引し、物を運び、農民や職人らは医師や商人と同じく、この階級に属する。
 プラトンは控えめだが、彼らに財産の所有を認めた。彼は家族を維持するに必要な有形財の最低量を決めた。その4倍を超える財産は全て国家により没収された。
 彼は、カースト制度を提唱しなかった。誰が3つの階級に属するかは自由であった。知恵・勇気・節制の3つの得のうち、子供の頃に最も発達したものが、彼の将来を決定すべきと考えた。それに、男女間の差別もなく、国家のいかなる地位も性には関係なかった。
 

哲学王が世を支配する

 最後に、最も相応しい統治制度として、プラトンが好ましいとした国政の形態は、”最優秀支配者制”または”貴族政治”(アリストクラシー)である。
 勿論、中世ヨーロッパの愚かな貴族の(世襲制による)封建制では決してない。
 プラトンの貴族政治では、世代ごとに新たな自己を再構成する、私心のない哲学王による政治を意味した。 
 しかしプラトンは、この理想政治にも危険(汚職)が含む事を十分に理解していた。
 全ての軍人が誘惑に強い訳でもなく、戦いの中に名誉を見出した戦争の英雄たちは、軍事クーデターで哲人王に襲いかかる第一線に放り出される。続いて起き得る名誉支配制や名誉政治は、外部に向かう全面的な攻撃性と内部へ向かう不正を特徴とする。
 彼らが一旦政権を握れば、かつての戦争の英雄たちは自らの地位を利用し、財産を蓄積する。結果、金権主義が蔓延り、金持ちが支配者として振る舞う。
 しかし、本質上、貧乏人は金持ちよりも圧倒的に多い。数の多さは力である。彼ら単純な集団は金権政治家を打倒し、民主制(デモクラシー)を行うであろうか。

 事はそう単純じゃない。教育を受けてなく、行政的仕事に適さない人々は、恐ろしい程の混乱を引き起こす。経験も知識も何も持ち合わせていない事に対し、彼らが好き勝手に投票すれば、待ってるのは混沌である。
 民主主義は元々存続可能な統治の形態ではなく、より悪い状態がやってくる。やがて、最も悪く最も大胆な者が権力を引き継ぐだろう。唯でさえ悪かった民主主義はもっと悪い”僭主独裁制”に変質する。
 この僭主制が行き詰まると、それから逃れる唯一の望みは、僭主の側近に哲学者がいるか、僭主自身が哲学王になるかだが、このサイクルはあり得る筈もない。

 では、名誉制や金権制や民主制や僭主制ではなく、プラトンが理想とした貴族制に到達するには何が必要なのだろうか?
 プラトンは市民を酷く嫌ったが、幸いにも彼の理想の体制では、市民は全く必要なかった。つまり、支配者は彼らに能力によって選ばれるのであり、人気やパフォーマンスは必要ない。
 哲学王になるに必要な、鋭い知性と適切な判断力、創意工夫や大胆さと不動の信念といったものが同時に育つ事は殆どない。これら必要な資質を全て揃える個人は極めて稀である。
 つまり、国家の中に理想の哲学王を2人以上見つけるのは、殆ど不可能な筈。故に、投票や選挙は必要ない。

 以上が、プラトンの「国家」の中で長々と述べられてる理想国家である。
 なるほど、逆を言えば、投票や選挙が必要となる時点で、民主主義にはパラドクスという矛盾が存在するのだろう。
 言い換えれば、超優秀な哲学者が1人いれば、独裁制でも構わないのだ。


プラトンという人物

 ソクラテス死後の30代からは、対話を執筆し、哲学と政治との統合を模索してたプラトンは40歳の頃、各地を旅行した。
 特に旅先のシラクサ(シチリア島)では、ディオニュシオス1世が圧政を行っていた。この僭主の義弟で哲学者のディオンは、この暴君の圧政を和らげる為、友人のプラトンに助言を求めた。
 2人は、ディオニュシオスに哲学に基づく政治を教えようとしたが、無駄であった。その上腹を立てた僭主は、プラトンを奴隷の身分に追いやる。 
 プラトンは信奉者の一人に救出され、何とかアテネに舞い戻る。紀元前387年に、世界最初の大学とされるアカデメディアを創立。アリストテレスはその生徒の一人であった。
 1000年間運営されたが、西暦529年にローマ皇帝ユスティニアヌスにより、キリスト教に脅威を及ぼすと見なされ、閉鎖された。
 前367年にディオニュシオスは息子のディオニュシオス2世により毒殺された。何の教育もなされてない放蕩息子に、再びディオンとプラトンが教師役を買って出たが、前回同様に無駄に終わる。

 そこで、有能な叔父を妬んだディオニュシオス2世はディオンを追放した。一方プラトンは、またも陰謀に巻き込まれ、シラクサを再び去り、アテネに戻り、アカデミアに復帰する。
 6年後、66歳になるプラトンは、ディオンの強い要望で再びシラクサに招かれるが、この無能な君主は何も学んでなかったし、プラトンからは何も学ばなかった。その上、プラトンを軟禁した。
 結局、シラクサでは3度とも挫折したプラトンだが、3度アテネに舞い戻る。

 ディオンは、哲学は使い物にならないと悟った。
 軍隊を率いた彼はすぐさま支配権を握り、イタリア遠征から帰国したディオニュシオス2世をシラクサの海岸で返り討ちにする。
 哀しいかな今や、権力の味をしめ、僭主になったディオンは3年後、哲学者で数学者でもあるカリッポスの指示により殺される。そのカリッポスも翌年自殺した。
 シラクサにおける2人の哲人政治の夢は、こうして最悪の悲劇を迎え、途絶えてしまう。

 哲学は今日のように、稚弱な能弁を垂れる気楽な稼業ではなかったのだ。マイケル・サンデルさ〜ん!


最後に〜プラトンのパラドクス

 以上、「数と正義のパラドクス」の第一章である”反民主主義者”から長々と纏めました。
 2千年以上も前に、プラトンが今の民主主義のこの悲惨な現状をそっくりそのまま予言し、同じ様な体験をしてたのには、驚きというより、プラトンが主張した理想国家が空想や幻想ではなく、現実の体験により基づいたものである事に、凄みすら感じさせますね。
 今もし、多くの先進国の民主主義の指導者たちが、プラトンの理想とする民主制を実現すれば、高い確率で上手く行く様な気もするが。そうでもないか。

 但し、最も相応しい統治制度として、プラトンが好ましいとした国政の形態が、”最優秀支配者制”という独裁政治に近いものだったとは、かなりの皮肉ではある。

 今の民主主義に足りないのは、優れた指導者と政治体制の調和とバランスです。
 国民がアホだと政治家もアホになると言われるが、逆も真なりで、議員がエロだと大衆もスケベになる。
 私の理想を言えば、まずは庶民の思考や認知レベルを引き上げる事とも思うが。悲しいかな今の日本の受験システムは暗記そのものだ。海馬をいくら鍛えた所で・・・、前頭前野などの認知機能の脳領野を鍛える制度にしないと。

 結局、無能な僭主たちばかりが跋扈し、エロかアホかわからない政治家や議員たちが夜の街に繁殖する現代の民主主義。

 大体において、聞こえのイイものほど当てにならない。民主主義や国民選挙もそうだし、アメリカが戦争を仕掛ける度に主張するわざらしい正義も。
 そんな民主主義に矛盾とかパラドクスがなくとも、崩壊するのは当然だろうか?



2 コメント

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Unknown (kaminaribiko2、)
2021-02-13 14:21:12
だからこそ転象さんのような賢明な人が政治家になる必要があるのです。

私も含めて衆愚が投票する民主主義では国が傾くばかりです。それにしても投票したい政治家のいない昨今です。
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ビコさんへ (象が転んだ)
2021-02-13 17:25:16
内閣も議員も激安の中華AIで十分だと思います。ただ彼らAI閣僚を支える有能な知恵袋が必要ですね。

国力も経済も所詮は数の論理なので、数理科学者をバックにつければ、日本も優秀な数理学者はそこそこいますので、満更捨てたもんじゃない。
愚民の私が言えるのはそこまでです(悲)。
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