常なる忠誠

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杉谷6号墳発掘調査

2010-09-04 23:48:11 | 古墳(富山市)
 富山には、数多くの古墳が存在し、保護調査されていて、観光地の一つになっている。もっとも、見学に行く人間なんて滅多にいないけれども。
 上記の一つ杉谷古墳群が、現在、富山大学付属病院の敷地(ここ自体が縄文時代には集落だった)内にあり、前方後方墳の一号塚を初め、ダニエルこと四隅突出型墳丘墓の4号墓(他は古墳なのに、やはり、彼だけ、墓)も含め、1~11の古墳が存在する。
 今年から3年の予定で、富山大学人文学部考古学研究室が、その内の6号墳の発掘調査を開始した。  その一般説明会を実施するというので、本当は、石川県の古墳を巡ろうと思っていた予定を急遽変更し、突撃を決行。
 6号墳は昭和49年に一度調査されているが、そのときには、長さ45メートル、幅30メートル、高さ2メートルの規模が確認されたが、遺物は発見されなかった(現在は、畑のかさ上げなどにより、長さ51メートル、幅30メートル)。
 しかし、3年に渡って行われる予定である今回の調査では、石敷きが発見され、縄文時代から弥生時代の土器も発見された(ついでにビニール袋とかも)。また、実際の規模も長さ49メートルで、もし今後の調査で50メートルに達すれば大台に乗るそうである。時代は発見された遺物が小さいために不明だが、他の一号古墳の年代などからすれば、邪馬台国時代だとすれば、北陸最大級。4世紀頃だとしても、富山県内どころか、北陸で最大の方墳となる。
 現在、墳頂部において、埋葬施設らしき場所が確認され、もしかすると新たな発見も期待されているそうである。
 なお、各掘削場所が、トレンチとされており、頭の中では、自動的に、「塹壕」と翻訳されていたのだが、おそらく、私と同じ趣味を持つ人間が共通に抱えている病であると思う。思いたい。そうですよね。銃持って入りたい症状が出るのも 普通ですよね。

6号墳遠景

6号墳墳頂部にある墳頂トレンチ。幾つかの層が見つかっており、木棺が発見されるかもしれないと期待されている。

今回の調査で、確認された層。この下に木棺が埋まっているかもしれない。

1号トレンチ。18メートルの長さで、構築してある。この付近は、前回の調査で、既に塹壕が構築されたことがあり、上層部は、それにより、攪乱が見られている。

北側1号塹壕。一番下が旧表土、その上が前回調査の攪乱。

東側第2塹壕(11.5メートル)。これ以降、再三、拡声器によるアラームが流されることになる。ここではビニール袋や陶磁器が出土されている。旧表土などは見つかっていないが、更に掘り進めて行くそうである。

南側第3塹壕。今回の調査で、石敷が発見された

今回の調査で、発見された石敷らしきもの。。ただ、自然の岩盤である可能性はあり、削るとすぐに崩れるものと河原などで見られる丸く堅い石もあるなど、はっきりしない。

西側第4塹壕。長さ11メートル。ここで地上から136センチの地点で、縄文期の土器が発見されている。

墳丘塹壕で発見された弥生式土器の破片。

  その他の塹壕では、縄文式土器の破片が発見。

かつては、このグランドに縄文時代の集落が存在していたそうである。現在は、この近辺は、富山大学の敷地として開発されており、当時の面影は……いくらでも伺えますね。古墳残っているので。
さて、一応、説明会の各トレンチでの説明をビデオで撮影したのだけれど、ようつべにアップもできないよなあ。

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