4月以降、私的に心に触れる訃報が続いている。
先日のフィッシャー・ディースカウに続いて、昨日は畑中良輔氏も・・・。
少し前になるが、4月24日に桜井武雄先生が亡くなられた。
先生には高校生の時、2年間に渡って第9の合唱指導を何度か受けた。
外山雄三氏が大フィルとの「第9」をされる時の「フロイデ合唱団」は桜井先生が指揮をされていたかと思う。
「大阪第一合唱団」という(たぶん)ご自身の合唱団を引き連れて伊勢に来られ、演奏会もされた。
我が合唱部は何曲か共演もさせていただいた。
ロシア(ソビエト)ものが中心のプログラムだった。
先生は、ショスタコーヴィチ作曲「森の歌」の日本初演指揮者である。
ウィキペディアの「森の歌」に次の記載がある。
・・・日本初演は1953年6月14日、京都にて指揮桜井武雄、独唱佐佐木行綱、竹内光夫、紫明混声合唱団、こんせーる・ぬーぼーの演奏により行われた。その際、歌詞は井上頼豊、桜井武雄、合唱団白樺の手により邦訳され、その後、合唱による社会運動であるうたごえ運動により広く普及した。また第4曲「ピオネールは木を植える」は、音楽教育の中で利用された。・・・引用ここまで。
先生の指揮は、きびきびと明快で歌い易いことこの上なかった。
合唱指揮者にはお年を召されても棒(振り)の上手い方が本当に多いが先生もそうだった。
上半身をガバっと伏せてスピトピアノを表現したり、全身をビリビリと小刻みに振動させて速いテンポのビート感を体現したりされると、こっちも普段以上にリズム感が冴えたるような気がした。
その後、私が音楽系の大学に進むということで、顧問の先生のお口添えで一度だけピアノの個人レッスンを受けに大阪のご自宅へ伺ったこともあった。
大学に入ってからは、「指揮法」の授業を受けた。
回数は少なかったが、例えば「ピーター・グライムズ」の話を実技の合間にされるなど、先生の講座は楽しみだった。
私は、ピアノの先生相手にハンガリー舞曲などを指揮した。
おそらく、先生の業績のほとんどを私は知らない。
合唱付の大作や歌劇の「合唱指揮者」としての活動が主であったようだ。
自分の団をあちこちで華々しく振り回る、後の合唱指揮者たちとは、ちょっと違う人だったと思う。
享年94歳であられたとのこと。
先生のご冥福をお祈りいたします。
先日のフィッシャー・ディースカウに続いて、昨日は畑中良輔氏も・・・。
少し前になるが、4月24日に桜井武雄先生が亡くなられた。
先生には高校生の時、2年間に渡って第9の合唱指導を何度か受けた。
外山雄三氏が大フィルとの「第9」をされる時の「フロイデ合唱団」は桜井先生が指揮をされていたかと思う。
「大阪第一合唱団」という(たぶん)ご自身の合唱団を引き連れて伊勢に来られ、演奏会もされた。
我が合唱部は何曲か共演もさせていただいた。
ロシア(ソビエト)ものが中心のプログラムだった。
先生は、ショスタコーヴィチ作曲「森の歌」の日本初演指揮者である。
ウィキペディアの「森の歌」に次の記載がある。
・・・日本初演は1953年6月14日、京都にて指揮桜井武雄、独唱佐佐木行綱、竹内光夫、紫明混声合唱団、こんせーる・ぬーぼーの演奏により行われた。その際、歌詞は井上頼豊、桜井武雄、合唱団白樺の手により邦訳され、その後、合唱による社会運動であるうたごえ運動により広く普及した。また第4曲「ピオネールは木を植える」は、音楽教育の中で利用された。・・・引用ここまで。
先生の指揮は、きびきびと明快で歌い易いことこの上なかった。
合唱指揮者にはお年を召されても棒(振り)の上手い方が本当に多いが先生もそうだった。
上半身をガバっと伏せてスピトピアノを表現したり、全身をビリビリと小刻みに振動させて速いテンポのビート感を体現したりされると、こっちも普段以上にリズム感が冴えたるような気がした。
その後、私が音楽系の大学に進むということで、顧問の先生のお口添えで一度だけピアノの個人レッスンを受けに大阪のご自宅へ伺ったこともあった。
大学に入ってからは、「指揮法」の授業を受けた。
回数は少なかったが、例えば「ピーター・グライムズ」の話を実技の合間にされるなど、先生の講座は楽しみだった。
私は、ピアノの先生相手にハンガリー舞曲などを指揮した。
おそらく、先生の業績のほとんどを私は知らない。
合唱付の大作や歌劇の「合唱指揮者」としての活動が主であったようだ。
自分の団をあちこちで華々しく振り回る、後の合唱指揮者たちとは、ちょっと違う人だったと思う。
享年94歳であられたとのこと。
先生のご冥福をお祈りいたします。
これを書かれ人は誰かな?と、想像しながら懐かしく読ませていただきました。
伊勢では初演から40年たった今年も12月24日に第九が演奏されますよ。
あの1972年から3年続いた「伊勢の第9」の企画をされたのですか。
最初の第9は中学のときでした。チケットが手に入らず、あの大合唱が漏れ聴こえてこないかなと、観文の搬入口の鉄扉に耳をくっ付けにいったものです。後の2回は合唱のメンバーとしてステージに乗りました。
桜井先生は本番前に何度か練習をつけに来て下さいましたね。あれは本当に刺激的な時間でした。
その後、縁あって先生が教授を務める大学に進学し「指揮法」の授業を受けたりしました。全て懐かしい思い出です。
今年の伊勢の第9のことはもちろん知っています。伊勢管弦楽団のファンですのでぜひ聴きたいのですが、イヴの夜に家族をほったらかして外出するのは困難でもあり、9日の松阪の第9に行こうかと思案中です。
コメントありがとうございました。またよろしかったらお越し下さい。
松阪の合唱のお世話をされているかたは私の高校のクラブ後輩です。
私も昨年に続いてステージに立たせていただく予定です。桜井先生のご指導をひとつひとつかみしめながら歌わせていただきたいと、あなたのツイートに出会っておもいも新たにしました。
素晴らしい演奏になることをお祈りいたしております。