10月14日
レナード・バーンスタインを偲ぶ
ささやかなディスク・コンサート
2011年10月14日 午後9時30分頃~
於 三丁目「奥の院」
今日、チョイスした音盤↓
第1部「ミュージック・フォー・ライフ」より
1 バーンスタイン/ミュージカル《ウエストサイド・ストーリー》より「サムホエア」
レオンタイン・プライス(ソプラノ)
2 プッチーニ/歌劇《ボエーム》より「冷たい手を」
ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)
3 マーラー/交響曲第5番より第4楽章「アダジェット」
4 コープランド編曲/アメリカの古い歌より「遠い昔」
マリリン・ホーン(メゾ・ソプラノ)
5 モーツァルト/2台のピアノのためのソナタK.448より「アンダンテ」
ジェームズ・レヴァイン、レナード・バーンスタイン(ピアノ)
以上、管弦楽:ウィス・シンフォニー・オーケストラ
指揮:レナード・バーンスタイン
1987年11月8日、カーネギー・ホールにおけるライヴ
第2部NYPとの懐かしい演奏より
1 ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番
2 ラヴェル/ボレロ
以上、管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック
指揮:レナード・バーンスタイン
10月14日は、レニーの命日。だから、仕事も休んで朝から一日彼の音盤三昧といきたいところだが、そうもいかず、帰宅後の少ない時間であったが、何曲か聴いていた。
第1部は、レニーが提唱して実現したエイズ撲滅運動協賛のチャリティー・コンサートのライヴ盤より。
歌手達は、みな、ちょっと最盛期を過ぎた微妙な声ながらも、まことに味のある歌唱を聴かせている。
レオンタイン・プライスは、ブレスが苦しそうな感じもするけども、この名曲を本当に心を込めきって歌ってくれる。聴いていてじぃ~んとしてしまう。
パヴァロッティも、70年代の、あの輝きはないが、それでも、レニーの大好きだった、このオペラの名曲を、やはり全身全霊で歌っている。クライマックスで長く伸ばすところなど見事だ。それ以上にバーンスタインの振る伴奏が、カラヤン盤みたいに前面に出ることはないが、まるでお祖父さんが可愛い孫の頭を撫でているみたいな愛情に満ちた力の抜き加減でそれを支える。涙腺やられる二人の仕事ぶり。
ホーンは、前の2人に比べると、安定感ではまだまだ大丈夫。曲も簡素だしね。これも心に沁みる曲であり演奏であった。
マーラーは・・・もう、これはこういう演奏です。スマートではないけども、古い写真をじっくりと見ながら昔を思い出しているみたいな演奏(なんて陳腐な喩えなんだ!)。
レヴァインとの連弾を聴きながら、次の選曲を考える。あと30分しかない!
第2部の1曲目に選んだレオノーレ3番は、この曲の初聴き演奏だった。1972年の10月、誕生日プレゼントで買ってもらった3枚のLPのうちの1枚が、バーンスタインNYPによる「ベートーヴェン序曲集」だった。ほとんど、ジャケット萌えで買ったみたいなもの。しかし、レオノーレ3番の魅力は強烈だった。
当時毎日のように聴いて、まるでと自分の「中3の秋」のテーマみたいだった。レコードでは残響付加が施されていた、ということはCDを聴いてから分かった事。カッコいい曲だなぁ、と今でも思う。
「ボレロ」は、レコードでは「展覧会の絵」と組み合わさっていたもの。どういうわけか、今は、このNYPとの「ボレロ」が、こんなオムニバス盤でしか聴けない。
活きのいいステキな演奏である。ノリノリである。最後の強弱のつけ方はジャズっぽくて、なんか間際に決めたみたいなライヴ感がある。最後に「ガチャガチャ」とノイズが入っているのも楽しい。
以下は、切り抜きやパンフの一部
74年来日時、テレビマン・ユニオンがハーンスタインと小澤の特番を作ったが、オンエアはされなかった。
同じく74年、来日中、小澤の誕生日に自作の譜面を掛け軸にしてプレゼント。
79年来日公演のパンフ
バーンスタイン初の廉価盤
チラシいろいろ
これは、確か公式写真では最後のものではなかったか?
彼が亡くなって、もう21年にもなるのか・・・・・。
もう21年も経つんですね、レニーの死から。
その報に接したときは、カラヤン以上にショックでした。
そしてレコ芸の折り込みのポスターでしょうか。いずれも懐かしい画像に嘆息しております。
特集やレコード広告の多さでもカラヤンと双璧でしたね。
それと、お宝の音源が羨ましいです。
多彩なレニーならではの選択にございます。
いい時代でした!
最後の肖像写真は、AERAの坂田栄一郎が札幌での休憩タイムに写したものですね。
今まで、あまり聴いてなかったのですが、最近のエッシェンバッハの指揮は要注目ですね。
AERA写真、私は表紙になった7月31日号は持っていませんが、死去のニュースが載った10月30日号に、その件がありますね。本人が気に入って「今後、私の写真はこれを使うように」と伝えたとの事です。
それにしても、同記事には90年来日中の病気と闘いながら公演を続けた様子もあり胸痛むものがありました。
はい。レコ芸の折込付録です。ご存知ですよね。毎月、楽しみでした。
小澤さんとの2ショットは、たしか週間FMだったと思います。
当時(70年代当初)は、友達が「アイドルだ。フォークだ。ロックだ。」と熱を上げているのと横目に、クラシック一筋の日々でしたね。レニーもカラヤンもワルターもベームも、私のアイドルでした。部屋の壁はそういった「オジサン」たちの切り抜き写真、ポスターで埋め尽くされておりました。
レニーの作り出す音楽は好きですが、根底には、そういうミーハー魂がいまだにくすぶっている部分もあるのです。