LanguageStyle

■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

成長へのリズム感

2008年11月28日 | 放言

 「単語が楽しい」「英単語が楽しい」

 生たちがこのように感じるのはどんなときだろうか。Octoberにoctopusをつなげ、octagonにつなげる。octagonからpentagonに行き、hexagonに行く。aidからBand-Aidに行き、pull upからhand brakeに行く。生徒たちがどのような語り口に興味を示すのかはわからない。ただ、ここ最近考えていることは、私自身が楽しいと思う単語の示し方をすればいいのではないかということ。私が楽しんでみせる。私が感じる単語の面白さのひとつを2つ挙げてみたい。ひとつは私たちの日常の世界、つまり日本語の世界に英単語が踏み込んできたときである。

 サッカーの試合、サドンデスまでもつれるというのはそれはそれで面白みがあろうが、そのサドンデスという語自体の意味が英語におけるsudden deathであり、「突然死」であると知ったときの感動はそれをもしのぐかもしれないほどの何かを私に与えてくれる。「リス」と「トラ」が合体するとどのような動物になるのかとかんぐれば、その正体は「リストラ」であり、「トラ」と「ウマ」で得体の知れない四本足の動物になるかと思いきや「トラウマ」というもはや私たちの日常語に成りすましている語であることに気づく。こういった語との私たちの出会いは「リストラ」が社会問題となったり、「トラウマ」という語が活発に自分の周囲で聞かれるようになったりする社会的状況が前提である。状況を指し示す言葉を無条件で与えられ、それを使わざるを得ない世界に生きる私たちはそれらが実のところ何を意味しているのかなどとは改めて考えたりはしない。私たちの日常は慌しいのだ。しかし、英語の学習は慌しい日常の中で足を止める時間を私たちに与えてくれる。言葉の意味について普段よりは高い意識が向く状況を私たちに与えてくれる。

 英単語が楽しい、改め、英語が楽しい。そう感じる2つめの要因は量をこなしたときである。「こなした」というよりは「こなせた」というほうがいい。ある一定の量をスラスラと、ある程度のスピードでこなす。私の場合は音読であったが、それは文ではなく語の単位でもいい。私の場合は単語帳ではなく教科書であったが、それは単語帳であってもいい。とにかく時間との勝負でスラスラとやる。これがひとつの快感だったのである。

 ひとつの決め手は「繰り返すことに喜びを感じられるか」ということである。「繰り返す」ことは一見単調に思えるが、実は繰り返すことは「喜び」に繋がるものだと思う。「繰り返す」ことは同じ作業で退屈に思えるが、実はそれは「自分ができる作業」であり、「充実感を味わえる学習」なのだと思う。繰り返すことに失敗はない。問題集をやったり、テストをやったりすればどうしても「失敗」が出てくる。その失敗を見直し、次は失敗しないようにするというのはひとつの学習方法であり、学習の中心であろうが、英語学習はそれだけではないだろう。失敗のない学習というものを常日頃から積み上げておく必要がある。繰り返しは繰り返すことが前提であるから、結果として失敗することはありえない。唯一の失敗があるとすれば、繰り返すことが前提のはずの繰り返し学習において繰り返すことができなかった場合である。なるほどこれは失敗である。

 何かしらのよい成果を期待するには、俗に言われるように、失敗を繰り返すことに本質があるのではない。成功を繰り返すことにその本質はあるのだ。失敗を成功につなげるという言い方があるが、最初から成功してもいいではないか。失敗しない学習を積み上げてゆくことこそが成果への第一歩である。欲張ってはいけない。かならず失敗するから。欲をおさえて、成功体験を繰り返す。成功するリズムがなければ成長にもリズムは出てこない。

 風呂のお湯がやっとでるようになった。さて、入浴タイム。