ここしばらくなんとなく考えてたことがある。
それは人の「寂しさ」について。
日々の感情の流れを客観的に見つめてみても、「寂しさ」って結構の割合を占めているなと思う。
「寂しさ」でどうしようもなくなるときもあるし、その時には気づいてないけど実はどこかで「寂しい」と思っているときもある。
現代はネット社会。
blogや掲示板のコメントを読んでいると、一見楽しい会話の節々に、投稿者の「寂しさが」垣間見える。
笑顔の下に孤独にあえいでいる本当の顔があるように感じる。
現代社会の病の源ってこの「寂しさ」かもしれないなと思った。
誰でも誰かに受け入れてもらいたいと思う。
そして受け入れられないと、あるいは受け入れてもらえないと感じると、寂しく思う。
これは自然なこと。
だけど、僕たちのココロの奥底にあるのは、相手を一人の人間として大切にすることでなく、単に自分の寂しさを埋めることじゃないか?
だから、いつまでたってもココロとココロが通う本当の付き合いができない。
友情にしても恋愛にしても表面的な仲良しこよしで終わる。
ココロは満たされないから、それを不満に思い次の出会いを求める。
そしてまた満たされない。
この悪循環の繰り返しで、寂しさは募る一方。
では、どのようにすれば寂しさを脱することができるだろうか?
おそらく勇気ある小さな一歩が必要だと思う。
僕たちは、自分と同じような境遇の人たちと集まる傾向がある。
あちこちに似た境遇の人間たちが集うコミュニティができていく。
なぜなら、似たような背景と視線に立ち、お互いの立場を理解しやすく、慰めあえるから。
これは悪いことではない。
こういうコミュニティは必要だと思う。
だけど、その輪の中で傷の舐めあいをしているだけでは何の発展はない。
同じような背景や見方しかできない世界からは何も新しいものは生まれない。
その殻を破って全く異なる境遇の人たちの中に入っていくとき、寂しさは消えていくように思う。
コミュニティに留まるのは自分の中に留まるのと同じだから。
僕たちは思い煩いから何とか解放されたいと思いつつ、そこに留まりたがる不思議な生き物。
現実を見つめることを怖がって、全く関係ないことや楽しいことに逃避していまいがち。
だけど、しっかりと現実を見つめないと、もがき苦しんでいる煩いから永遠に抜けることはできない。
taddy
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>> hacoさん&三女
ぬぉーっっっっっ!
なぜかメールボックスに入っているメールが全部消えてしまってる!!
すいません・・・。お二人のメルアド、また教えてくださいませm( _ )m
寂しい時ってのは大概心が満たされてない時だな。
そんな時は、自分と向き合って「何が不足してるのか」を確認する。
昔は、誰かと遊ぶ事で満足していたけど、今は自分が寂しいからだけで人と会う事ってなくなったなぁ。
朝焼けがとっても綺麗で感動してる三女より☆
>> 三女
>そんな時は、自分と向き合って「何が不足してるの
>か」を確認する。
> 昔は、誰かと遊ぶ事で満足していたけど、今は自分
>が寂しいからだけで人と会う事ってなくなった
>なぁ。
三女は大人だな。すばらしいことだよ。
自分の寂しさを埋めるために人を利用しない。
これって、簡単なことのようで難しいことだと思う。
言い換えれば、三女は自分自身と仲良くできてるし、周囲の人間を「モノ」としてとらえるのではなくて、ちゃんと一人の「ヒト」としてとらえられているということだね。
とは言っても、毎日そんな今までの友達とかその他もろもろの人にメールしたり電話したりはできないけどね(苦笑)
にーやって早起きだよね。ボソ。