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taddy // graphic designer / artist / poet

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2005-07-13 | reflection





しょっぱなから重い話&長い話になっちゃうけど、今日はネットでこんな記事を見つけていろいろ考えさせらいちゃいました。つい先日マスコミをにぎあわせたあの事件の後日談です。

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母の愛気づかず…両親殺害の少年、通帳の名義見て涙

東京都板橋区の建設会社社員寮で先月20日、高校1年の少年(15)が両親を殺害し、部屋をガス爆発させた事件で、亡くなった母親(42)が少年のために内証で約20万円の預金をしていたことが12日、警視庁高島平署特捜本部の調べで分かった。少年は、両親から十分な愛情を受けていないという「思いこみ」から犯行に及んでいた。特捜本部では少年心理に詳しい専門官とともに、凶行に至るまでの心の変遷の解明を進めている。

◆家族で海水浴「1人遊んだ」◆

「小学1年か2年の時にどこかの海へ日帰り旅行に行った」。家族との楽しかった思い出を捜査員に尋ねられると、少年はうつむきながら記憶をたどった。「でも、僕は海で1人で遊んでいただけだった」

会社の社員寮で小学生のころから育った。共働きの両親は、土日も仕事で休みを取れず、一人息子をかまう時間は少なかった。小学生時代、友達が夏休みに東京ディズニーランドへ行ったと聞き、「うちも家族で行きたい」と思ったという。しかし、「寮を空けられないのは分かっていたから(両親に)言い出せなかった」と、当時の心境を捜査員に訴えた。寮の仕事を小学生時代から任されていた少年は、「両親との楽しい思い出はほとんどない」と漏らした。

事件前日、少年は父親に「お前は頭が悪い」などと言われ、頭を押さえつけられていたことから、当初、これが犯行の動機になったとの見方もあった。しかし、特捜本部では、殺害には直接的な動機はなく、少年が両親からの愛情を渇望し、それがかなわずに仕事ばかり任される「不満」が「あきらめ」に変わり、最後には、「殺意」になったとみている。

「高校に入ったころには、寮の仕事で部活もできない状況だった。友人を積極的に作ろうと思わなかったようだ」。少年の弁護人も、当時の心境をそう代弁する。

◆「お父さん・お母さん、天国へ行って」◆

「父親がやるべき仕事を自分に押しつけられていた。両親を殺して解放された」。調べに対し、少年は、寮の仕事の量が徐々に増えてきたことへの不満を強調。母親に対しても、「母親の仕事まで手伝わされた。最初から殺すつもりだった」と供述した。

ただ、少年は母親の愛情に気付いていなかった。事件後、特捜本部で自宅を捜索したところ、母親が少年のためにためていた少年名義の預金通帳が見つかった。逮捕されて以来、両親殺害を人ごとのように淡々と話していた少年は先月末、捜査員から通帳を見せられ、涙を流した。

「なぜお母さんを殺してしまったのか」。今、少年は毎日、こう祈っている。「お父さん、お母さん、天国へ行ってください」と。(石間俊充)

(読売新聞) - 7月13日14時43分更新

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人間にはいろんな「欲」がありますよね。「三大欲」以外にも「名声」、「金」、「モノ」etc...でも、これらって「+αの欲」。なくても生きていけますから。

じゃ、人間が生きていくために根源的なものは何かというと、「愛」につきるんじゃないかな。
・「誰かから自分は無条件に受け入れてもらえている」ということを実感できること。
・「誰かを愛することができる」こと。
この両方。

僕自身も周囲の「愛」を感じるのが難しいときがあります。「自分は誰にも愛されていない」と感じることほど苦しいことってないんじゃないかな。「誰からも必要とされていない」、つまり「存在価値がない」と感じることですもんね。記事にある少年の苦悩、わかる気がします。

でもね、こういうふうに感じてるときって、「ジコチュー」になっちゃってると思うんですよ。少年もそう。家庭状況的に責めることはできないけど、自分の不幸ばかりにフォーカスを当てていくうちに母親の小さな愛に気づくことができなくなってしまったんじゃないかなと。

以前「愛」ってなんだろう?って考えてたとき、僕なりに感じた定義があるんですね。愛とは「感情ではなくて意思」であって、しかも「無条件に自分を与えつくすこと」。つまり、「愛」ってコロコロ変わる「好きキラい」とは別次元のものだし(親は我が子が犯罪者でも愛することをやめないでしょう!)、「愛」は「自分中心」じゃなくてとことん「相手中心」だと思うんです。

そして「無条件に」ってとこがポイントで、言い換えれば「見返りを求めない」ってこと。「自分はこれだけ愛しているのに、なぜ相手は自分を愛してくれないんだろう?」って思うのはすでに「見返り」を求めちゃってますよね。そうなるととても苦しくなる。自分を自分で追いこんじゃってるようなもんです。僕もよくいろんな場面で自分を追いこんでます・・・(反省ザル)

でも、尊敬しているマザー・テレサが生前こう言ってました。

「痛むまでに愛してください。」

そう、「愛する」ってことは常に痛みが伴うんですよね。なぜなら相手を思い通りにコントロールはできないし、見返りを求めないで自分を与えつくすってことは自分への「チャレンジ」ですから。その「痛み」から逃げるなら、本当の意味で人を愛することっていつまでもできないのかもしれませんね。

エラそうなことつらつら書きつづってるけど、僕もこれ日々激突してる挑戦。
人一倍ワガママ野郎だし、強い人間でも聖人君主でもないから、しょっちゅうジコチューになってますよ、正直。そんな状況でも、せめて自分に与えてもらっている大切な人たちは無条件に愛せるよう、「痛み」から逃げないで自分自身にチャレンジして行きたいなと。

だってlife is beautifulですから!

taddy

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
重っ (TAK)
2005-07-14 01:04:46
しょっぱなからヘビーな話題に触れてきたね^^;



確かに最近の事件の動機が幼稚であまりにも未熟すぎる気がする
Unknown (taddy)
2005-07-14 05:57:20
やっぱヘヴィーだったかすぃらん?



そうだね、最近起こる事件の動機ってTakの言うように

幼稚で未熟なのが多いよね。



これってさ、子供たちの世代って言うよりも、そのよう

な環境を生んだ大人たちの責任なんだって思うんだよね。



ちょうど昨日、会社の同僚と話してたんだけど、同僚の

お子さんが通ってる小学校では1年生時からすでに「学

級崩壊」が始まってんだってさ。授業中なのに部屋の中

を歩き回ったり、しゃべったり、先生を殴ったり、かな

りの数の子が不登校になっちゃったりとか。



信じられる!?うちらが小学生の頃ってそんなことなか

ったじゃん。



今の若い世代ってPCやらTVゲームやらで自分の世界にこ

もってしまうしメール一つでコミュニケーションできち

ゃうから、いろんな世代の生身の人間と遊ばないんで、

社会性が乏しいし、対人関係の中で本来養われるものを

養っていんで相手のことを考えられなくなっちゃってる

みたい。これって家庭のしつけの責任でもあるし、暴力

的なゲームやマンガ、テレビ番組があちこちに溢れてる

せいもあるし、後先を考えない商業主義の弊害でもある

と思うんだよね。



しかも「ゆとり教育」なるもんで学力が異常な低下を見

せてるときたもんだ。



結構、これからの日本ってヤバくないっすか・・・?

せめて相手を大切にする姿勢を日々の生活の中で見せて

いきたいもんだよね。