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SMAPの追っかけ、脳性まひの私を変えてくれた

2016年09月14日 08時33分26秒 | 市場動向チェックメモ
http://digital.asahi.com/articles/ASJ975GG9J97PTFC00D.html?rm=450

SMAPの追っかけ、脳性まひの私を変えてくれた
田中陽子2016年9月12日21時59分

名前入りのうちわを持つ加藤久美子さん=堺市

 《私には生まれつき脳性まひという障害があります。SMAPの存在が、私を変えてくれました》。そんなメールが朝日新聞投稿欄「ひととき」に届きました。いろんなことを一人でできるようになったのは、ただSMAPの追っかけをしたかったから。そういう彼女を訪ねました。

 堺市の会社員、加藤久美子さん(35)。障害の程度を示す区分は最重度の6。常に車いすだ。トイレも着替えも、21歳までは母親らの介助なしではできなかった。「最初からそうだから、なんも考えてなかった」と振り返る。

 SMAPとの出会いは14歳。テレビのバラエティー番組で初めて見て、芸人に劣らないトークに「アイドルらしさをつくってない」とひかれた。翌々年、母と一緒に大阪ドームのライブに行き、遠い存在が「ほんまにいてたんや。会えるんや」に変わった。毎年のように大阪ドームに会いに行った。

 21歳のとき、名古屋でのライブチケットが当たった。申込時に誤って「どこでも可」「1人」を選んだらしい。1泊なら着替えなくてもなんとかなる。でもトイレは……。

 養護学校で練習したことはあったが、やりたくないと思っていた。手すりをつかむため、後ろを向いた右腕を前に持ってこようと力を入れると、意思に反して頭が後ろに倒れてしまう。壁や扉に頭をがーんとぶつけては、「どういうことやねん」と自分でツッコミを入れ、ライブ当日までの約3週間、試行錯誤を重ねた。30分以上かかるが一人でトイレを済ませられるようになった。

 名古屋に行くと、別の障害があった。ホテルの入り口がバリアフリーでなく、車いすで立ち往生。ヤンキー風の金髪の男性が近づいてきて縮み上がったが、「手伝いましょうか」と言って従業員を呼んでくれた。そうしてSMAPと会えた体験は格別で、「絶対、神様がチケットを当ててくれた」と今も思っている。

 「味をしめ」、東京へもSMAPを追いかけることにした。今度は着替えざるを得ない。1時間かけて着替えると汗をぐっしょりかき、「何のために着替えたんや」。鏡に映る妙な体勢の自分がおかしくて、笑いながら練習した。

 CDやグッズを買い集めるためのお金が足りなくなり、「仕事しなきゃあかん」と24歳で職業訓練校に。美容院を経営する会社に就職し、パソコンを使って社内報のレイアウトなどを在宅でこなす。ためたお金で3年前から通信制大学に入った。養護学校の教諭になりたいという小学生の頃からの夢が、現実の目標になった。

 ここ数年は一人で飛行機に乗って北海道へも追っかける。札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の5大都市すべての公演に行った年も。たくさんのファン友だちもできた。

 生活介護サービス事業所の職員で、約10年前から付き合いのある杉生(すぎせ)貴世美さんは「自分でしようと決めて努力する意志の強さに頭が下がる」と話す。

 ただ、本人は、介助に抵抗があったり、自立を志したりしたのではない、と言う。「SMAPのただの一ファン。しゃーないからやった。やってみたら一人でできるんやって。楽しかった」

 先月、年末の解散が発表された。

 メールには《私の夢は、いつかSMAPに直接お礼を言うこと》と書いた。きっと5人で帰ってきてくれると信じる。共に歩こう、50年一緒に。そんな気持ちで、いつでも、どこへでも追いかけられる体を保つよう、リハビリに励む。(田中陽子)

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