みみずくの日記

旅行記録などに関する感想を書く。

三角線で三角西港へ

2011-08-15 13:25:16 | Weblog

               熊本駅4番ホームの三角行き

 以前に、一度三角線に乗ったことはあるが、終点の三角駅で降り、駅前をぶらぶら歩いて、次の列車で戻ってきた。カメラを持って行くのを忘れていたので、西港までは行かなかった。今回は、カメラとデジタルムービーを持参して、三角駅から三角西港へ行くことにした。台風6号のせいで、涼しい日が続いたが、台風が去ると、暑さが次第に戻ってきた。しかし、まだ猛暑というほどではないので、出かけることにした。

 熊本発11時34分の三角行きは、4番ホームから出る。きれいな車体の1両編成のワンマンカーがホームに停まっていた。車内は改装されていて、座席は三列になっている。濃紺色で模様入りの座席シートは感じがいい。冷房された車内で、天井の扇風機が、首を360度に回しながら風を送っているので、一層涼しく感じる。天井に扇風機があって、座席の窓は、手で持ち上げて、開けられるから、古い車体なのだろう。

 改札口の表示板に、この列車は、「トイレなし」と断ってあったが、終点まで、50分余りの所要時間だから、別に支障はない。しかし、三角線の全車両が「トイレなし」ではなく、帰りの二両編成の列車にはトイレがあった。

 

                     熊本駅ホーム

 

 九州新幹線開通後も、熊本駅では、駅構内や、新幹線に隣接する場所の工事が続いているようだ。

 少し早いが、発車してからすぐに、駅で買ったきた弁当を食べることにした。始発駅から乗ったが、乗客は結構多かった。途中の駅からも、家族連れが乗ってきて、通路に立つ人達も多くなってきた。弁当を早く食べてしまったのは、正解だった。 満員の車両の中で弁当を食べるのは、なんとなく落ち着かない。

 夏休みだから、子供連れの母親とおばあちゃんという家族連れや他に中年の女性グループが何組もいた。しかし父親とおじいちゃんはいない。日曜日でも仕事が忙しいのだろうか。この人達と一緒に、三角駅で降り、帰りもまた、15時8分発の同じ列車に乗った。海水浴に行った様子はなかった。

 

 

 三角駅から三角西港までは、タクシーで5、6分である。西港のイメージは、明治に作られた石造りの岸壁と古い建物が、ひっそりと残っている寂れた港というものであったが、少々違っていた。公園の中に、古くからの建造物が、きれいに整備されている。休日のせいか、公園の道路脇には、マイカーが並び、岸壁で釣りを楽しむ人や、木陰で談笑している人達がいた。しかし、後から来た人間には、日陰に座る場所はもうなかった。海風は吹いているが、結構蒸し暑い。熱中症予防のため、水分を摂っておくことにした。

 

 

 

 海に面したテラスがあるレストランがあったので、ここで休憩して、水分を補給することにした。この建物は、三角築港記念館でないかと思われる。暑いので、建物の由来を、いちいち確かめる面倒なことはしたくなかった。テレビドラマ「坂の上の雲」のロケが、ここで行われたそうである。表側だけの建物が、この建物に付け加えられ、180人の地元の人達が、ロケに参加したとあった。遠くに、天草五橋の1号橋が見える。

 

 

             レストランのテラスから見た三角ノ瀬戸

 テラスの席は、ほぼ満席だった。駅弁を買わずに、ここで、ゆっくり食事をした方がよかったようだ。対岸の山は、大矢野島の柴尾山、その右の尖った山が中神島と思われる。山が急激に海へ落ち込み、岸から深い海になっているので、港に適していたのだろう。 島原へ行く船は、大矢野島と中神島の間を通って、有明海に出る。石造りの波止場は、前方の民家が途切れるあたりまで、続いているように見える。時候がよければ、あのあたりまで歩くのだが、今日は、海の風景を眺めるだけにした。

 

 

 

 レストランの内部は、昔の倉庫を改造したような感じだった。室内の冷房は効いているのだが、お客のほとんどは、暑くても、海に面したテラスに座って、食事をしていた。

 

 

 

  港湾関連の建物は、かなり広い区画に作られていたようだ。背後の山から流れてくる水を海へ導く、石造りの排水溝は、深く、頑丈に作られている。

 

 

 

 

  

 何の建物だったかは分からないが、名前はムルドハウスだったと思う。平屋の部分は、物産店になっている。ここで、魚の干物とロールケーキを買った。

 列車内で食べた駅弁の弁当ガラは、三角駅が改装中で、駅のゴミ箱に捨てることが出来なかった。他に捨てる場所がないので、仕方なくデイバッグに入れて持ち歩いていた。ここで、引き取りを頼むと、気持よく引き取ってくれた。ちょっとした親切だが、空いたバッグに土産物を入れて、気分よく店を出た。

  

 

 

  

 暑い中を歩き回ったが 、日陰に座るような場所はなかなか見つからない。

 玄関脇の記念碑に、旧高田回漕店と記された木造二階建ての家屋があつたので、入って腰を下ろすことにした。二階に上がる階段のすぐ下の床板には、「ここを踏まないで下さい」と注意書きの紙が貼ってある。傷んだ板を踏み抜くからであろう。昔の建物をそのまま残したようである。二階に上がると、部屋の中を風が吹き抜けていた。誰もいないので、ここで、しばらく休憩した。

 明治時代にできた、この地区の建物は、外壁を白く塗装した、木造の洋風建築である。和風建築の建物は、ここと山手にある裁判所跡の建物だけのようだった。 その建物には、「法の館」と書かれた看板が掛けられていて、中に法廷の部屋が残されていた。               

  

 

  

              三角東港で市民に公開されていた護衛艦

 

 三角西港から、三角駅に戻ってきて、発車まで大分時間があったので、近くの三角東港まで行ってみた。岸壁には、海上自衛隊の護衛艦が碇泊していた。 7月24日にここで護衛艦の一般公開が行われることは知らなかった。三角市のHPを前もって、調べておくべきだった。

 

 

 

      

 

  タラップには、「護衛艦はるゆき」の横断幕がかかっている。 受付のテントの傍らには、東日本大震災の避難民が入浴する写真が展示されていた。この艦も、救援活動に参加していたのだ。後部甲板には、ヘリコプターが搭載されている。このヘリコプターも救援活動で活躍したに違いない。

 

 

 

 

 

 もう一隻の護衛艦が港に戻ってきた。乗組員と一般市民らしい人達が、大勢、甲板の上に立っているのが見えた。体験航海を終えての帰港のようだ。甲板を見ていると、みんな立ったままで、動いている様子はない。安全のために、航行中は甲板を移動しないのかとも思ったが、分からない。体験航海を経験してみたいが、まだ一度も、その機会がない。数年前、三池港で巡視船の体験航海があって、応募したがだめだった。 

 

 

              タグボートによって接岸する護衛艦

 

 体験公開の市民を乗せて、帰ってきたもう一隻の護衛艦が、岸壁に垂直に接岸していた。今朝、一緒に三角駅で降りて、帰りも一緒だった家族連れや女性グループの人達は、多分、この体験航海に参加したに違いないと思った。男性の姿が、見当たらなかったから、ひょっとすると乗組員の家族だったかも知れない。

 岸壁にいた乗組員の一人に、博多港にはいつ来ますかと、訊ねると、すでに五月に来航したとのことであった。