地図で見ると、橋の下を流れているのは久保川であった。
水面はかなり下にあった。両岸をコンクリートで固められていた。
恐らく、川底もコンクリートだと思われる。
久保川が関越道を越えて、こんな方へ来ているとは思っていなかった。
久保川はこの先で右にカーブし、岸町三丁目で不老川に注ぎ、不老川は岸町一丁目で新河岸川に合流している。
その辺りは、子供のころの遊び場の一つだった。
その頃の久保川は、工場排水や生活排水で濁った、いやな匂いのする川であった。
生き物は、ヒキガエルの他は見たことが無かった。
現在の久保川は、かなり綺麗になっているように見えた。
数年前、所沢街道の橋の下で、カモの群れを見たことがあった。
橋の反対側を見ると、道端に大田街道の標識があった。
その脇には、土手のフェンスと、アパートのフェンスに挟まれた狭い道があった。
市境はこの道を進むので、私もこの細い道に入った。
右側のフェンスは直ぐ終わり、前は畑になっていた。
市境はここを右折し、フェンスに沿って進む。
その先には、別のアパートがあり、その裏を抜けているようだった。
そっちへ行く道がないので、川沿いの道を戻り、大田街道に出て左折。
次の道を左折し、反対側へ行った。
アパートとアパートの間を市境が通っているはずであった。
そこを抜けた市境は、道を横切り、さらに進んでいるが、この日の端っこめぐりはここで終えた。
ここへ来る途中で、大田街道を左折する前に、大きな木を見つけた。
街道はその先で、少しカーブしながら緩い坂になっていた。
その坂の左側にその木は立っていた。
木の大きさも当然目だっていたが、それ以上に興味を引いたものがあった。
太い木の幹が、割った竹で囲われていたからである。
下から1メートルくらいのところから、枝のある所くらいまで、道路側が覆われていた。
木の側に行って見ると、この木の持ち主の家であろうか、大きな屋敷があった。
その門も瓦屋根の付いた、りっぱなものであった。
門と大木とが良く調和して、趣のある景観を作っていた。
ここから関越道までは直ぐだった。
仮に川越駅を川越の中心とした場合、この辺は川越の中心から最も近い川越の端っこである。
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