赤いポストのある蔵造りの先で道はクランク状に左右へと曲がる。
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そこに出来た三角形の場所にくの字形の碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/8c/138779d568126e6f1ea2b74fc57587dd.jpg)
斜めの部分には「川越十ヵ町地区都市景観形成地域」とあり、主なルールなども書かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/cd/2187841eae63ee5bc298f566f7974185.jpg)
指定範囲の地図もあり、現在地と伝統的建造物群保存地区も示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/3d/f7df4579a6e2020d4842eb77dbead114.jpg)
その先に「旧江戸町」の石碑があった。
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碑文には次のように書かれていた。
旧江戸町(エドマチ) 現 大手町他
川越城西大手門より、鉤の手までを
指す。旧十ヶ町のうち上五ヶ町の一。
城より、江戸へ行くための起点となる
町であるため江戸街道と呼ばれていた
が、町の繁栄と共に江戸町といわれる
ようになった。「れんしゃく丁」「唐人
小路」などの北条氏時代の古名も伝わ
り中世以来の繁栄が窺われる。ここは、
道路が二回直角に曲がる城下町特有の
鉤の手跡である。昭和三十六年町名変更。
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道路の反対側には、提灯で有名な一力斎のお店があった。