ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「街はたそがれて・・・」

2019年11月17日 16時20分05秒 | owarai
二人をはばむ
街の中に
流れる常識

つめたくされても
愛はあふれる

傷つくのが同じなら
どうせなら素直でいたい


YouTube
JUJU 『この夜を止めてよ』

https://www.youtube.com/watch?v=vMk81-Y_cYUhttps://www.youtube.com/watch?v=vMk81-Y_cYU

胸の中で、飛び魚が跳ねたー

2019年11月17日 12時03分39秒 | owarai
わたしたちは、幸せだった。
とても幸せに暮らしていた。

捲っても、捲っても、
白いページは減らない。
まるで幻のように美しい、
本物の幸せ。

愛する相手に借りがある。

いつもそう感じている
人こそ、
本当に愛しているのです。


YouTube
Pat Metheny - Don't Forget 1996.wmv

https://www.youtube.com/watch?v=xPTsC8_-YJ0&list=RDxPTsC8_-YJ0

「コンプレックスは、人生の原動力」

2019年11月17日 11時38分45秒 | owarai
人は容姿に限らず、様々な
コンプレックスを持っています。

特に若い頃は、他の人から
見ると実に些細なことまで
も、大きな悩みにしがちです。

しかしコンプレックスは、ひ
とが成長するためのエネルギ
―源。

たとえば、子供時代、兄に比
べて劣っていると思い込んで
いた弟が自分の好きなスポー
ツに打ち込み、世界へ羽ばた
くことがあります。

育った地域の訛りを気にして
いた人が美しい言葉づかいを
身に付け、俳優やアナウンサ
ーとして活躍することがあり
ます。

自分の外身に自信のない人が
髪型やメイクに人一倍の興味
を持ち、美容のジャンルで能
力を発揮することもあります。

年齢を重ねた後に振り返って
みると、コンプレックスがあ
ったからこそ、いまの自分が
ある。

「愛する人に裏切られたことある?」

2019年11月17日 09時45分16秒 | owarai
人々が、私や、私の傷心、私の孤独
とは無縁の足取りで、通り過ぎてい
く。

一人残らず、道行く人たちは、これ
から愛する者の腕の中へ帰っていく
か、あるいはその温かい腕の中から
出てきたばかりのように、見える。

他の季節ならば、歩道までテーブル
や椅子がはみだし、パリジャンや
旅行者で一杯のこのカフェも、

今はガラスパネルに取り囲まれ、
内側の水蒸気のせいでガラスが汗
をかいたように濡れている。店内
はガランとしている。

私は今、パリにいる。昨日は東京
にいた。おとといはまだ、自分が
パリへ飛び出していくだろうなん
て、知らなかった。おとといはま
だ、私は幸福だった。

パリは灰色で、建物もくすんだ灰
色だった。マロニエの樹は、裸で
寒そうに風に震えていた。

“別れというものは、そのように
不意にやってくる。交通事故のよ
うに、だしぬけに襲ってくる“

顔に表れている、あなたの”未来図”

2019年11月17日 08時12分19秒 | owarai

人の顔の名称をよく見ると、
目は芽、鼻は花、歯は葉、耳は
実、髪の毛は根。

耳は一生変化することはありま
せん。その人の一生の結実で
あって、これが小さかったり、

耳たぶ自体が肉薄だとすると、
成功運は低いでしょう。

反対に耳が大きく、肉厚で、耳
たぶが硬く締まっている男性
は、大きな運気を内部に蔵し
ています。

さらに、耳たぶが前方に受け皿
のようになっているタイプは
大金を握ると、昔から言われ
てきた。

植物・草花にしても、永遠に結び
つづけるわけはなく、むしろ
盛りは短く、人間ではほぼ10年
といわれています。

1.若い頃にまとまってくる人

2.人生の中盤にやってくる人

3.人生の後半にやってくる人

4.まとまった十年ではなく、
こま切れのように来る人

なかには20年、30年も盛り
がつづく人もいますし、数年の
人もいます。

スポーツマン、芸能人は耳で
判断。

サラリーマン、OLは人生の
中盤が多いですが、

目に強い光があるかどうか
を見ます。

上司の引き立てを得て芽(目)
が出るかどうか、を見るのです。

鼻が大きければ、大輪の花を
咲かせますから、人生の後半が
楽しみなタイプ。



「手を合わせると“どんな心”もキレイになる」

2019年11月17日 05時05分24秒 | owarai
お坊さんの修行でもっとも
むずかしいのは、「心身を
整えること」だと言って
います。

なぜなら、座禅などの修行は
肉体的には厳しいけれど、人
目につくので頑張ろうという
張り合いもありますが、

「心身を整える」ことは人 の
目に見えるものではなく、自分
自身でできているかどうかを
確認するのはむずかしいとい
うわけです。

「心身を整えること」とは、
どのような場所にいても静寂
を感じることです。

静寂を感じると、清らかな
気持ちになれます。これが
「静寂を喜ぶ心」になります。

古い寺の多くには長い参道が
あります。中には数百段の段
階があり、本堂までなかなか
大変な道のりのお寺もありま
す。

しかし、やっとたどり着いた
本堂で、仏さまに手を合わせ
ると清々しい気持ちになりま
す。

そして、日常生活での雑多な
ことなどをそのときばかりは
忘れさせてくれます。

まさに心がキレイになる瞬間
です。
それが静寂を感じることなの
です。

“寺の長い参道や階段は、心
をキレイに磨いていくための
道のりなのです“

この静寂を静かな寺の中で
だけでなく、街の喧騒の中
にいても感じられるように
心身を整えたいものです。