毎田周一師の「ことば」をお届けします。
(毎田周一全集 第5巻)
仏教の育てを受けて来た日本人が、(あっさり)してゐる、
淡白であるといふのは、事柄を事柄に委すといふことである。
前にいつた事実の承認である。
それは自分の考へを主張したり、
主観を固持したりして頑張らないことである。
(あっさり)といふところに、だから日本人の救ひがあるのである。
(あっさり)といふことは、
認識そのものゝの立場である。
事実を事実のありのまゝに承認する、認識するといふのみで、
そこへ人間の意思を、さしこまうとせないことである。
この知性のみといふ立場があっさりといはれる。
日本人の独特の仏教の受領の仕方である。
そしてそれは仏教の本来的なことでもある。
40年以上前になります。
ロージャズのカウンセリングを学び始めたころ、
「共感」について学びました。
ロージャズのパースナリティー理論には、
「自分はあたかもその人になるのだが、
しかも決して“あたかも……のような”という条件を失わない状態」とある。
共感(as…if)を、このようにおさえた。
それから40数年後。
毎田周一師の、
「事実を事実のありのまゝに承認する、認識するといふのみで、
そこへ人間の意思を、さしこまうとせないことである」
と重ねて領解している。
仏教(仏道)は、葬式や法事のソエモノではありませんよ。(笑)
あなた自身の内奥に眼を向けることです。