『毎田周一全集 第9巻』から
音楽を聞くのは古典をよむのと同じことである。
正法眼蔵を一度や二度よんでどうも解らないといつてゐるのは、
古典をよむ方式を知らぬ無知を曝(サラ)してゐるのに過ぎないやうに、
音楽に関しては、私は音痴でしてと尻込みする人は、
学ぼうとしない、
解ってゐる人に頭を下げようとしない、
憍慢者に過ぎない。
修練を重ねないで何も解るものではなく、
しかも自ら修練を重ねようと、謙虚に学ぶ態度を喪(ウシナ)つてゐるのは、
その人にひそかに忍び込んできてゐる憍慢心なのである。
先天的な音痴などといふものがどれだけゐるのか。
肉体の語をかりて自己を学ぼうとしない憍慢心を露骨にさらけ出してゐるのが、
「私は音痴でして」といふあの言葉である。
コロナ禍。
本当に、命と暮らしが難しい時代になりました。
医療関係の皆さん、介護関係、生活サポート、ご商売の皆さん、
大学生、中高生、小学生・・・全ての皆さん、
ご苦労様です。ありがとうございます。
申し訳ありません。
老爺は、静かにステイホーム、蟄居をしています。
『正法眼蔵』『顕浄土真実教行証文類』の読書や、
youtubeでベートーヴェンを聴いて過ごさせてもらっています。
南无阿弥陀仏