里村専精師「浄土真宗にようこそ」No58をお届けします。
「例えば我々が声を聞くという場合、聞こうと思うことを前提として聞くのでなく、聞こえたのである。
一切の経験は創造された日のごとく新しい。
一つ一つの経験は新しく生まれる。予定や思いを超えて与えられる。
昨日も今、今日も今である。経験はいつでも今としてあたえられる。
如何なる苦悩も煩悩も新鮮である。それが意識というものは透明なものであるという証拠である」
という言葉を見付けました。
安田理深先生の「唯識三十頌」の講義(選集二巻)からです。
素晴らしく美しい言葉ではないでしょうか。
世親や、その兄の無著が表した人間の厳密な存在性、
それが玄奘訳の唯識三十頌に結実しています。
唯識法相の学問は、現在ではその真価が問われることはほとんどありません。
けれども、世親菩薩が明らかにされた人間の事実は、現代にこそ必要な追及ではないかと思われます。
人間精神の尊厳と、その存在の厳密な意義というものを明らかにしていることの大切さは…。
私たち一人ひとりの存在を明確に浮き彫りにしたものなのです。
15世紀もの隔たりをおいて、人間の存在の真実は今も放置されています。
しかしながら安田理深先生は、人類的な視野の中で無著・世親の学業を顕彰されました。
本来なら、唯識法相宗の方々のやるべき仕事なのですが、観光寺院にはそのよすがもありません。
世親菩薩は、説一切有部から学び初めて、ついには大乗の仏道を学びました。
ここに私たちは、世親菩薩が学ばれた仏道に基づいて、
人間存在の真実を回復して、現代の根源を問い直すことが出来ます。
真実の人間の事実とその行くべき道は、世を超えた道理に基づいて示されています。
世に潰されながらも、我々の誰だって求めている世界があります。
世親菩薩も参られた浄土、それは人間の根源に開かれたものなのです。
我々の日常の経験を通して、実はその存在の新鮮な感動から開かれるものがあると先生は言われます。
釋真聴は、(よりあい)(かたりあい)(うたいあい)を大事にしています。
主宰・同人として参加している(よりあい)を紹介します。
◇カウンセリング研究会【くりのみ】 *主宰しています。
◇「歎異抄」うたと語り合い *同人として参加しています。
◇(願海庵)やさしい仏教塾 *同人として参加しています。
日程はコチラから。
↓
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/calendar/calendar.htm
誰でも参加できる楽しいサンガです。
是非、お出かけください。