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くりこみさん日記

駅名標ラリーをしているくりこみさんの日記。駅名標撮影の舞台裏やウェブサイト画像UPの情報などを書いてます。

11/16: 文系理系問わない脳科学もどき

2008-11-16 20:30:24 | くりこまれた意識バックナンバー
「くりこまれた意識 バックナンバー」2008/06/22 投稿分です。

このブログの名前, どういう由来でこんな名前を付けたのか, 説明します。


人間は自分のことを認識しています。
御飯を食べておなかいっぱいになっている自分。
勉強で疲れてぐったりしている自分。
面白いテレビ番組を見て笑っている自分。
みんなそれぞれ, 「自分」を認識しています。

でも, よく考えると変じゃないですか?
自分が自分を認識するなんて。

物理学でも似た問題があります。
電子の裸の電荷は求められない, とか。

その類推から考えてみます。
私の理解では, 真の「自分」は観測不可能なはずなんです。
でも今, この文章を書いている私を認識する私がいます。
さらに言うと, この文章を書いている私を認識する私を認識する私がいる。
ずっとそれが繰り返されて, 結果, 今の私の認識が生み出されている。

この問題は, 実は物理学で言うとファインマン・ダイアグラムに近いです。
ファインマン・ダイアグラムの詳細は, 私は不勉強なものですから, 定性的にしか理解してません。
それを敢えて強引に使い込んでみます。
ファインマン・ダイアグラムの一番の特徴は, 自己相互作用を記述できるということ。
古典力学や電磁気学では, AとBの物質が相互作用することはできても, AとAは相互作用しないとされてます。
でも, ファインマン・ダイアグラムはそれを打ち破っちゃうんです。
AとAが相互作用しちゃうんです。
よく「自己相互作用」と名前が付くのですが, 結局, 自己相互作用を許すと, 結果として「くみこまれた」現実が顔をのぞかせるだけで, 真の「裸」の姿を見ることはできません。
ということは, 私たち人間の脳でも似たような事が起こっていると考えられます。

つまり, 脳内で「自己相互作用」が生じており, 私たちが認識している自分とは, 真の「裸の」自分ではなく, 「くりこまれた」自分が存在するだけになります。
それで, 私たち一人一人が認識する自分とは, 裸の自分ではなく「くりこまれた」自分なんじゃないかなぁと思います。

認識するのは, 私たち一人一人が持つ脳の一つの機能で, それを意識と名づけるなら, 私たちの持っている意識は「くりこまれた」ものでしかないと考えました。
結局のところ, 私たちの意識は「裸」の状態では認識できず, 「くりこまれた」状態のものなのじゃないかと思います。

というわけで, 私たち人間の意識は「くりこまれた」ものであり, 「裸」の意識を認識することは不可能だと思ってます。
つまり、意識とはくりこまれたものだと思います。
きっと、意識はくりこまれているんです。
くりこまれた意識になぞらえて、ネットでは「くりこみさん」と称することにしました。


が, そんな難しい話を聴いてくれる人は全然居ません。
なので, この場を借りて誰か読んで, 何かの役に立てて欲しいなぁと勝手に思ってます。


私はこの分野にあまり詳細な知識はありません。
でも, 物理と脳科学が密接に関係していることにすごく興味があります。
興味を持つときは, 理系・文系関係ないです。
もしかしたら, 私は理系文系問わないタイプの人間なんじゃないかと思います。

ヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という台詞、かっこいいと思います, 直感的に。
だから正しいと思っているわけでもないですが。
ここまでの論理で考えると, くりこまれた意識については語れるが, 「裸」の意識については沈黙しなきゃいけない。
でもみんな, 「裸」の意識を求めようと語ってしまう。
そこが人間が本来持つ知的好奇心の現れのような気がします。