九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

宇都宮宗房の息「源季長」は「中原季長」である。

2018-03-23 | 中原氏バラバラ情報
宇都宮宗房の息「源季長」は「中原季長」である。
このことから宇都宮氏と、能登若山庄の領家【源季兼】、小野宮流の藤原経通とがつながった。

季兼の祖父「清長」の母親が、近江国佐々木氏の「源扶義」の弟 源雅通娘であることがわかった。
系図としては、清長ー俊兼ー季兼ー季長・頼暹 となる。

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2/s/源季兼







また、中原朝親を調べていて、大中臣朝親・中原朝親がいることがわかった。
美作朝親が「中原氏」ではないかもしれない暗雲が垂れ込めている。。。

中原朝親(1194年~1248年)であり、初名が朝親でのちに親朝と名前を変えている。
塩谷朝業の息である。

父は宇都宮成綱(初名:業綱) 母は新院蔵人平長盛女 である。
養父が塩谷朝義 妻は塩谷朝義女

塩谷朝業は宇都宮朝綱の孫となる

そして塩谷朝義の父は、塩谷惟頼である。
これよりの父は惟純(惟澄)(別名:堀江)1126年~不明

惟純の父、塩谷頼純(別名:堀江頼純、堀江三郎)。1108~1128年

その頼純の父は、源義親である。

この頼純は、可哀想な人生である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/塩谷頼純

~~~+~~~

一昨日届いた佐々木哲先生からのメルマガに「一条流藤原氏(伊尹流)と宇多源氏扶義流、および小野宮流藤原氏(実頼流)の関係にもういちど注目すると、小野宮流藤原資平の養子肥後守義綱(尊卑分脈)が見つかる。」とココだけ読むと暗号だが、うれしい情報であり、九里氏に関してもヒントとなるのではないかと思った!



コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 多賀高忠 と 多賀高朗氏に... | トップ | 中原朝親 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
滋賀県犬上郡に行ってきました (自閑)
2018-03-24 15:20:13
kunori様
犬上郡に所用で行くついでに、以前紹介頂いた神社を巡って来ました。
残念ながら、御期待に沿うような社伝はありませんでしたが、愛知神社が惟喬親王ゆかりの伝承が紹介されて居ました。
来週京都を離れ、東京へ帰ります。
kunori様の紹介で都大路を駆け巡った事がとても思い出になりました。800年前の地名しか知らず、現在の通名とシンクロ出来たのが、成果でした。感謝申し上げます。
拙句
別れまで櫻の花よそのままに
返信する
惟喬親王 (kunorikunori)
2018-03-24 16:53:42
自閑さま

京都をお離れになってしまうのですね。なんだか寂しいです。私の中では、京都=自閑さまになっておりましたので。
犬上郡愛知神社、ありがとうございます。惟喬親王のことは、何度も目にしながら、真剣に調べたことがなく、しかも最近、何かの本でも目にしたばかり。調べてみます。ありがとうございます。

東京に赴きになられても、闊歩なさってくださいませ!
ちょっと無理をして「返句」
鶏が鳴く東の櫻もそのままで
返信する
何の参考にもなりませんが、写真をアップしました。 (自閑)
2018-03-25 16:11:46
kunori様
何の参考にもなりませんが、写真をアップしましたので御覧下さい。
返信する
分かって無い者が、写真を撮っているので。 (自閑)
2018-03-25 19:39:25
kunori様
>久斯日賀多神社は、愛知神社の中にあったのでしょうか?
境内の本殿の横に鎮座されておりました。
>愛知神社は川のそばで、
追加アップしました。
>滋賀県犬上郡豊郷町吉田で、間違いないでしょうか?
以前御紹介していた吉田は悠紀の里との事。町内看板を追加アップしました。
返信する
ありがとうございました! (kunorikunori)
2018-03-25 23:10:49
自閑さま

今晩は眠れないのでは・・・と思うほど、貴重な情報でした。調べてみましたら、和邇氏にも神功皇后にも接点があって、しかも中原氏が開発した土地に!ということなのです。本当にありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

中原氏バラバラ情報」カテゴリの最新記事