九里 【九里】を探して三千里

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波多野義通の母は鎮守府将軍師綱の娘、其の師綱の母は源師忠の娘 師忠の妻は橘俊綱の娘

2024-08-15 | 九里バラバラ情報
波多野義通の母は鎮守府将軍師綱の娘と言われている。


其の師綱の父は藤原尹時 で、
姉小路家
藤原氏北家小一条流嫡流
なのだそうだ。

そこに、熊野別当との関りが出てくる。(藤原実方から熊野別当家につづく)







波多野義通の母方の祖父が藤原師綱であったことは、大きな力であったのではないだろうか?
しかも、この師綱は陸奥にまで足を運んでいる



しかし、違和感を感じるのである。
なぜならば、wikipediaによると、
波多野義通が1107-0167年 父の波多野遠義は1082-1155年
藤原師綱が?-1172年 で、師綱も娘は1120年代前後生まれと思われる。
ところが、義通の母とするならば、1080-1090年代には生まれていないと困ることとなるのではないだろうか。
となると、師綱は1060年代前後には生まれていないと、、、となり、そこに疑問を感じてしまうのである。しかも、1060年前後に生まれたとすると1142年に陸奥に赴いているという事は、年も80近くで、もちろん1172年迄は生きていないこととなる。
どこかが違っている。

私の予測では、1100年あたりが師綱の生年となり、義通とあまり変わらないように思う。となると、師綱娘が義通の母というのはありえないこととなる。

さて、どうしようか。。

コメント
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