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九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

片岡経久 と 平経久(平子氏)

2019-08-07 | 片岡氏





1233年

寺泊町…長岡付近

北条泰時の時に、平子経久も、片岡経久も存在していた。


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加藤氏の本姓は片岡氏。近江国他、様々な片岡氏。

2019-08-07 | 片岡氏

加藤可重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/28 18:05 UTC 版)

加藤 可重(かとう よししげ、? - 慶長9年(1604年)8月28日)は、戦国武将・熊本藩主加藤清正の重臣。近江出身。本姓は片岡。通称は初め清左衛門、のち右馬丞。父は片岡庄右衛門国秀

この近江片岡氏のルーツは、三河足助氏の一族で暦応年間(1338年 - 1341年)に足助範秀が足利将軍より近江国栗太郡片岡村(現滋賀県草津市片岡町)の地を拝領したことを機に、姓を片岡と改めたという。この範秀の8代孫が可重の父国秀とされるが、詳細は不明である。

===*===

近江国の片岡村

片岡郷☆ 栗太 永徳2.8.10 1382 〔大般若経識語〕于時永徳弐年〈壬戌〉八月十日近江栗太片岡郷/於相沢薬師寺書写畢。 大般若経調査報告2p.390
葛川明王院蔵

伊香郡
郷(里)
柏原、安曇、遂佐、楊野、余領、片岡、伊香、大社

===*===

北伊勢
片岡家
桑名郡上深谷城主。片岡掃部郎が当主。

===*===

片岡氏。近江国は、中臣氏の後、清和源氏足助氏流、秀郷流蒲生氏支族の三流。
常陸国は佐竹氏流。
北陸中国は桓武平氏葛西氏支族。
備前国は平氏姓。
土佐国は醍期源氏
を名乗る。
尾張国は斯波氏流。
南朝の臣,片岡八郎は藤原氏の末。肥後国も藤原氏 ...

===*====

岡部家は贺茂氏の後裔て、京都上賀茂神社末社の祝片岡師重を
始祖とする。先祖には『後拾遺和欤粜」以下の勅撰集の作者賀茂成助をはじめ、勅撰集
に和歌を残した人物が幾人もあり、師重の女、筑前局は後深草院のころ宮中に奉仕し ...


岡部郷に移った片岡氏は岡部氏を称し、この家筋の末流に真淵が生れた。
岡部郷の地頭職は、文永十一年(一二七四)六月以前に京都賀茂神社の片岡社の社領であり、祝(はふり)片岡師重の女筑前局が知行していた。
筑前局は、後堀河天皇に仕えていて(賀茂社の神主の女は、江戸時代でも宮廷に仕えていた人がある)これの代官職を知行していたのだろう。

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2213005100/2213005100100010/ht006480

↑ 賀茂真淵が登場する。


いろいろな時代の様々な片岡氏である。



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片岡氏を調べていると、野長瀬氏につながった。

2019-08-07 | 片岡氏

経俊卿記

平資氏〈同功〉丹治清時〈同功〉掃部允平経久〈金銅大仏功〉藤実家〈同功 〉平行時・・・

正嘉1年9月22日

1257年二月二八日に没している経久…関係があるだろうか?

===*===

その経久の孫か曾孫にあたる「片岡八郎利一」
http://www.town.oji.nara.jp/kankobunkasuports/rekishi_shiryoshitsu/densetsu/761.html  

この逃げた場所が「大塔宮宇井」で、野長瀬氏が初めにいた場所が「大塔宮辻」(奈良県五條市)である。

上記の文章の最後の方に「野長瀬氏」の名前も出てくる。



その野長瀬氏に仕えていた者の中に「九乗氏」がいたのかもしれない。

とすると、片岡氏と共に行動していた可能性も大である。

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片岡氏と伊香郡、片岡氏と佐々木氏、片岡氏と楠氏

2019-08-06 | 片岡氏

片岡経久という名を見つけ、その片岡氏が海上氏であり、千葉氏の常胤の父常重の弟の系であることがわかった。

さらに調べてみると、自分の記事で恐縮だが、伊香郡にも居たではないか!
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/c/429e050ef55f4e5a7d49ab2224a39263

佐々木哲氏のメルマガの中に【近江国伊香郡の片岡氏】の記述があったのが、上記の記事であるが、他にも
佐々木盛綱の息盛季からの系と片岡氏の系図とが繋がっていた。



さらに昨日の片岡氏の系図 柏原進三郎(片岡)昌高の部分に、母は楠氏とあった。


片岡…柏原…楠のライン

~~~*~~~

こんな偶然、と今までに何度も言って空振りであったが、やはり偶然に伊香郡・佐々木氏・楠氏・紀伊国と九里氏と関係が深そうなものが集まり、更に千葉氏の海上氏の中にも片岡が見え、その後海上氏が衰退し、その所領は千葉東氏のものとなった…とあれば、その東氏の中に「片岡氏」が紛れ込んでいたかもしれない可能性も感じるのだ。

いや、でも、今まで右往左往してきているので、慎重に。
しかも前々回の記事で書いた『平・太良(平子郷)氏の経久』もいる。

ついでではあるが、佐々木氏の中の『立花氏』の系図も近い。








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