朝日判官代頼清・関左衛門尉・土岐次郎判官代光行・開田太郎重国・富来次郎判官代のグループの中に入っている、富来氏。
一人ずつ見ていくと、
この中の「朝日判官代」とは?
中世の武家。(1)尾張国知多郡大野荘を本領とする清和源氏大野氏の一族。八条院判官代頼清が〈朝日判官代〉と称したのにはじまる。頼清とその子頼重は,承久の乱で京方として木曾川の渡しを防衛していたが討たれ,尾張国の本領数ヵ所を没収された。しかし頼重の弟頼時の系統が御家人としての地位を維持したとみえ,1303年(嘉元1)には頼時の孫親頼が同国安食(あじき)荘の相論に関して六波羅探題より現地調査を命ぜられている。
関左衛門尉とは、政綱のこと。
土岐次郎判官代光行とは、光定の父。鎌倉時代前期の武将・御家人。土岐氏2代当主。
開田太郎重国とは、木田三郎重長の子重国かとも云われている。
富来次郎判官代は、抜かされている本が多い。
吾妻鑑にもこの承久の乱では書かれていなかった。
なぜだろう…土岐判官代と富来判官代とが書かれており、同一人物とみたのかもしれない。
可哀想すぎる…
武家名目抄: 職名部上, 第 1 巻
能登の方は、
富来院の地頭職も、富来を名字とする三善氏の一族に相伝されたことは、前掲の正和三年五月の富来.豊田両御厨領主藤原氏女雑掌 ...
これは、蓮忍のはじめの妻が三善氏であり、その息か甥だと思う。