なんでもノート

デュッセルドルフより、
非日常的な日常の記録。

バーミンガム&コッツウォルズ2

2010年03月07日 | 
コッツウォルズで目覚めた朝は、まずは宿でイングリッシュ・ブレックファーストを満喫。カリカリに焼いたトーストに卵、ベーコン、ソーセージ、焼きトマトやマッシュルーム、豆。


車に乗り込み、今日は滞在していたチェルトナムからロマンチック街道とやらに沿って、北上していきます。

●ウィンチクーム(Winchcombe~ついウィンクコンベと読みたくなってしまいます=独語読み)
シュードリー城方面を散策。すばらしいお天気です。


町の教会に行くとちょうどミサが終わったあとで、町の人たちがおしゃべりしている風景に出合いました。ひきつづき赤ちゃんのBaptism(洗礼)の儀式が始まり、同席して様子を見せていただきました。
 

お茶で休憩です。ケーキに目移りしながらもやっぱりスコーンにして正解。たっぷりの紅茶と。
 

●チッピングカムデン(Chipping Campden)
近くの高台から。


●ストラトフォード・アボン・エイヴォン
シェイクスピアの生家。おみやげ屋さんでグッズに書いてある有名なフレーズを見ても、全然思いあたらず、教養のなさを痛感しました。


あっという間に旅は終り、バーミンガムから再びデュッセルへの帰路につきました。
のんびりとしたイギリスの田舎を満喫した2日間でした。欧州といってもドイツの田舎ともなにかが全然違い、やたらに羊がいる風景が新鮮でした。いわゆる「共有地の悲劇」は羊がこれだけいるイギリスだからこそ生まれたんだなあ…と勝手に納得していたら、どうやらこの言葉を最初に使ったのはアメリカ人のようでしたが。

バーミンガム&コッツウォルズ

2010年03月06日 | 
さてこの週末は知り合いを頼って、昨夜イギリスはバーミンガムにやってきました。旅の仲間を募って、今日から一泊で、コッツウォルズ地方にレンタカーででかけます。

出発前にまずはバーミンガム市内を一周。バーミンガムは人口100万人ほどのイギリス第二の都市。市庁舎(左)。市内の風景(右)。
 

スーパーM&S(マークスアンドスペンサー)によ寄りました。点数が少なければセルフレジが便利。決済はクレジットカードで!また街のあちこちには写真右のような監視カメラが設置されています。ドイツにはないなあ…と感心。
 

そしてレンタカーをして1時間少し走るとそこはすでにコッツウォルズ地方。イングランドの美しい田舎の風景で知られており、羊がたくさんいる牧草地の広がる緩やかな起伏のある台地にに小さな美しい村々があります。

●バイブリー(Bibury)
イングランドで最も美しい村なのだとか。


●ロウアー・スローター(Lower Slaughter)
優雅にアフタヌーンティー。部屋の中の暖炉で薪が燃えていて、のんびりと至福のひととき。


コッツウォルズの家はこの地方でとれる石灰石ライムストーンでできています。
 

この日はチェルトナム(Cheltenham)まで行き、一泊しました。

スロベニア(ポストイナ鍾乳洞)

2010年02月28日 | 
今日はさっそくポストイナ鍾乳洞へ。
町の中心から歩いて15分ほどで到着です。昨日のシュコツァン鍾乳洞とは異なり、観光地のムードを漂わせています。巨大な駐車場があってびっくりしますが、このシーズンは空っぽ。


ここも一日3回のツアーにて1時間半ほどの見学となります。オフシーズンといってもそれなりに観光客はいて、まずはトロッコに乗り込んで出発。鍾乳洞の中をこんな乗り物に乗って移動するのは初めて。結構スピードを出して2キロほど疾走。


終点で各言語に分かれてツアーがスタートします。われわれは英語に参加。その他、スロベニア語、イタリア語、ドイツ語、フランス語など、看板の前に集合です。


ここも昨日同様、撮影禁止なのですが、気にしない客が多く(イタリア系?)、ガイドさんも黙認する見えないルールがあるようなので、私もところどころで撮影を。大規模な洞窟で、鍾乳洞らしい美しい造形では、シュコツァンを凌ぎます。左はスパゲティの間。
 

これでもかこれでもかと続く美しい空間を歩いて行くと、つくりものの夢の国に迷い込んだような気持ちになります。
 

ポストイナ鍾乳洞が世界遺産登録を得ることができなかったのは、洞内をトロッコが走ったり、観光化が過ぎるという理由等によるようですが、これはこれでありかと思いました。
見学ガイドの内容は、洞の成り立ち、構造や歴史的経緯なども含まれる本格的内容です。(鍾乳洞英語も少し勉強できました。)ただし見学料は鍾乳洞ツアーと資料館を合わせて25ユーロ、スロベニアの物価を考えるとディズニーランド並みではないでしょうか。

引き続き併設されている資料館のようなところを見学しました。解説ビデオが見られるほか、本物の洞窟の一部を利用して、主に洞内に生息する生物に関する展示(本物)があります。
写真右の類人魚とも呼ばれる「Proteus Anguinus」という両生類が有名です。鍾乳洞での生活に適応し、目は退化、エラ呼吸と肺呼吸が可能なうえに、1年以上何も食べなくても大丈夫で寿命は100年近いというすごいやつです。
 

すべての見学予定を終え、電車で再びリュブリャナに戻り、そこからはタクシーで空港へ。山を望む景色です。


空港に着くと、フランクフルト空港の天候不良により飛行機が遅れていました。でも予約していた飛行機より一本前の便がまだ出ていなかったので、振り替えてもらい機上の人に。美しい空の色を楽しんでいたものの、この後やたらに揺れると思ったら…


この日のドイツは、午後広い範囲で嵐だったようなのです。
フランクフルトに着くと地上は大混乱。空港は人であふれていました。ICEに乗ろうと長距離列車の高架ホームに向かうと、風で屋根が飛んだらしく、ホームが閉鎖されていては入れません。地下の短距離列車のホームからすべての列車が出るとのことでしたが、人であふれかえってダイヤはないも同然。情報を得るのが困難とみて、ホームで電車を目視、ちょうどアムステルダム行きのICEを発見したので適当に乗り込みます。
のろのろと走り出したこの電車は結局ケルンで力尽きて終点となり、もう一本乗り換えてなんとかデュッセルドルフに到着しました。

結局ドイツ内、フランクフルトからデュッセルの帰路が最も困難で、1年前だったら果たして帰ってこられたか自信がありませんが、無事帰宅。思い出深い旅となりました。
マイナー企画に参加してくれた友人に感謝。皆さんもお付き合いありがとうございました。

スロベニア(シュコツァン鍾乳洞)

2010年02月27日 | 
この旅の最大のヤマ場であるシュコツァン鍾乳洞を目指します。
なにしろオフシーズンなので、現地の見学ツアーの時間も、電車の本数も限られており、プランを考え抜いたけれど一日がかり。

リュブリャナから電車に乗り込みます。車窓からの風景。昨日がうそのようなお天気です。


100キロ、1時間半あまりでディヴァチャ駅に到着。シュコツァン鍾乳洞はここから5キロ程度のところにあるようで、徒歩も覚悟していましたが、昨日の聞き込みによればバスがあるとのこと、ダッシュで探して駅前にバスを発見。貸切無料で鍾乳洞まで送り届けてくれました。


ツアーが始まる時間まで、周辺の遊歩道を散策。左写真の陥没している周囲を一周するのですが、雄大な地形に、向こう側に見える小さな村もあって、これだけでも価値があるくらいによくできたルートです。はるか下に見える滝の音が大迫力、この下に鍾乳洞があるのだろうか…
 

いよいよ13時からのツアー開始。お姉さんはスロベニア語、英語で解説をしてくれます。


約5キロのコースを約1時間半のツアーで見学します。洞内は撮影禁止ということで残念ですが、見学に専念。
前半は鍾乳洞の美しい造形が連なるつづく大規模洞を進んでいきます。そして後半、違う洞に入ってからがびっくり、地底に大渓谷が出現します。なんとなくグーニーズを思い出してしまうけれど、それ以上の大迫力。筆舌に尽くしがたく、写真ではわからないのですが、列の最後でこっそり一枚。左手が川で流れの速さがわかるでしょうか。右手のライトが歩道、道中つり橋もあります。この間は急流で声が聞こえないので、解説はこの洞窟に入る前に行われます。


出口です。この洞窟は1986年にユネスコ世界遺産に登録されています。
 

…来てよかった。帰りはバスの運転手さんが待っていてくれて、駅まで送ってくれました。
今日のうちに、次の目的地ポストイナまで移動して、滞在します。電車で30分ほど。


ポストイナはとても小さな街で特にこの時期は閑散としていますが、少し歩くと町外れに大ショッピングモールを発見。


夕食はなぜかピザ。だって町でこの時期ほとんど唯一のレストランがピザメインでおいしそうだったので。イタリアも近いし。


田舎町もよいものです。よく歩いた一日、よく眠れそうです。

スロベニア(リュブリャナ)

2010年02月26日 | 
今日から3日間で、念願のスロベニアへ。
スロベニアは旧ユーゴスラビアの一国(スロバキアではありません)。旧ユーゴの中では最も北西に位置し、オーストリア、イタリアと国境を接するアルプスの南側にある国です。

スロベニア南西部には、すばらしい鍾乳洞があるらしいと聞いて、ずっと温めていたとっておきのプランです。なにしろこの地方は”クラス”地方と呼ばれ、そのドイツ語読みが”カルスト”なのだそうです。カルスト地形とはご存じのように石灰岩地域で、水の溶食によって生じた特殊な地形を指し、その代表が鍾乳洞です。

初日はまずフランクフルトから首都リュブリャーナへ飛びます。見慣れないADRIA航空はスロベニアの航空会社。略号はなぜか”JP”で親しみがわきます(日航はJL)。


リュブリャーナ空港で無事友人と合流し、1時間弱ローカルバスに揺られリュブリャナ市内に到着。駅などのつくりは、見慣れない旧共産圏の香りが少し残っています。つくりが旧式ですが、きれいな駅の切符売り場。


市内を散策。あいにくの雨模様で写りもわるいですが、旧市街はとても美しくて、かつモダンなお店が多くて歩いていて自然と楽しくなってきます。写真左の中央で光っているのは、ちょうど開催中の冬季五輪のための特設会場。
 

リュブリャナ城から市内を望みます。美しい街並み。人口は30万人弱。
 

夜はスロべニア料理。名前は忘れました。物価は安く、食べ物はだいたい西欧の1/2位の感覚です。


ところでこの国ではびっくりするほど英語が通じます。しかもきれいな英語で私たちにとってはとてもわかりやすい英語です。ドイツより楽なのはなぜ…
ちなみにスロベニアは、1991年にユーゴから独立しましたが、2004年にEU加盟、2007年にはユーロを導入しています。

スペイン・マヨルカ島へ(2/2)

2010年02月15日 | 
今日はひきつづき夕方遅めのフライトまで、マヨルカ島を満喫します。

ホテルの屋上から眺めたパルマ市街。人口30万人ほどの大きな街です。旧市街を歩くとこんな小道もあったりします。
 

パルマからレトロな列車にのって、ソーイエルという街へ。ちょうどアーモンドの花の時期でした。なんとなく沖縄の桜を思い出します。


山間の景色が見事。電車は一時停車してくれます。


ソーイエルの街に到着。ここで路面電車に乗り換えて、ポルト・デ・ソーイェルに向かいます。


ポルト・デ・ソーイェルの街。


さらにバスを乗り継いで、ショパンがひと冬を過ごしたことで有名なバルデモサという街へ(ショパンは3カ月ほど滞在しただけなのに、すごい観光資源です)。


忘れてはいけない、マヨルカ島名物のエンサイマダという菓子パンのようなもの(それにしてはとても高い)を買ってドイツへ戻ります。


ドイツから来ると気候はもちろん、街や建物の感じがまったくちがって異国情緒を感じます。ドイツ人にも外国感があっていいのかな、と勝手に想像しつつ帰路につきました。
通常はドイツ人は数週間の休暇できて、海辺に長期滞在するのですが、ソーイエルやバルデモサはドイツ人にもお勧めされました。
ドラッグ洞窟に行ったことのあるドイツ人がいなかったのが腑に落ちませんが、戻ったらお勧めしなくては。

スペイン・マヨルカ島へ(1/2)

2010年02月14日 | 
さて、私の欧州滞在も1月半あまりとなったこの時期、駆け込み訪問客が東京の実家からやってきました。2月のドイツにやってきたものの、暖かいところに行きたい、ということで、週末はスペイン・マヨルカ島で過ごすことにしました。
マヨルカ島は地中海に浮かぶリゾート島。日本ではあまり知られていませんが、ドイツ人の休暇先としては超メジャーで、ドイツ領ではないかと思うほどです。というわけで、ドイツからのフライトも充実、昨日土曜日の夕方の直行便でパルマ・デ・マヨルカに到着。

オフシーズンの今でも、それなりに観光客も見かけるのですが、公共交通の本数などは限られるようです。綿密なプランを立てて、今日の目的地はドラック鍾乳洞です。滞在している最大の街パルマからバスで一時間半ほどです。

車窓から。中央に見える風車みたいなものをよく見かけます。


●ドラック鍾乳洞
見学時間が決まっており、1時間おきに入場ができます。
 

時間になると入り口が開き、ぞろぞろと(主にドイツ人、スペイン人)順に洞内に入ります。特に案内はなく淡々と、一年中20度のよく整備された道を進んで行くのですが…見事!いわゆる鍾乳洞的な美しい造形がこれでもかと広がっています。
洞内はなんと撮影禁止だったため、以下はホームページから。




しばらくいくと、地底湖の前のベンチが並んだ大空間に出ます。座って待っていると…明かりが消え、短いアナウンス(スペイン語、ドイツ語、英語、フランス語)ののち、バイオリン等の音色とともに明かりのともった船が湖の奥から現れます…


不思議なコンサートを満喫。帰りはこの湖の上をちょっと船に乗ってみることもできます。
まるでディズニーランドのように別の世界に迷い込んだような感じがします。
鍾乳洞の美しさを鑑賞することに徹し、音楽と小舟を加えた見せ方は初めて。見事です。

10分ほど歩くと、ポルト・クリストの街。


パルマに戻って市内を散策。カテドラルです。今日は日曜なので中には入れません。
 

夕食は地元料理で。コロッケとヤギのチーズの温サラダ。

投票による市政参加!

2010年02月07日 | デュッセル生活
ある日わが家のポストに郵便物を発見。捨てていいものか一応確認すると、なんだかデュッセルドルフ市からの投票案内らしいことが判明。

デュッセルドルフ市の「統合委員会(der Integrationsausschuss)」の委員を選出するためのもので、統合委員会は、地域の政治への市民参加を促す法制度により設置された新しい委員会で、移民の利益を代表します。
19名の委員のうち10名が任命制、あと9名が移民による直接選挙で選ばれるという仕組みです。というわけで、投票権があるのは、ドイツに1年以上、市内に16日以上法的に滞在している、16歳以上の外国人で、見事に該当!

オールドイツ語の紙切れ一枚が郵送されてくるだけで、投票する人なんているんだろうかと思いつつ、投票ができるチャンス!なのでおそるおそる、指定されていた学校(ギムナジウム)に日曜日の朝向かいました。投票時間は朝8時から18時まで。

入り口には矢印で投票会場が示されています。


手前左手が投票会場となる教室です。


いらっしゃい!というノリでスタッフに迎えられ、投票券?を渡すと、プリントアウトされた投票人名簿をめくって私の名前を見つけてチェック。A4大の投票用紙をくれました。一つだけチェックするのよ!と言われ(たような気がして)、投票台に向かいます。

記入台の様式は日本とほぼ同様ですが、ドイツの投票用紙は、日本のように空欄に名前を書くのではなく、候補者が用紙にリストアップされていて、その中から選んでチェックをする仕組み。候補者が多いと投票用紙がやたら長くなってしまうそうですが、間違う確率が少なく合理的な気がします。
今回の委員は6グループと個人が立候補しているので、8つの選択肢の中から一つを選びました。といっても公開されていたのは、グループ名、氏名、各人の職業と年齢と住所だけでこれでどうやって選べと言うのか不明ですが、とりあえずエスニックグループ(トルコやロシア)が名前につかないのを選んでチェック。

できたら投票箱に二つに折って入れます。投票人は案の定私だけで、3名いたスタッフみんなに面倒を見てもらい幼稚園生状態でしたが、基本的な投票スタイルは体験できたのではないかと自己満足することにしました。

有権者94,510名のうち4,412名が投票し、投票率は4.7%だったようです。高いというか低いというか。立派な市民参加の制度であるような、でも外国人対象といいながらオールドイツ語で各国語でのフォローが皆無なのも若干釈然としません。

ジャズライブハウス

2010年01月31日 | デュッセル生活
知り合いからのリクエストにより、デュッセルのジャズライブハウスを探して行ってみることになりました。

よく通っている旧市街の通りの一角の地下に、その名も「Dr.Jazz」というお店がありました。明かりがともると存在に気がつきます。


この日はジャズではなく、ちょっといい年のおじさまたちのバンドが繰り広げるロックンロールでしたが、会場は結構賑わっており、みんなまじめに聞いている雰囲気。曲はほとんど英語でも歌い終わると、「Danke Schoen!」というところがドイツでした。


デュッセルにこんなところがあったとは、新しい発見でした。

週末ベルリン旅~アート編2

2010年01月17日 | 
ベルリン二日目の日曜日は、美術館・博物館を訪れることにしました。
ベルリンには多くの施設がありますが、「博物館島」は世界遺産にもなっていて、5つの大型館が集中しています。共通券14ユーロを手に、そのうちのいくつかをまわりましたが、特に以下の二つは注目です。

●ペルガモン博物館
古代ギリシアのペルガモン(現トルコ)「ゼウスの大祭壇」。巨大な遺跡がそのまま室内に再建されています。この見せ方、スケールに唖然とします。
 

古代バビロニアの「イシュタール門」とそれに続く「行列通り」です。ドイツの考古学者による略奪云々とはよく聞きますが、規模が違い感心するばかり。どこにいるのかだんだん分からなくなってきます。
 

●新博物館(Neues Museum)
第二次世界大戦で大きな被害を受け、修復工事が進んでいましたが、この10月に70年ぶりに再オープンし、大きなニュースになっていました。コレクションの中心は古代エジプト関連ですが、なかでもネフェルティティ像はエジプトから返還を要求されていて、話題になっています。
 

雪の新博物館前(左)とベルリン大聖堂(右)。この日は雪で、気温はマイナス10度近くまで下がっていました。この雰囲気は好きですが、長時間のお散歩はきびしく、動物園に行くのは思いとどまりました。
 

博物館島をわたったところにある「●DDR博物館」にも立ち寄りました。DDR(Deutsche Demokratische Republik=ドイツ民主共和国)とは旧東ドイツのことで、当時の市民の暮らしぶりなどが展示されています。社会主義体制の厳しさを感じる一方で、どこか日本の戦後の昭和チックな懐かしさも感じます。

後ろ髪をひかれながらも、この時期の鉄道はダイヤもいつも以上に乱れがちなので、早めの電車に乗りデュッセルへ戻ることにしました。ベルリンは私にとってはデュッセルから来るととてもリフレッシュできて、本当に住んでみたいような街です。