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春稜庵でお話しましょう

四季の変化を楽しみながら身近に感じた事を伝えます

台湾へ 玉山登山と観光の旅(その4)

2017-03-02 17:08:52 | 登山と観光旅

 阿里山の宿舎ホテルを出発し、国道98号を東進、二時間弱で上東哺の注文到着。
ここで、送迎車の運転手さんとお別れ。明日昼頃下山したら、再びここに、お迎えに来ていただくのだ。

 

↓ 駐車場で、北方向を眺めると、左手に阿里山の姿が!

 

↓  右手に一段と高い山が見える。数年前に登山している、台湾第二の高峰「雪山」かな?
 ガイドさんに尋ねると「ここからは見えないよ、あの稜線は中央山脈です」との事。

 

↓ 辺りの野草も馴染みのあるもの。 

 

↓ 駐車場から警察小隊の事務所へ移動。

↓ この辺りも花木などが賑やか。

 ガイドさんが警察小隊の事務所で、入山許可書や、我々のパスポートを提示して、手続き業務を終えるまで、待つこと、数十分。
その後、警察の車で登山口の塔塔加鞍部まで移動する。料金は微小額だが有料。山越えの山道を徒歩で登山口まで数十分頑張る方が多い。

 登山口で、まず目に入るのは ↓ の山嶺だが、これは玉山でなく玉山南峰のさらに南の山々だ。

 

  

↓ お馴染みの登山口石碑の前で、記念撮影。ガイドさんも入って5人で。背後の山は玉山前峰。
 ただし、ここを登るのではなく足元の山道を東へと進むのだ。 ↓ 地図を参照! 

 

 ここの登山道は、何度も通っているので慣れている。緩い勾配で、じっくりと時間をかけて登る。
しかも入山制限で一日75人の登山者しかいないから、すれ違う下山者も75人。
だから、静かな環境で自然を楽しめるのも特長。
 そんな山道でも、売り物のポイントがある。なかでもここ ↓ の大哨壁という場所。↓ の地図も参照。
かっての大昔には、海底にあったという。岩肌に海の生物、貝の化石などが見られる。
日本だったら、恰好な岩登りの場所に利用するけど。そんな輩は台湾にはいない。

↑ 大哨壁から一時間半ほどで、排雲山荘に到着だ!
 この山荘は国営小屋で、10年程?前に初めて利用したときは、平屋建て。
 屋内は狭いので、食事の際は、小屋の前、つまり屋外ですませていた。
 しかし、雨天の際は狭い玄関内で交代で。

 三年~四前に、二階建てに建て替えられて一階が大きな食堂、二階は寝室に。
 しかし、二段ベッド式は、従来のままで。定員数も70数人も変わらない。
 トイレだけは、屋外一か所、室内二か所、しかも立派な設備になった。

 さらに、調理方式は、大改革! 従来は各グループが強力さんを雇って運んできた食材を、
 それぞれのメニューを、共通の調理場で それぞれの強力さんが調理してグループごとに 食べた。
 今は、共通の強力さんが運搬も調理も同じで、同じ食堂で食べられる。よくなったね!

 この変わり様は、当ブログ内の昔の記事を読み返すとよく分かる。懐かしいお顔も拝見できるし。

↓ 玄関前を見ると、狭い敷地に無理やり山荘が建っている現状が分かる。左側はもう崖っぷちだ。

 二階の廊下、左右は寝室。

 

 ↓ 一階の食堂。

 

 ↓ 日没直後の室外の情景。黒い雲が気になるけど。
  樹林帯は、この山荘から、まだまだ先の高い標高まで。森林限界は3700Mまで 続いている。

翌日の登頂は、未明の3時過ぎに小屋を出発して5時過ぎのご来光を眺める。

筆者の庵主は、予定通り小屋で待機することにして、登頂を見合わせた。既に何度も登頂しているからね。

↓ 仲間三人の記念撮影。初登頂おめでとうございます!撮影はガイドさんで。
  この石台には、かって蒋介石の像があった。 政権交代があってから撤去された。

↓ ご来光は残念ながら、マアマアだったらしい。

  

 

 次回(その5)は、下山後の帰路の記事から。

 

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台湾へ、 玉山登山と観光の旅(その3)

2017-02-21 13:43:00 | 登山と観光旅

 台北駅前のYMCAホテル玄関前で、ガイドの高さんの送迎車に乗り込んだ。
初対面のあいさつ。運転手さんも、よろしく! 三日間の登山旅へ出発!

 今日の予定は阿里山のホテルまで。阿里山閣大飯店という。高速道経由、嘉義を経由して国道を西方向へ数時間走る。阿里山鉄道の阿里山駅前でホテルの送迎バスに乗り換えて10数分、到着!
 ↓は駅前の駐車場。台湾有数の観光地なので、さすがに多くの車両!背後には駅舎が。

 



 我々の宿泊ホテルはこの阿里山駅から一駅先の沼平駅のすぐそば。
しかも線路沿いにある。道路が狭くて、駐車場が狭いので我等は送迎バスで。
 沼平は日本流ではショウタイ、と言う。

 

 

 到着後は、二人ずつに分かれて部屋へ。窓からは鉄道軌道が近いけど、
この線は運行ダイヤが少ないから煩くない。
ただ、「ご来光列車」という 早朝の祝山駅までの観光客を乗せて数本走る。
 沼平駅とは初代の阿里山駅だ。 
日本時代の1914年に建てられたけど、その後は観光が主になり、
阿里山駅は現在の広い土地に移転したという。

夕食までは、余裕の時間がある。で、仲間四人でホテルから沼平公園を通ってもう一度阿里山駅までの森林を往復して、歩いてみようと。

↓ 先ず、沼平駅に保管されてる阿里山森林鉄道の蒸気機関車と記念写真だ。
 現在は観光用として、嘉義駅からの本線部分の軌道のみを走っている。

 その後、沼平公園に入る。阿里山駅まで標高差が60Mだから坂道を。

 ↓ 阿里山本来の嶺が見える。



  
             ↑借り物の写真だけど、季節には花木が多く楽しめるとも。

 ↓ 駅正面に到着。




↑ 最近駅舎が改造されたのかな?一昨年の記憶とは、違うね!チョット新しいな!

これで森の散策を半分終えて、帰り道は寄り道しながら、ぶらぶらと宿へ戻る。

 夕食はガイドさんと一緒に、レストランで。かなり立派なメニューだ。
今迄の国家山岳協会と違って、今回は、参加費用もかなり大きいからね!

さあ、明日、明後日と登山だ。今夜は早寝だぞ!

 翌朝、ご来光列車が通過する頃合いには起床。 食事を済ませて出発!

次回の(その4)は登山口からの記録を投稿する。

 

 

 

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台湾へ.玉山登山と観光の旅(その2)

2017-01-29 11:21:16 | 登山と観光旅

  さあ出発だ! 空港駅で、仲間四人と合流して、空港を予定通りの時間に出発。桃園空港到着も、ほぼ時間通りだった。
 到着ロビーには、数日前に電話で依頼した通りに、大統ハイヤーの運転手さんが、私の名前を漢字で書いた大きな紙をかざして待機していた。肝心の名前は? 読み方は合っているけど、文字が違う! まあいいや! 車も大きな荷物を持つ我々の為に大型ワゴン車だ。台北駅前のYMCAホテル迄よろしく送って下さいよ! 

  このホテルは二年ぶりだ。カウンターには、日本語スタッフが二人。続きの二部屋に分かれて。さあ、まだまだ午後の時間がたっぷりある。周辺を散策しよう! 明日からは、登山の予定行動になる。朝にはガイドが迎えに来るから, 今日は貴重な半日だ。順路は、228記念公園~総統府~台北駅という事で、時間があればもう少しは? 夕食は、駅前の「和民」が店の場所をチョット移動したけど、相変らず人気店という。その店で夕食でにするか。

先ずは、近くの 228記念公園へ。228とは? 日本の敗戦、撤退 に続いて中国国内の内戦で共産党軍に敗れた蒋介石の軍隊とその一派が、大陸から台湾へ逃げ落ちてきた(外省人)。そこで台湾を支配下にした強権政治を開始するが、従来から居住する台湾の内省人の反発が絶えない。 1947年2月28日市場でタバコを売っていた女性に憲兵が発砲して始まった内乱事件のことを云う。

 つまり、この公園は内省人の反政府運動の拠点になった地区であった。だから、国民党政権は、この公園の名前を替えようと提案していたけど、民進党など国民の賛同を得られなかった。

 

↓ 正面の建物は反政府運動の拠点として、当時の日本放送協会(NHK)の放送設備を使って全国民に呼びかけた。 現在の名称は228記念館となっている。あらためて、内部の展示を見学する。


  ↓ 公園内から見える駅前の「新光三越ビル」の姿 

そんな、歴史を持つ公園だけど、今では市民の楽しい憩いの場として貴重な存在になっている。
台北に行ったら、是非立ち寄りたい公園だ。

↓ 園内には、平和の象徴を表現するモニュメント もある。

 


さあ、次は228記念公園の西南角からすぐ隣へ。総統府だ!ここも 日本時代の建築がそのままに。  今から100年ほど前に建設されている。設計は長野宇平治。 けれど↓ 写真の左半分が戦争時代に米軍機の襲来で損害を受けて修復されている。
 
 残念ながら、当方には、出来なかったけども、内部見学は午前中ならば、旅券提示で誰でも可能。日本語の案内者から説明をうけながら一時間ほど、一階部分だけ。ここでも日本の歴代の総督8人(?)が、人物写真パネルを前に説明され、業績も評価?されるのだ。

 真正面の道路上から写真を撮ろうとすると、ある男性が現れて、 「あっち斜め正面から撮りなさい」と指示する。警護の都合からか? 建物の正面玄関からは、現職の総統も出入りできないという程、大切な場所らしい。 

 

次は!総統府の北、道路を挟んで台湾銀行(日本銀行の様なもの)がある。↓
これも日本時代の建築。↓ でも、さすがに、台湾名物のバイク駐車は 整然としているね。

 

さあ次は? 大通りを北方向に歩いて10数分で台北駅に到着! 乗車でなく駅舎の見物だ! 
 ↓ 立派で、大きな駅だな~。

 

 この駅舎は、30年程前に完成しているけど、それ以前の歴史は長い。今の駅舎は日本時代も含めると、9代目になるそうだ。 乗り入れしてる鉄道は、台鉄(国営の在来線)、高鉄(民営の新幹線)、MRT(公営の地下鉄が二路線)で、全て地下に軌道と駅施設があるので、地上は商業施設となっている。

 ↓ 構内の吹き抜け部分が名物。屋根天井の窓から青空が望めるのだ。 

  

 ↓ 構内を散策する仲間達。食堂街もずらっと。

撮影はKさん

 

↓ さて、お次は何処へ? まだまだ、明るいから夕食には、早いしね。

 撮影はKさん。

 では、これも観光名所の龍山寺に行きましょう!ということに。
タクシーで、十分ほど。MRT板南線では二駅だけど。

↓ 相変わらずの賑わいの龍山寺だ。すごい参拝者だ!  前殿から正殿を見る。

 

 

 ここは観光名所とはいえ、地元の方にとっても大切なパワースポットだから溢れかえる参拝者。
正規な手順でお参りをすると、ややこしいので、当方四人は、ただ眺めるだけ。
 本来は仏教寺だけど、今では道教も儒教も含めて、七体の神が祭られているので、全市民の心のよりどころになっている。しかも、この建築の芸術性が評価されて、国宝にも指定されているし。

↓ は回廊の屋根と近接する近代建築の対称が面白いね。 



↓ さらに境内には、こんな見事な滝もある。まさに、憩いの場所でもあるのだ。

 さあ、駅前まで帰ろうか! と仲間達。今度は歩いて裏通り表通りと、辿り歩きながら。

 で、宿舎ホテル「YMCA」に近い「和民」という 人気ある日本ブランドのレストランへ到着。
でも、入った途端に分かった。アレッ、雰囲気が、以前の「和民」とはちょっと違うね。
 店の場所が従来のビルから移動している、という事は?多分経営資本も替わったという事か?  
 
 でも、台湾に到着後、半日散策を、仲間等と楽しんでからの食事には、いいお店だった。「明日から三日間の玉山登山では よろしくお願い致します」という事で。 

  YMCAホテルに戻って、隣り合わせの二部屋に分かれる。 
 明日の朝は、ガイドさん車の迎えが早いんだ!   では、おやすみなさい!

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台湾へ。玉山登山と観光の旅(その1)

2017-01-22 14:07:03 | 登山と観光旅

 当HPの中で、この「旅記録」というページでは、「日帰りでない登山」と 若しくは「日帰りでない観光」の旅の記録というのが趣旨である。過去十数年前から投稿している。クルーズを含む海外旅行、海外登山、国内登山と観光の旅、等々で。 

でも、そんな機会は少なく、年に数回程度しか体験してないのだ。 しかも、数十年前に巣立った学窓の友人「四人の会」の旅行記録は別途で、当HP内の「交遊録」へ掲載にしているし。

 昨年は、ある事情で機会に恵まれずに、一切の投稿歴がなかった。けれど年末に台湾へ。登山と観光を。 久々である。

さあ、本題に入ろう。
 台湾玉山登山は十年ほど前から、五回ほど経験しているので新鮮味がなくなったのか、 帰国してから一か月を過ぎても投稿する気分が湧かないので、自分でも焦ってきた。

 

 

 今回の仲間の構成は、自分以外の三人は,互いに初対面だから、数か月前に、顔合わせの場を持っている。
 さらに、玉山登山に必須である公認ガイド団体、その選定には苦労した。

 最初の三回の登山は「国家山岳協会」という、当時の政権与党、民進党系列の団体に依頼して、当方数人だけのガイドを請けてくれたので、うまくいった。やや高つくけど。李登輝氏を理事長にしているので安心か?と。

 しかし、政権が民進党から、国民党に移行すると、その団体も休眠状態になってしまった。
 で、現地法人で日本の」運送会社系列の旅行会社に転向したが。以前の山岳協会のガイド手法と比較するとちょっとね。ばらばらに申し込まれた日本人10人迄を、一団体にする手法は納得出来ない。安上りになるが。 今回も、そこにお願いしようとしたけど、11月下旬からの催行はしないとの事で、ダメに。この季節になると10人が揃う見込みがないからか?

 で, 他の団体を探していたら、昨年まで暫くの間は政権与党だった国民党の系列団体「中華民国山岳協会」に出会った。
メール、電話で担当ガイドと情報交換していると、政府の管理者の国立公園局とかなり親密らしい。しかも、かっての「国家山岳協会」と同様に我々四人のグループだけで請けてくれた。
 しかも費用の事前納金は不要で、台北出発時に払えばよい、という。
ガイド氏との連絡法はメールで即刻返信がある。 でも、日本語がやや不完全なので解釈に悩む事は、しばしば。まして電話だと変な会話になりそう。 しかし、実直で愉快な人柄みたいだ。
 月に何度も玉山などに、登山しているとも。 お会いする時が楽しみだ。

 入山の日取りは、数か月前からガイド氏が設定している 12月の5日6日7日で国立公園局から許可が下りた。確か二週間前だったか。むろん飛行機のチケット予約購入は、それよりも前に「早期に済ませても、いいですよ」という連絡だったので購入してある。

次回(その2)は出発時からの記事を投稿しよう!

 

 

 

 


 


 

 

 

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