春稜庵でお話しましょう

四季の変化を楽しみながら身近に感じた事を伝えます

安達太良山と磐梯山への登山、会津若松への旅 (その5 最終回)

2014-08-23 13:49:24 | 山歩き

 今回の旅ブログの全ての記事は(その4)で既に終了している。

そこで、無理して一回分を延長して 最終回を(その5)とすることに。 では何を話題にする?

 

 筆者庵主はこのグループに参加させて頂いてから, 今回で四度目の旅になる。

霧島から阿蘇への旅、 阿寒岳を中心に道東の旅、 大山、蒜山と島根鳥取の旅。

それぞれが、 レンタカーを利用して二泊三日の旅、山小屋泊でなく、旅館やホテル泊、の旅。

登山はよく知られた山を選んで、観光もしようよ。 

 という企画で。三日間に登山や観光をギッシリと詰めた旅。新幹線か航空機利用が前提になる旅。

 

と、いう様に 楽しいけれど、かなりしんどい行程になる。

そんな行動計画表 は幹事さんの苦労の賜物である。

参加者も レンタカー乗車定員、旅館ホテルの相部屋の都合から  四人程に限定される。

 

 次回からは どんな所がいいのかなあ?思いを馳せると。

まったく、土地勘も知識もない北海道はさておいて、 多少ともご縁があった方面になると。

東北地方なら 十和田湖地域、 八幡平地域、 田沢湖地域。   中部地方は別にして。

四国は剣山周辺、 九州は くじゅう連山辺り。

 それと自分の趣向としては、かって登った山を 再度 再々度でも訪れてみたいと、いう気持ちがある。



 ここで、写真がまったくない今回の内容では チョッと寂しいので 古臭い写真を添付してみよう。

まだ若かりし頃に登山した福島の 西吾妻山から東吾妻山の周辺で撮った絵を見ながら回想すると。

↓ 小高い山の向こうは裏磐梯の小野川湖かな。

↓ 磐梯山の遠望かな。 

↓  この爆裂火口は一切経山かな。

以上ですが、これで何十年間も人の眼に触れてなかった写真君達も喜んでいるでしょう。

 

では 最後になりましたが、

今回の旅を 計画して頂いた幹事さんには 大変感謝しております。 

それと御一緒になりましたお仲間の方々には お世話になりました。

皆様、今後ともよろしく お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

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安達太良山と磐梯山への登山、会津若松への旅 (その4)

2014-08-17 11:20:03 | 山歩き

  三日目の朝。  やはりカーテンの合間から差し込む朝日に眼を覚ます。

二泊とも同じ寝床だから馴染みがよい。 

お世話になったホテルの廻りを歩いて名残りを惜しむ。

↓ この廊下から見る背後は山側になるの。  今日も磐梯山は雲の中だ。


会津若松市内を巡る日。 といっても仙台空港へは 明るいうちに戻るのでそんなには!

やはり定番観光の 戊辰戦争の白虎隊飯盛山、 鶴ヶ城、 武家屋敷、野口英世記念館、へ、

という合意をし、順路を確認をしてレンタカーは出発する。

猪苗代湖に沿って国道49号を西へ走る。


 

市街地北東の外れの飯盛山。長い階段を登らないで済むというコンベアーを利用する。

二基を乗り継いで中腹まで5分、250円也。 ↓

 ↓ 墓地には 1868年に 自刃した19名の隊士、それぞれの墓石が 一列に並ぶ。↓

 

↓ チョッと離れた所にある20番目の墓には 

一人だけ死に切れずに昭和初期まで生きた飯沼貞吉が眠る、77歳。


↓ 白虎隊墓地から少し離れたとこに建つ 国重文のさざえ堂は六角三層の仏堂。

二重螺旋階段なので すれ違わずに上下出来る構造。江戸中期の作。

その昔、あのダビンチが建てた構造を模倣したともいうけど。

 


このように 飯盛山とは 白虎隊墓地だけでなく、他の施設も多く全体が観光場所となっているのだ。


次に 戊辰戦争での白虎隊から 歴史を遡って鶴ヶ城へと向う。


構内に入ると、すぐに天守閣が眼に入る。 ↓ 

何度も変遷の歴史を辿る運命の城。

1593年、三代目藩主が築城した時は七層天守閣。1639年、六代目藩主は五層天守閣に改める。

その後戊申戦争の結果 1874年に解体取り壊しされる。

しかし、90年後の 1965年(昭和40年)に再建工事落成。

1911年 瓦を幕末時のような赤瓦に葺き替える。  など等。

 

↓ 一層から四層までは歴史と地元の資料展示。五層は展望階となる。 

 展望階からの眺望は?  ↓ 北方向の市の中心街を見る。

↓ 北東方向には磐梯山が見えるはずだけど。 相変わらず厚い雲の中。手前には飯盛山が。

↓ 南方向は? 干飯櫓の向こうは那須の山々の筈だけど。会津鉄道、大内宿はこちら方向。

 

↓ 豪快な石積み。 400年の重みだ。

天守閣だけを観賞してすぐに駐車場へ。  もったいないね!

次の武家屋敷の手前で蕎麦屋を発見! 昼チョッと前だから。

蕎麦の産地として知られる会津蕎麦、店は沢山あるけど取り敢えずここで。 

 

武家屋敷とは 何ぞや?

江戸中期に会津藩主だった松平家の家老だった西郷頼母のの邸宅を復元したもの。

280坪の家。養子の西郷四郎は小説「姿三四郎」(富田常雄著)のモデルだって?

 

 

 


国道49号越後街道を東へ戻る。 今朝方 通過した道路を再び。

そこの猪苗代湖に近い道路沿いに 最後の目的地がある。 野口英世記念館と生家があるのだ。

記念館は目下 改修工事中だけど 一部の入館見学は出来るようだ。

  その前に生家を観てをこう。   ここだけなら入館料は要らない。

 ↓ 生家の屋根上には保護目的となる、味気ないけど 最近の上屋が架かっているな。

↓ 生家の隣には 新規と改修の工事中の記念館が並んでいる。 

↓ 英世が一歳半の時に 火傷をしたという囲炉裏がそのまま残っている。 

↓ 記念館で見学入場が出来る室内へ。

館内の一角に 見学者が近ずくと反応して 語りだす英世が待ち構えている。

 

 

さあ、これで今回の 登山と観光の旅 での目的地訪問はすませた。

これから東北自動車道経由で仙台空港に帰るのだ。

でも、気になる磐梯山のお姿は最後まで拝めなかったね。

↓ この程度で我慢するか! 国道49号線の猪苗代湖沿いで。

 

↓ しかし、一瞬の間、かなりハッキリと。でも山頂はやっぱりダメ!  国道49号走行中にシャッターを。

 

 

 仙台空港へは、予定通りに到着する。 搭乗前に 空港内の店で 打ち上げ会 だ。

今年の5月の 蒜山大山鳥取島根の旅 と 今回の旅。回想と反省の会話も。

さて、次の機会は何処へ?

次回(最終回、その5) では こんな計画登山をどうでしょうか? と。

 僭越ながら 私見で思うままに書いてみるか。仲間の皆様、悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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安達太良山と磐梯山への登山、会津若松への旅 (その3)

2014-08-09 17:07:18 | 山歩き

  二日目の朝は。  ホテルの窓からの 眺めから始まった。 庭が広いね!

磐梯高原、気持ちのよい風景。 

↓ 正面奥には猪苗代湖の手前の湖岸がうっすらと見えるが、その先は真っ白け。

やはり、今日の磐梯山登山でも 山頂からの眺望は 昨日の安達太良山同様に期待できそうもない。

 

 

 

↓ 磐梯山と当ホテルの位置関係は? 磐梯山と猪苗代湖岸の間の、真ん中くらいかな。

湖岸はなんとか見えても、反対側の山はまったく真っ白け。 見えない。 

 

はやい時刻なので、まだお客の気配がないレストランで美味しい食事を。

昨晩のメニューと同様に、安い宿泊料金なのに、高級感がある朝食を頂く。今夜の食事も楽しみだ。

 

↓ が本日の行動予定の登山路である。 

磐梯山登山ルートは いくつあるが、最も人気ある山道を選択する。 

宿舎ホテルを出てから 一旦高原を下り 国道49号 ↑ をチョッと走ってから 

↓のゴルードライン入口から昇り道をしばらく走って 八方台駐車場登山口へ。

既に、大型バス一台、マイカー五台ほどが駐車中。

 

 

↓ 出発だ! 雨の気配はない。 

この辺りでは新緑と呼ぶべきか、美しいブナ林を楽しめる緩い勾配を進む。

 

 ↓ サワギクの群生

↓ マルバシモツケソウ  安達太良山でも、お会いましたね。

 

↓ 足下に、桧原湖が見えてきた。でも 南端だけで北側の方は霞んでしまってる。

残念、裏磐梯地区もこの程度の視界で我慢するか。手前湖岸に 裏磐梯の著名ホテルが。

 あそこからの 登山ルートもあるはず。 チョッと長くなるけど。

 ↓  火口跡かな?

↓ 裏磐梯からの登山路、この稜線は厳しいね。 

 

↓ 磐梯山では数多く咲いている、コバノイチヤクソウ。 

 

↓ この山道では一番の展望台で暫し 火山固有の景観を楽しむ。 

 

↓ ウスユキソウだね 

 

 ↓ やっと頂上へ。 でも予想通りの状況。何にも見えないよ! 他の登山者は少ない。

 

↓ やっと見えるのは、裏磐梯の小さな山々と湖か。

 

 

↓ じゃあ、猪苗代湖はどうかな? 手前の湖岸線が微かに。 

 

↓ 仕方がない! 石碑祠でも観察して。

 

↓それと仲間四人の記念写真はオーケーだ。 

仙台弁でまくしたてるお兄さんにシャッターを お願いして。 

 
                                   (同行仲間の Kさんからの ご提供)

 

 そこで、 「頂上では 何にも見えませんでした」では済まないので、

3Dカシミールソフトを使って画面上での展望を楽しんでみようと。


↓ は磐梯山から60km~80kmの距離にある山々。この程度の距離なら晴れてれば見る。 

 それ等の山々を磐梯山頂上から見たとすればこんな具合だね。

↓ 北西方向を見る。 大日岳は新潟県。飯豊山は山形新潟福島の三県の境に。

飯森山の向こうは山形県米沢市。 祝瓶山は山形県朝日山地の一つ、三百名山。 

右手前の湖は桧原湖。 


↓  次は北東方向へ。 刈田岳 屏風岩 不忘山は宮城山形県境の蔵王山地の山々。

     当山頂からは 最も離れてる山塊。

霊山は福島市近郷の山。 後はすべて吾妻山地の山々。湖は 左が小野川湖、右が秋元湖。


↓ 東方向は? 天王山は阿武隈高地でも高い1,000m級の山で 山頂からは太平洋が見える。 


↓ 猪苗代湖の南側の山々。茶臼岳 三本槍岳は栃木県との県境で合わせて那須岳とも呼ぶ。

他は福島県内の山。博士山といっても野口英世とは無関係の名前。

七ヶ岳の手前には、あの大内宿が。藩主が鬼怒川 日光を経て江戸に向う下野(シモツケ)街道がある。

現在は会津鉄道と野岩鉄道が共同で会津若松市から日光市までの鉄道路線を運行してる。

猪苗代湖の右手には会津若松市。市街地の形態はこのソフトでは表示出来ない。 

 

 と云う具合で、展望を楽しんだ事にして下山する。    

八方台駐車場から裏磐梯方面へドライブしようと。

しかし 突然の強烈な雨の攻撃を受ける。 凄い!裏磐梯はやめだ。

で、まだ山道に残っている、登山者達の安全を気使かいながらも 宿舎に向う。

 

↓  乾杯! チョイと早めの夕食だ。


                                            (撮影は 庵主)

↓ 温泉に入って 美しい庭園もメニューの一つ。 まだ明るい時刻の夕食もいいね。

 

 
                               (仲間のKさんが撮影  ご提供)

 

という事で、二日目の登山も無事に終わる。

明日は登山ナシ。ゆっくりと起床して、会津若松へ。 懐かしい街並み、楽しみだ!

でも 早起きしちゃうだろうね。 

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安達太良山と磐梯山への登山、会津若松への旅 (その2)

2014-08-02 14:52:59 | 山歩き

  さあ、中部国際空港を早朝便で出発。前夜は空港に隣接するホテルで前夜泊しているから、楽々だ!

仙台空港まで一時間とチョイで。  予想では 厚い雲の上を飛ぶはずだ。

しかし離陸から30分後には空路の右手に 富士山だ! 

赤石山脈(南ア) 南端の山嶺も頭を出している。

↓ の写真下方で やや右寄りの尖った山は地図でみると 大井川上流の黒法師岳かな? 

↓ 富士五湖上空で 富士山とお別れ。でもそこで、口ずさんだのは 尋常小学校唱歌だった。

 ♪ 頭を雲の上に出し 四方の山を見下ろして 雷様を下にきく 富士は日本一の山--- ♪ 

↓ 阿武隈山脈上空から太平洋上へ。一度出てから着陸体勢にはいる。

この海岸線と この小さな漁港は相馬市辺りかな? 三年前の大津波で被害を被った地域だ。

 

 

 到着後、空港に近接のレンタカー店へ。 

その店頭外壁には 津波が到建した当時の 水面の高さが表示してある。なんと 2.5メートルだ。

 

 一般道を経由して 白石 ICから東北自動車道へ。 南へ走って二本松 IC へ向う。

が、工事中の車線規制で大渋滞。 登山口の奥の湯駐車場へは、予定を一時間ほどの遅れで到着。

 

 そこで本日の 登山行動予定を短縮変更しないと、今夜の宿泊地磐梯高原の到着にまでも影響する。

 判断では  ↓ 安達太良登頂後の下山ルート(下図の北側へ大きく迂回する山道) を中止して 

登りも下りも 同じ山道を往復 することになる。 

 

↓ は3Dカシミールで作成した 安達太良山系の俯瞰図。明日、登る予定の磐梯山も 入れて。

このソフトに習熟してないのでチョッとお粗末な作品になった 。カメラの位置も悪いし。

テクニック次第では、もっと山の景観らしくなる。

この投稿をした後にでももう少し 見栄えのする作品にして 差し替えたい。 

 

 ↓ は、奥岳の湯駐車場からゴンドラリフト乗り場へ歩いて向かう途中の景観だ。

ゲレンデと左手に見えるゴンドラを見る。 左の山頂はゴンドラ終着駅に近い薬師岳という山だ。

安達太良山頂は、ここからはまだ見えない。 

 

 

あれ!変だな!ゴンドラ乗り場にも、周辺の食堂にも、お店にも 何処にも人の気配がない。

駐車場には そこそこ車が駐車しているんだけど。 そうだろうね、皆さんは、もう下山路にいるのかな?

さすがにゴンドラ駅には駅員さんがいた! でも たった一人で。 

乗車して数分間で着いた上の駅も無人駅に近い。 

 

さて、いよいよ 登山開始だ。  もう、一時を過ぎている。

さっそく、ハクサンシャクナゲが待っている。 ↓ 今が先頃だね。 

↓ こんな低木に囲まれた山道が ずっと続く。

足元の整備は?  山道の出だしには 超立派な分厚い板を使った木道には驚いたけど。  
 

↓ は マルバシモツケソウ

↓ は、安達太良山では この時期に多いウラジロヨウラク 

 

↓ やっと低木樹林帯を抜け出すと、目の前に山頂が現われる。

この山の頂上とは 手前の広い個所であって、 突起している個所とは違うのだそうな。

そういう説があるけど、どちらでもいい。山の価値は変わらない。 測量石の有無も同じだし。

 

↓ 山頂からの景観 その1。今日時間短縮で断念した その下山予定だった北方向への山道を。

矢筈森と 鉄山を見る。稜線左側には 噴火口がある沼ノ平。  遥か雲の中に西吾妻山らしき姿が。

↓ は、山頂からの景観 その2。 西方向を見ると手前は船明神山、その向こうは噴火口のある沼ノ平。

天気がよければ、磐梯山は船明神山の背後、はるか向こうに見えるはず。 残念なり。↑の3Dで我慢!

 

最高地点の突起で仲間四人での遅い昼食。やはり見渡す範囲には人の気配はない。

仲間等が 「腰掛けた岩を通して微かに地振動を感じる」と云っている。そうか!やっぱり火山だな!

↓ の石祠が傾いているのも振動の影響とか?  の説もありだ。

 

↓ 山頂からの景観 その3。     その2 ↑ 方向よりも やや東側を。

矢筈森と鉄山、その右手を下れば勢子平へ。 左手雲の下には東吾妻山が。

 

あまり残された余裕時間はない。すぐに下山へ。   

安達太良山はいろんな名前がある。その一つ、通称、乳房山を下山を前にして振り返る。

静かな登山になったので、印象は深く残った。眺望にはやや難があったけれど。 

 

第一日目  安達太良山へ山行は 無事にて下山する。  

余裕があれば二本松市内へ行って、観光などをすれば よかったかな?

光太郎の妻、千恵子の生家、  戊辰戦争の少年等の歴史資料館、  霞ヶ城のある公園、などなど。

 またの機会にはぜひ!

 

 車は一路、東北自動車道から分岐して磐越自動車道へ。

猪苗代磐梯高原 ICから近い磐梯高原の一角に建つ大きなホテルへ。

 

 幹事さんの努力で 低価格だけど格上の部屋に。

見渡す限り緑の草原が、その向こうに猪苗代湖が望める という最高の部屋。

温泉もヨシ。食事もヨシ。酒もヨシ。       ↓ (筆者庵主が撮影)

 

明日の磐梯山登山の天気はどうかな?

                             次回(その3) の投稿は後日に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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