春稜庵でお話しましょう

四季の変化を楽しみながら身近に感じた事を伝えます

玉山雪山計画-7(礁渓温泉) 

2009-05-21 13:56:27 | 玉山雪山登山 2009年4月

 26日の三六九山荘の朝、といっても三時頃から登頂予定の宿泊者が起き出して準備を始める。宿泊者の殆どが我々と違って標準の登山行程だから仕方がない。しかしかなりの降雨量らしいからうまく登れるか心配。それ以後は眠れずにウトウトと。四時半に起きた時分も雨、激しくはないが止む気配もない。朝食後、雨装備で下山開始。10時過ぎには登山口だろう。
 まず雪山東峰に登り、観景台からは難所の胸突き八丁を慎重に下る頃には本日の三六九山荘宿泊予定で登ってくる一団とすれ違うようになってきた。七卡山荘でも雨上がりの様子見の登山者も含めて、中止するグループがない事は概ねの人数を勘定してると分かる。折角取得した入山許可を無駄にしたくないのだ。これは雨天での玉山下山時にすれ違う方々と状況と同じだ。
 10時過ぎ、武陵の登山口管理事務所へ着。雨はやや小降りに。待っていた張さんの専用車で雨装備を解いて、乗り込みホットする。一昨日登って来た国道を川幅の広い蘭陽渓という川沿いに下って宣蘭方面へ戻る。外気温が異常に低くガラスが結露し曇る。台湾の車は冷房はあっても、こういう低温現象に対処するのは苦手か。

 

昼過ぎの宣蘭市街、礁渓市街をかなり通過してから、お目当てのレストランに案内される。24日の往路で利用した一皿100円の店と違って、さらに大きく一卓分のセット料理でなんぼという店。ここも休日のせいか、一族郎党引き連れたおじいちゃん中心の大家族、友人グループなどで大賑わいだ。我々の様な少人数の五人グループなんていないが。李さんの交渉でそれらしい小振りのメニューとなった。ビールなども大いに振舞われて無事下山とお別れの乾杯を。

 食後、再び戻って礁渓温泉まで送って貰う。山側の奥に所在する老爺大酒店の玄関前で李さん張さんと、連続登山のご案内と筆談のご苦労に感謝してお別れする。
 
 このホテルは評判通り。建築は現地の環境によく見合った雰囲気を感じさせる秀作。日系航空会社Jの施設というが。チェックイン後にラウンジで暫らく待つ間に飲物とケーキのサービスは質も量も立派。玄関ホールとは分離したチェックインカウンター越しに見える宣蘭市街の先に太平洋。 (以下の写真はすべて拡大)


このカウンターの背後の階段を下りれば一階は大きなレストラン。窓の先に海が望める。 


玄関ホール脇の通路は図書棚が並んでいる。 


玄関ホールとチェックインカウンターの中間にある客の待合場所。 


棚には沢山の日本の図書もある。谷崎、太宰などの文学書。安藤忠雄などの建築関係の書が多いのはどなたの趣味か。ここの従業員も読書の習慣をとのホテルの配慮。読書は精神の糧になると。 


地元宣蘭の著名人、黄春明さんの作品を紹介している。本来は文学作家だが絵画、切り絵なども。 


禅の思想を取り入れたという建築だが。この坪庭もそうか。 


客が多いわりに静かな玄関ホール。客を通過させるだけで、必要な利用施設をここに配置してないので。 正面の白い扉が玄関。天井に見える装飾は羽子板の羽根を表す。


総支配人の記述によれば「建築デザインは宣蘭地区の特色ある景観を取り入れた」という。 


坪庭の設計もその一つ。右はエレベータシャフトのガラス壁。 


受付カウンターから見る一階レストランと外部は温泉プール。その先には太平洋。


玄関ホールの片隅に見つけた当ホテルの設計思想を記載してるパネル。日本国内ではこういう習慣は少ない。ホール天井を飾っている羽根の説明もある。 


黄春明さん作品の切り絵。場内に幾つか見られる。

肝心な温泉も内風呂、屋外温泉プール共に大満足。食事のメニューも豊富で美味しく、一泊だけでは物足りないが翌日昼前には予定通りに玄関前から出るシャトルバスで台北へ戻らなけれならない。

 

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玉山雪山計画-6(雪山へ)

2009-05-15 10:07:40 | 玉山雪山登山 2009年4月

宣蘭と台中を結ぶ横断 国道を県境の峠を西側に下り始めてすぐに武陵農場入り口となる。ここは標高が高く、箱根や蓼科の様な宿泊施設の多い観光地。警察署で雪山入山許可の確認してから登山口まで車で20分ほど。そこでまた登山者のパスポート確認やら研修ビデオなどが待っている。終了後、七卡山荘まで2km1時間を結局歩き始めたのは6時をかなり過ぎていた。すぐに暗くなってヘッドランプがないと足元が危ない。特に山道の左片側が急坂になってるので。小屋はガランとして宿泊者は殆どいない。先刻着いている協会の料理番も我々がなかなか来ないので心配していた様子。ここは発電装置も給水装置もないので苦労。当方以外のパーテイでは警察学校の学生男女が七名。研修かな、ここは警察の管理地だし。ヘッドランプを頼りに暗い中でメニューを確認しながらの夕食。ガラガラの部屋で就寝したが夜半過ぎに多勢の客が入ってきて暫し目が覚める。今日金曜の夕刻に会社が終わってから台北をバスで出発してくるとこの時間か。うん、こんな方法で雪山に来る登山もあるもんだ。 (以下の写真はすべてクリックで拡大)

ヘッドランプでの夕食。

 翌朝は、予定通りに4時半起床、5時朝食、5時半に七卡山荘を出発。昨夜の遅い到着組はまだ寝ている。
 この小屋の宿泊利用者が少ないのは何故か? わかったぞ!殆どの登山者は登山口を午前中早めに出てその日は7km7時間を三六九山荘まで登って一泊。翌日は登頂後も再度泊まって同じ小屋に計二泊するという日程らしい。我々のように暗くなってから七卡山荘に入るのは変則組だし、さらにその後の行程が難しくなる。
 李さんは「今日中に雪山に登頂し、その後は三六九山荘に泊まる。明日は下山のみ」と言う。それだと本日の純歩行時間は11時間余12km。厳しいが。明日の天候悪化を予測すればこれしかない。後からの話だが、結果的にこの作戦が見事に的中した。 

朝の七卡小屋、閑散としてるのは?

小屋から雪山東峰までの行程は、僅か3kmだが4時間もかかるこのルート最大の難所。雨を降らせる天気ではないが遠望は期待できない。僅か20km西の中央山脈もかすかに。台湾五岳の一つ南湖大山がやっと見える。 

東の中央山脈の南湖大山がやっと見える。

雪山東峰(3,200m)の頂上では、やっと雪山主峰(3,886m)が見えてくるが、そこまでここから5.5km4時間半はかかる。写真では中央右に三六九山荘が白く見えている。 

今日の目標、雪山主峰を背に。東峰にて。

東峰から小屋まはやや下り道。その間で大腿骨と骨盤の継ぎ手が両方共に違和感を感じるが小屋に着いて暫し休憩、背中の荷物もサブザックに替えてからは痛みは消えた。問題はなし。先行した皆なに10分ほど遅れて出発。が、これから三時過ぎに小屋に戻るまで昼飯抜き、弁当も無しではやや不安。 玉山と同じ様に、長く続くニイタカトドマツの樹林帯を抜ける標高3,400mあたりが森林限界。

森林限界地帯のニイタカトドマツ。

視界が急に開けた。半円形のカール(圏谷)に到達したのだ。これが雪山の特色。 

正面の左が頂上だがまだ視野にない。

この辺りからパーテイの足並みが疲れでダウンしてきた。頂上はすぐそこと分かっているが。李さんは相変わらず皆に先行して悠々と。気にしないで、一歩一歩ゆっくり進めばいいのだ。 

 

もう植物はハイビャクシンのみ。

 

主峰のすぐ脇の北稜角は3,880m

頂上は玉山と違ってやたらに広くて頂点という感激がうすい。むしろ6m低い隣の北稜角の方がそれらしく見える。それにガスがどんどんと湧き上がってきて遠望は全く利かない。 

好天ならばこの方向に玉山が。

 

この植物は何者か。

11時間の歩行を終えて小屋に戻ったのは三時過ぎ。すぐに温かい饂飩を用意してくれたいつもの料理番のお兄さんが流暢な英語で「このグループのボス(李さんの事)は過度にハードだよ」「夕食が近いから少しにして」 と心配している。

足取りも重く小屋に戻る。 

屋外での夕食が始まる頃に雨が降出す。 

休日が絡んで小屋は定員一杯の状況。

今日頑張ったおかげで明日の行程は4時間半の下りのみ。しかし夕方から降り出した雨が残れば、玉山と同じ様に合羽着用となるだろう。午後早めに礁渓温泉着かな。

 

 

 

 

 

 

 

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玉山雪山計画-5 (東海岸へ)

2009-05-11 10:19:16 | 玉山雪山登山 2009年4月

4月23日。  前夜は、後発で到着した浅田龍口組と合流した。

 午前中に小林さんと総統府の見学。政権交代でその内容がどう変化したかが興味だった。やはり、展示はガラッと変更、50年の日本時代の歴史は薄まってる。それよりもガイドの陳さんが説明する際の言葉には危機感が出る。「今、自分の様な80歳後半の高齢のガイドは退職を勧められてる。かっては50人もいたが今は数人。が、私はやめられない。若いガイドはとんでもない歴史感で喋るから。蒋介石は台湾を日本から開放した、などと平気で発言してるから、私は辞められない」

 午後は四人で。サムさんの車で基隆市港外の碧砂漁港魚市場へ。買った魚介類を隣の店で料理してもらい遅めの昼食。その後基隆から数十分北、台湾の北端野柳近くの総督温泉へ。屋上の野天風呂では遥かなる太平洋を堪能する。 
(以下の写真はすべてクリックで拡大)
  

案内のサムさんも同席して漁港市場で。

 夜は台湾で流行りの鍋料理店へ。MRT忠孝教化駅から南へ5分、「圍爈」は外見は料理屋風だが。内部は女性好みの雰囲気。食べる事に熱心だったので、気が付いたのは食後での写真となってしまった。鍋が小さくて少々苦労する。タレは好みで自分で合わせる。まずまずかな。店のスタッフが全て女性というのも特徴。 

 

24日朝9時半。  雪山登山出発の日。ホテルロビーで李さん(バカボンのパパ)と合流。運転は同じく張さんで。李さんが筆談で「今日は夕方に山小屋の七卡山荘に入るまで時間の余裕があるから海辺の景色を楽しみながら行きましょう。お好みのポイントはありますか?」と言って。冷泉とか蘭の花とか純金の仏像とか。よく分からないので適当な返事でお任せする。


専用車は基隆の南部を走って直接海岸通りへ。かって金鉱山だった九份、金瓜石が近い。空と海は基隆島が遠望できる程に澄み切っている。釣り人もあちこちに。ここ鼻頭角という岬から南へ20km先の台湾最東端の三貂角岬がかすかに見える。

鼻頭角から基隆島を望む。

鼻頭角の釣り人。  

 

  その最東端岬に近ずいた海岸では。岬を越えると亀山島が視野に入る。 亀山島は戒厳令下で軍事演習場として強制接収されたまま、今でも、入島は制限。

最東端岬の遠望。三貂角という。

岬から亀山島を望む

この岬は東経122度の台湾最東端で、灯台や、軍の監視所が設置されてる。この地点から南が宣蘭県となる。蘭陽渓という雪山山脈から流れ出る大きな川が築いた広大な三角州が宣蘭の特色。 

 丘上の灯台は東経121度59分36秒。

灯台よりも東端の監視所は撮影禁止区。 

ここでの結婚式と記念撮影が一組。

台湾では海への展望絶佳の地が墓地に。 

  

沖合に見えるのは雲か蘇澳の街か。

岬をさらに30km南下。平行して走っていた台鉄宣蘭線の軌道と東西に離れる、頭城という街。そこの海岸通りの店で昼食に。一皿100元というがそれも超大盛り。四人で数皿とご飯、スープで満腹。 通り沿いで店内は大賑わいの盛況。

いよいよ、宣蘭三角州の南端の南方という漁港まで来てしまった。冷泉の沸く街。海の安全を祀る有名な寺があり参拝客で大賑わい。 純金の仏像はここに鎮座する。また、日本最南端の与那国島までここから100kmの至近距離の港。

寺の二階から仏門屋根越に港を望む。

この港街を南限にしてやっとUターンする。三時を過ぎたのに、李さんはのんびりと果物屋に立寄って差し入れのバナナなど買ってる。明るいうちに山道を1時間登って山小屋に入らねば。心配だ。 

街道筋の果物屋にて。

とにかく安い価格だ。

しかし、まだ立寄る名所が残っていたのだ。今朝李さんから問われて、曖昧な返事をした蘭のセンターだ。宣蘭県は蘭の産地だからここも避けては通れない。 

 巨大な温室に蘭が栽培、販売されている。

この通路はまだ数km先も続いてるそうだ。

さて、やっと観光地巡りを終了して羅東から西に向かい、三角州頂点の街、玉蘭から蘭陽渓に沿って川沿いに遡上し標高を上げる。50km先の雪山の入り口武陵農場まで。いくら走っても広大な川幅はそのまま変わらない。今日の登り歩行時間は1時間たらずだが、明るいうちに七卡山荘に着けるか。

 

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玉山雪山計画-4 (排雲山荘へ)

2009-05-07 10:00:53 | 玉山雪山登山 2009年4月

標高2,610mの塔塔加鞍部を出るといきなり右側がすっぱりと切れ落ちて深い渓谷に落ち込む急斜面に沿う細い山道となる。要注意!下の写真はヘリコプターで撮ったものではない。 この源流が旗山渓という川になって150km下流の高雄の先で南シナ海に流れこむ。一方、玉山からの下山後に塔塔加から車で北に向う帰路の国道沿いの渓谷は濁水渓と呼ぶ川で台中の南でこれも南シナ海へ。(写真は全て拡大)

 先頭の李さんの足は速い。先頭を歩く人のタイプには、後のパーテイの中でも遅い人のペースを基準に合わせて歩く人と、後方を気にせずに進んで時々立ち止まって待つ人の二通りがある。バカボンのパパは後者で、王監督は前者だ。後続の高ガイドは自分のグループの最後尾を歩いている。

いつもながら、山道の整備が行き届いていて有難い。トイレは行程中に二箇所。
大きな休憩舎が丁度中間点にあって、ここでは殆どの登山者が昼食休憩をとる場所。これから上る人、下る人の交差する場所。顔見知りのガイドさん達が情報交換する場所。ガイドさんが湯を沸かしてコーヒーをサービスする。ここは展望台にもなっているが玉山は見えない。天気がよければ鹿野忠雄が初登頂した玉山南峰(3,900m)が望める。写真に見る様に、多くの登山者は若い人、日本の様な中高年登山者は殆ど見かけない。

休憩舎はキンバネホイビにとっても大切な食事の場。登山者から餌を頂くのを待っている様子だ。現地名は金翼白眉と書きます。 

 

排雲山荘まで残り3kmには巨大な峭壁。造山運動で海中の構造がせり上がった証しとして波の動きによる傷跡が残るという。標高3,100m。

小屋に近くなる頃に、待っていたのか雨が落ちてきた。出来れば今夜中に降って、明日の朝からは登頂出来る様に恢復をと。近くの岩場もこの様にガスで覆われはじめた。 

標高3,400mの小屋では、定員枠を外れた宿泊組が屋外大テントにまではみ出る状況。時折小止みになる雨の合間に外に出て写真を撮ったりしているが外気温は5~6度だから台湾の方には寒かったのでは。「なんとか夕食は屋外テーブルで」との願いだったが徐々に雨量を増してきてやむなく、狭い玄関ホールで我慢。数年前の12月末の登山時を思い出した。 

明け方前から、雨音が激しく、李さんも我々も登頂は断念との合意、高ガイドグループも他のパーテイも下山の準備。五時の朝食後になっても雨は同じ程度。登頂の場合は、これから二時間の後半は岩場、ガレ場の連続。雨で緩んだ岩石が落ちてくる危険は当然。見てる間に、頂上へ向ったのは数人のパーテイは一組のみ。しかも吃驚したのは禁止されている筈の羽織る形式の雨合羽着用で。このグループガイドはなんと心得てるのか。雨で中途断念も登山の一つ、雨中を歩くのも登山の一つ。小屋の中で雨対策を十分にしてから下山開始だ。
 この時期の山道は旧姓のニイタカ石楠花が楽しめる。下山路はもうあせる事もなく花の写真撮影などで。 
 下山途中は今朝登山口から登り始めた登山者とすれ違う。ざっと数えても今夜の宿泊定員程度の数となる。という事は雨でも排雲小屋まではほぼ全員が行くのだ。特に小学校5年生という集団が新品の雨具を着けて雨中を黙々と登っているのには驚いた。やはり、折角抽選で勝ちとった玉山登山の権利を簡単に手放したくないのだ。それと入山料やガイド料は前納だし。この事は雪山からの雨中の下山路でのすれ違いの際も同じだったので理解される。外国人並みの優遇制度の恩恵もないし。 

塔塔加で出迎えの警察車で上東哺の駐車場まで送って貰う。張さんの専用車に乗り換えて帰路へ。東哺温泉外れの食堂で昼食。「水里玉山線」というのがこの国道の名称らしい。以後、信義、水里、集集を辿り、又あの集集線の線路に平行して台中へ向う。台鉄台中駅かなり手前の高鉄台中駅まで送って貰い、専用車と別れて新幹線へ。敬老割引で台北に着いたのは三時頃だったか。雨に濡れた登山用具を乾かしたり、方付けたり、洗濯したり。ホット落着いたのが夕刻時。今夜は後発組とホテルで合流だ。

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玉山雪山計画-3 (奮起湖山荘へ)

2009-05-05 16:26:36 | 玉山雪山登山 2009年4月

 4月20日、朝9時半。ホテルロビーで今回の玉山、雪山のガイドをお願いする李さんと初対面の挨拶を交わす。台湾国家山岳協会理事という肩書きからお堅いイメージを連想するが。先回、先々回お世話になった曾ガイドさんの様に野球の王監督そっくりの厳しい風貌とは全く正反対である。早速付けさせていただいた渾名は「バカボンのパパ」で決定。しかし、大事な会話になると、手帳取り出して漢字を書いて筆談してくれるのが有難い。今日は時間にやや余裕があるので市内で101タワーと龍山寺に立寄ってから嘉義経由、奮起湖山荘での宿泊となる。専用車の運転役は先回と同じで張さん。 (写真はクリックで拡大)

 10時、高さ508mの101タワー展望台も生憎の雨模様。時折の雷鳴、眼下に走る稲妻も珍しい。写真はビル北側の風景。中央が台北市政府、左に孫文の記念館。

下から見上げるとこんな感じに。

ビルの前はいつも観光客で賑わっている。

 龍山寺は40年振りの訪問。市内では参拝者が一番多いという。
この近くの協会ご指定の食堂での昼食後にやっと市外に出る。

 専用車は市外に出てから李さんの自宅近く、お茶工場に立寄ってそこで働く奥さんからお茶をプレゼントされる。
 高速自動車道に乗る前にもう一組の登山者四名と合流する。
ガイドの高さんと女性1名を含めた珍しい中高年グループだ。二つの団体が相乗りの話は当初はなかったけど定員八名の大型のワゴン車だから賑やかになってよかった。

 嘉義で夕食をとるという。メニューはシャブシャブがいいか餃子がいいかと筆談で。
むろん蒸餃子の他に惣菜皿が多数も。嘉義名物の鶏肉飯もある。 
 夕方近くになって、やっと阿里山街道を上り出す。途中台湾バナナの差し入れもある。街道から別れて奮起湖に向かう頃には闇の中を走る感になる。奮起湖山荘は女性グループなどで満室状態だが、一番奥の部屋で小林さんと同室する。到着時は見かけなかったが、気になるあの名物女将は朝の食事時には店に出ていた。

街道の峠地点となる上東哺で張さんの専用車と別れて、警察小隊署までから少し歩く。入山許可、パスポートのチェック、玉山登山心構えのビデオでの研修を受ける。その後警察の送迎車で10分、塔塔加登山口へ。

 登山口から遥か下の大渓谷は明瞭に見下ろせるが、これから上る登山路方面はガスで覆われている。夕方までは天気は持って欲しいが。
 記念撮影は二組の合同だから大変に賑やか。左から当グループのガイド李さん(渾名はバカボンのパパ)、小林さん。もう一つのグループのガイドの高さん、柴田理恵さん(渾名)、お若い鶴瓶さん(渾名)、山村総さん(渾名)。カメラは畠山。
 今後の登山路の無事を祈願しながら出発!

登山道に入って、早速見つけた花はミヤマコケリンドウ(鹿野忠雄の書、「山と雲と蕃
人と」から)。

人懐こい鳥はキンバネホイビイ(同上鹿野忠雄の書より)。

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