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春稜庵でお話しましょう

四季の変化を楽しみながら身近に感じた事を伝えます

台湾へ.玉山登山と観光の旅(その2)

2017-01-29 11:21:16 | 登山と観光旅

  さあ出発だ! 空港駅で、仲間四人と合流して、空港を予定通りの時間に出発。桃園空港到着も、ほぼ時間通りだった。
 到着ロビーには、数日前に電話で依頼した通りに、大統ハイヤーの運転手さんが、私の名前を漢字で書いた大きな紙をかざして待機していた。肝心の名前は? 読み方は合っているけど、文字が違う! まあいいや! 車も大きな荷物を持つ我々の為に大型ワゴン車だ。台北駅前のYMCAホテル迄よろしく送って下さいよ! 

  このホテルは二年ぶりだ。カウンターには、日本語スタッフが二人。続きの二部屋に分かれて。さあ、まだまだ午後の時間がたっぷりある。周辺を散策しよう! 明日からは、登山の予定行動になる。朝にはガイドが迎えに来るから, 今日は貴重な半日だ。順路は、228記念公園~総統府~台北駅という事で、時間があればもう少しは? 夕食は、駅前の「和民」が店の場所をチョット移動したけど、相変らず人気店という。その店で夕食でにするか。

先ずは、近くの 228記念公園へ。228とは? 日本の敗戦、撤退 に続いて中国国内の内戦で共産党軍に敗れた蒋介石の軍隊とその一派が、大陸から台湾へ逃げ落ちてきた(外省人)。そこで台湾を支配下にした強権政治を開始するが、従来から居住する台湾の内省人の反発が絶えない。 1947年2月28日市場でタバコを売っていた女性に憲兵が発砲して始まった内乱事件のことを云う。

 つまり、この公園は内省人の反政府運動の拠点になった地区であった。だから、国民党政権は、この公園の名前を替えようと提案していたけど、民進党など国民の賛同を得られなかった。

 

↓ 正面の建物は反政府運動の拠点として、当時の日本放送協会(NHK)の放送設備を使って全国民に呼びかけた。 現在の名称は228記念館となっている。あらためて、内部の展示を見学する。


  ↓ 公園内から見える駅前の「新光三越ビル」の姿 

そんな、歴史を持つ公園だけど、今では市民の楽しい憩いの場として貴重な存在になっている。
台北に行ったら、是非立ち寄りたい公園だ。

↓ 園内には、平和の象徴を表現するモニュメント もある。

 


さあ、次は228記念公園の西南角からすぐ隣へ。総統府だ!ここも 日本時代の建築がそのままに。  今から100年ほど前に建設されている。設計は長野宇平治。 けれど↓ 写真の左半分が戦争時代に米軍機の襲来で損害を受けて修復されている。
 
 残念ながら、当方には、出来なかったけども、内部見学は午前中ならば、旅券提示で誰でも可能。日本語の案内者から説明をうけながら一時間ほど、一階部分だけ。ここでも日本の歴代の総督8人(?)が、人物写真パネルを前に説明され、業績も評価?されるのだ。

 真正面の道路上から写真を撮ろうとすると、ある男性が現れて、 「あっち斜め正面から撮りなさい」と指示する。警護の都合からか? 建物の正面玄関からは、現職の総統も出入りできないという程、大切な場所らしい。 

 

次は!総統府の北、道路を挟んで台湾銀行(日本銀行の様なもの)がある。↓
これも日本時代の建築。↓ でも、さすがに、台湾名物のバイク駐車は 整然としているね。

 

さあ次は? 大通りを北方向に歩いて10数分で台北駅に到着! 乗車でなく駅舎の見物だ! 
 ↓ 立派で、大きな駅だな~。

 

 この駅舎は、30年程前に完成しているけど、それ以前の歴史は長い。今の駅舎は日本時代も含めると、9代目になるそうだ。 乗り入れしてる鉄道は、台鉄(国営の在来線)、高鉄(民営の新幹線)、MRT(公営の地下鉄が二路線)で、全て地下に軌道と駅施設があるので、地上は商業施設となっている。

 ↓ 構内の吹き抜け部分が名物。屋根天井の窓から青空が望めるのだ。 

  

 ↓ 構内を散策する仲間達。食堂街もずらっと。

撮影はKさん

 

↓ さて、お次は何処へ? まだまだ、明るいから夕食には、早いしね。

 撮影はKさん。

 では、これも観光名所の龍山寺に行きましょう!ということに。
タクシーで、十分ほど。MRT板南線では二駅だけど。

↓ 相変わらずの賑わいの龍山寺だ。すごい参拝者だ!  前殿から正殿を見る。

 

 

 ここは観光名所とはいえ、地元の方にとっても大切なパワースポットだから溢れかえる参拝者。
正規な手順でお参りをすると、ややこしいので、当方四人は、ただ眺めるだけ。
 本来は仏教寺だけど、今では道教も儒教も含めて、七体の神が祭られているので、全市民の心のよりどころになっている。しかも、この建築の芸術性が評価されて、国宝にも指定されているし。

↓ は回廊の屋根と近接する近代建築の対称が面白いね。 



↓ さらに境内には、こんな見事な滝もある。まさに、憩いの場所でもあるのだ。

 さあ、駅前まで帰ろうか! と仲間達。今度は歩いて裏通り表通りと、辿り歩きながら。

 で、宿舎ホテル「YMCA」に近い「和民」という 人気ある日本ブランドのレストランへ到着。
でも、入った途端に分かった。アレッ、雰囲気が、以前の「和民」とはちょっと違うね。
 店の場所が従来のビルから移動している、という事は?多分経営資本も替わったという事か?  
 
 でも、台湾に到着後、半日散策を、仲間等と楽しんでからの食事には、いいお店だった。「明日から三日間の玉山登山では よろしくお願い致します」という事で。 

  YMCAホテルに戻って、隣り合わせの二部屋に分かれる。 
 明日の朝は、ガイドさん車の迎えが早いんだ!   では、おやすみなさい!

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台湾へ。玉山登山と観光の旅(その1)

2017-01-22 14:07:03 | 登山と観光旅

 当HPの中で、この「旅記録」というページでは、「日帰りでない登山」と 若しくは「日帰りでない観光」の旅の記録というのが趣旨である。過去十数年前から投稿している。クルーズを含む海外旅行、海外登山、国内登山と観光の旅、等々で。 

でも、そんな機会は少なく、年に数回程度しか体験してないのだ。 しかも、数十年前に巣立った学窓の友人「四人の会」の旅行記録は別途で、当HP内の「交遊録」へ掲載にしているし。

 昨年は、ある事情で機会に恵まれずに、一切の投稿歴がなかった。けれど年末に台湾へ。登山と観光を。 久々である。

さあ、本題に入ろう。
 台湾玉山登山は十年ほど前から、五回ほど経験しているので新鮮味がなくなったのか、 帰国してから一か月を過ぎても投稿する気分が湧かないので、自分でも焦ってきた。

 

 

 今回の仲間の構成は、自分以外の三人は,互いに初対面だから、数か月前に、顔合わせの場を持っている。
 さらに、玉山登山に必須である公認ガイド団体、その選定には苦労した。

 最初の三回の登山は「国家山岳協会」という、当時の政権与党、民進党系列の団体に依頼して、当方数人だけのガイドを請けてくれたので、うまくいった。やや高つくけど。李登輝氏を理事長にしているので安心か?と。

 しかし、政権が民進党から、国民党に移行すると、その団体も休眠状態になってしまった。
 で、現地法人で日本の」運送会社系列の旅行会社に転向したが。以前の山岳協会のガイド手法と比較するとちょっとね。ばらばらに申し込まれた日本人10人迄を、一団体にする手法は納得出来ない。安上りになるが。 今回も、そこにお願いしようとしたけど、11月下旬からの催行はしないとの事で、ダメに。この季節になると10人が揃う見込みがないからか?

 で, 他の団体を探していたら、昨年まで暫くの間は政権与党だった国民党の系列団体「中華民国山岳協会」に出会った。
メール、電話で担当ガイドと情報交換していると、政府の管理者の国立公園局とかなり親密らしい。しかも、かっての「国家山岳協会」と同様に我々四人のグループだけで請けてくれた。
 しかも費用の事前納金は不要で、台北出発時に払えばよい、という。
ガイド氏との連絡法はメールで即刻返信がある。 でも、日本語がやや不完全なので解釈に悩む事は、しばしば。まして電話だと変な会話になりそう。 しかし、実直で愉快な人柄みたいだ。
 月に何度も玉山などに、登山しているとも。 お会いする時が楽しみだ。

 入山の日取りは、数か月前からガイド氏が設定している 12月の5日6日7日で国立公園局から許可が下りた。確か二週間前だったか。むろん飛行機のチケット予約購入は、それよりも前に「早期に済ませても、いいですよ」という連絡だったので購入してある。

次回(その2)は出発時からの記事を投稿しよう!

 

 

 

 


 


 

 

 

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