春稜庵でお話しましょう

四季の変化を楽しみながら身近に感じた事を伝えます

横浜上海クルーズ  その17

2010-07-12 20:45:32 | 船の旅

  このシリーズの締めくくりで「まとめ」をしようと、初めから先回の「その16」までを改めて見直してみた。が、もう既にそれぞれが「まとめ」みたいな内容になっているではないか。
そこで今日は書き残した事などを気ままに記して最終回としよう。 

  まず、気になる事は。ブログを読んで頂いた方から、よくある問い合わせで 「船の旅がいいのは分った。けど金はどんだけかかるんだ?相当かかったはずだ」 と。 きっと新聞などでみる日本船の案内広告から推測して 「海外まで行って、しかも九日間も船に乗ると相当な出費だな」 と思っているに違いない。 船の乗船費用は船室の選択次第で差額が違う。ただ食事は一緒。だから船室は小さくてもいい人、大きい部屋がいいという人、様々。
部屋価格は諸税チップ込みでバルコニー付き部屋で18万、窓のない部屋では10万、食事、飲み物、イベント、など。酒類は別。

今回乗船のアメリカ船とか欧州の船も日本の港に出入りするようになると、「船の旅は楽しくても高価格なもの」 で売る日本船との価格差が相当大きい事が分ってきた。
同じ外国船でも時期、航路でかなりの低価格で販売しているから益々分らない。

とにかくも、問合わせ頂く方が想像してるよりも、クルーズの価格は身近なものになっている事は間違いない。

 

さて、 海への憧れ。 「十五少年漂流記」とか「宝島」など児童向けの海洋冒険小説で育った世代は海へのそれが残っている。太平洋横断クルーズなんて今も興味がある。
だから寄港予定がない太平洋を船上で過ごせる日が数日もある当クルーズに大いに期待した。 

船が波を切って走るサーサーという音だけが聞こえる世界。 陽光の当たり具合で色合いが変化する海面の世界。 日の出、日の入をはるか水平線に見る世界。

初の外洋クルーズはやはり思い通りの世界であった。心残りはバルコニーで本を読みながら昼寝をする時間が少なかったこと。

地図を眺めるのが好きな私にとって、海上から見た側面の陸地がどう見えるのかを確かめられるのも楽しみ。
残念なのは、夜間に沖合いを通過した伊豆大島、種子島、屋久島、大隅半島、豊後水道、それと真昼間の東シナ海、などを見逃した事。

印象に残る船上から見た景色は。 東シナ海から壮大な長江へ入ってから大小の船が賑やかに往来する風景。 済州島の停泊地から見た韓国一高い漢拏山(ハルラサンの穏やかな山肌。 太平洋近海で波間に見た海蛍の青白い光。

 

船内の施設、設備、サービスなどは、既に当ブログ上で記載してきた。 今までに外国船での体験がないから、むしろ期待以上のものであった。 とくにジョッギングコースにはお世話になりました。

(拡大)

 最後にお世話になった方々にお礼を申し上げます。

 快適に暮らせるように、気を配っていただいたクルーズプラネットの皆さん、
 コミュニケーションの場を作っていただいた与太爺さんなどオフ会の皆さん、
 
 さらに、
 コメントをいただいたhata様、まり様、yotaji様、

 皆さん、またお会いしましょう。

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜上海クルーズ  その16

2010-07-06 13:51:48 | 船の旅

  横浜へ帰港の日。日の出前に東京湾に入って、五時半には横須賀沖を通過。
下船時間は指定された7時半に集合のグループに入っている。


朝まだきの東京湾から横浜港へと、いよいよ終幕する海の旅を船尾バルコニーから堪能する。  

(拡大)  横須賀沖通過。5時20分。

 (拡大)  ランドマークタワーが見えてきた。 タグボートが併走する。

(拡大)  舵を左に切ると、東京湾アクアラインの海ほたるPAが遠くに。 

(拡大)  横浜港の玄関、本牧埠突堤にある通信信号所の信号塔脇を通過。「入港OK」 の電光表示あり。通称横浜シンボルタワー(link)とも呼ばれてる。 これでも高さは48m。

(拡大)  ベイブリッジを通過する。 

(拡大)  船は前後の反転をしてから、船尾を先頭にして6時20分大桟橋に接岸。同じ埠頭の先には、にっぽん丸が接岸中。 早朝ながら数十人の見学者が大桟橋で待ちかねている。

(拡大)  バルコニーからのカメラ。名残惜しい一枚がこれ。

 

さて、いよいよ上陸。その前の慌しい食事を。
今朝はルームサービスの朝食はないので、メインダイニングへ。忙しいウエイタ-などに配慮して追い込み型の10人テーブルに着席。渡されたメニューもいつもと違って簡単なものが並んでいる。注文を取る南ア人のウエイトレスはメモを一切取らずに受けている。10人がマチマチの注文なのに。 同席の方々と、プロの技に感心しながら待つ。やはり、配膳も間違いなく完璧。 食後、下船時間が早い組なので皆さんに挨拶して先に席を立った。

 

指定の待機場所4階のシアターへ。指定の時間に。早くても遅くても混乱するからピッタリにとの前日の説明集会での指示だった。中へ入ると張り紙で 「右側半分へは7時15分組着席」、「左側半分へは7時30分組着席」 と日本語の貼り紙がある。しかし右側座席はもう僅かしか待機者がいない。すでに下船したのか。

しかし、一方の左側座席はほぼ一杯の状態に溢れ出る乗客。 それでも韓国人の誘導員はどうしても左側席内に座れと英語で怒鳴っている。今度は客側から日本語で喋れと抗議の声が。

その後、直ぐに分ったのだが、実際は15分組も30分組も一緒くたに同じ側の席に座らされていたのだ。  客の殆どが日本人、予めの説明会も当日の張り紙も日本語。が、その場の誘導員は英語での大声。これじゃ混乱だ。

 

とにかく下船開始。ターミナルビルではスーツケースの山々。が、グループ毎に仕分けされているのでそれ程の時間はかけずに発見。入国審査も例によって、船会社が一括で済ませているので窓口もなしに。スーツケースなどの大荷物をその場の宅急便カウンタ-に引き渡して身軽になる。下船は人間様より、荷物を船の外に下ろす方が時間がかかり難題なんだ。人間様はあわてて下船しないで、ゆっくりと最後の方でもよかったんだ。

 

落着いてから、埠頭ビル内の喫茶室でお茶を飲みながら、待ち合わせで市内から来る知人を待つ。九日間の初めての船旅の中からまだ抜けきらないで。入ってきた知人と会話をはじめて、やっと帰ってきたなと実感する。

このクルーズ体験のマトメをしてみよう、次の最終回で。

 

 

 

 

 

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜上海クルーズ  その15 (後半)

2010-07-03 10:59:12 | 船の旅

   

今回は (その15-前半) からの続きです。 動画が割り込みましたのでブログ掲載の制約からこんなに妙な構成になりました。あしからず。

スタッフ全員が揃った階段の舞台では
先ず、オーストラリア人のシェフが挨拶、次に日本人寿司職人が挨拶。続いて全員で合唱する。一曲目は知らない曲だったが、二曲目は武田鉄也の「贈る言葉」だ。
これがウエイタ-氏が言ってたジャパニ-ズソングだった。昨日の夕食時も「明日は必ずここで食事を!」とも言っていたっけ。800人の客と70人のスタッフが一緒になってのお別れの会になった。 総立ちの中でのアンコール曲はみんなで「贈る言葉」を合唱してお別れした。

(拡大)  九日間のクルーズの最後らしい雰囲気。

(拡大)  客船だから味わえる楽しみ。

 

この後も食事は続いた。
戻ったウエイタ-氏があわててデザートメニューを配る。この機会に二人にチップ封筒を手渡してから記念撮影。 こんな体験は陸の旅行では味わえない。船旅は楽しい。

(拡大)  担当ウエイター。得意は鼻歌。 

(拡大)  担当サブウエイタ-。渾名は胡椒娘さん。

 

食後にデッキに出て熱気を冷ます。暗闇の中の波頭に青色の光を放しながら漂うもの、これは何だ?  誰かが海蛍だと叫んだ。初めてみるこれが海蛍か!

最終夜は11階の展望ラウンジでと。ところがやはり大勢の客でディスコフロア-に変身している。これでは深夜までかな。グラス一杯で早々に引き揚げて、やはり落着く所は自室のバルコニーへ。ルームサービスはいつものメニューで。
波間には海蛍が幻想的な青色光を微かに放って漂っている。

 

スーツケースを忘れずに廊下に出す。今夜中に集配を終えて明日の上陸に備えるという。 

部屋に残されたのは手作りのタオルアニマル達だ。大きい順に並んでるね。君達とも明日はお別れだね。おやすみなさい。 

(拡大)  毎日、ひとつずつ増えていった作品。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜上海クルーズ  その15 (前半)

2010-07-03 10:11:48 | 船の旅

7時過ぎに高知の西南端の沖ノ島近くを航行。ここまで釜山港から13時間、ほぼ400km余。関門海峡も豊後水道も難所だから速度を下げて。

(拡大)  足摺岬周辺。 

(拡大)  上図参照。沖の島はレジャーの島で、釣り、ダイビングなど。 

(拡大)  沖の島を過ぎるといよいよ太平洋だ。航路を徐々に北東に向け出す。

 (拡大)  船尾バルコニーから見ると船が残す波の航跡がカーブしている。

(拡大)  8時半、この辺りが土佐清水の足摺岬かな。

 足摺岬から東京湾口まではほぼ真っ直ぐに。ただ陸地からかなり離れて航行するので船から目視できる陸地は少ない。昼間では潮岬くらいかな。

 (拡大)  

最終の航海日、思い切り海を味わおう。で、夕方までは、写真を一枚も撮ってない。名残惜しげに船内をぶらつく。縁のなかった店舗ゾーンをひやかしたり、図書室を覗いたり。馴染みの屋上デッキから、どこかに船でも見えないか?などと双眼鏡で果てしなく広い太平洋を覗いたりで。なんて事もなく過ごす一日がよい。

6時半頃日没を船尾から。大王崎の沖らしい。

(拡大) 夕陽は厚い雲の中へ沈んでいく。

 

 下船説明会と、荷造りを済ませる。後は事前徴収されているので、不要ですとの説明があったけど。やっぱりお世話になったスタッフへ些少でも追加のチップを用意する。楽しい夕食をとの気配りしてくれた鼻歌ウエイタ-氏とサブウエイタ-の胡椒娘さん。沢山のタオルアニマルで和やかな船室にしてくれたキャビンスチュワード。五階の受付カウンタ-の上には宛名が印刷されたチップ袋が準備されている。客船の文化というものか。


夕食前、遅れたけど最終日のショーを観に。ちょうど船長以下のスタッフが挨拶を終えて揃って退場するところだった。拍手で行進を送る。

 

メインダイニングでは。   
ウエイタ-氏の顔はやや緊張気味で、「今夜はあなた達の為にジャパニーズソングを歌うよ」と。それで配膳の手元がいつもとちょいと違う。メニュ-の中には和食物もある。

                                 

(拡大)  食事前にクルーズプラネットの方と。

(拡大)   同  上

 

 メイン料理が仕舞う頃合に突然賑やかな音楽、と共にパントリ-附近の客席でナプキンを頭上に振りまわす光景が。
シェフを先頭に厨房スタッフ、ウエイタ-、サブウエイタ-等が行進して、吹き抜けの階段に勢揃いした。客は手拍子、口笛で盛り上げる。お別れのご挨拶かな?

(拡大) 吹き抜け階段を舞台にして70人のレストランスタッフが集合。

 

 この続きは 次の(その15-後半) をお楽しみに。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜上海クルーズ  その14

2010-07-01 11:16:52 | 船の旅

釜山港を出航したのは18時。
さあ、深夜の関門海峡通過を前にして、今宵は二度目のフォーマルデイだ。深夜まであちこちで様々なイベントが続く。さっそく蝶ネクタイ姿で夕食前の音楽会へ。ビッグバンドジャズと社交ダンス。観てもよし、聴くもよし、踊ってもよし、カメラを構えるのもよしとするか。

いつもの時刻8時15分、いつものダイニング、いつもの席、いつものウエイタ-。 今夜のウエイター氏は何故か張り切っていて動きが軽い。「明日は朝食もここで、さらに必ず夕食はここでとって欲しい」ともいう。明日はクルーズの最終日だし、通常ならチップを渡す日だ。彼らのお愛想の元はここかなと推理してしまう。

客室のタオルアニマルは夜だけでなく午前の清掃時も作って置いてあった。ここでも明日のチップを前にした船内スタッフが最後のサービスに努めている。

 

深夜のイベント、11階のラウンジでのディスコタイムを覗いてから、気になる関門通過時間が近くなったので船室に戻る。 

(拡大)  ラウンジのディスコフロアー入り口でためらっているご夫婦。

(拡大)  ラウンジでは年齢に関係なく楽しんでいるのに。


部屋に戻ってすぐに、ルームサービスを依頼してからバルコニーで待機する。
両隣のバルコニーでも双眼鏡を準備されて待っている様子。
関門海峡の大型船通過は深夜に制限されている。その時刻は船内放送で案内されていた。

関門マーチス(関門海峡海上交通センター)(link)  から発信される船舶誘導無線を受信しようとはるばる持参した受信機をセットする。感度は良好なり。
しかし、マーチスからの音声は受信できるが交信相手の本船レジェンド号からの音声が受信できない。何故かな? 多分、本船のアンテナと船尾にあるこのハンディ受信機との位置関係がよくないらしい。屋上デッキに出れば解消するけど。


釜山を18時に出てから6時間、響灘を通過する頃には、午前0時半を廻った。いよいよ海峡の入り口へ。この深夜時刻でも往来する船舶はかなり多い。

船尾からは確認できないが、パイロットが既に乗船したので、彼を乗せて来たパイロット船が引き返す様子だ。

さあ、お待たせしました!関門海峡だ!

(拡大) 関門海峡図 、狭くて蛇行する航路は大型船には難関。

(拡大)  午前1時前、左舷、下関市の彦島の海岸線か。海峡内の関門港附近だ。この辺りは、やや霧が出ていて視界はよくない。進行方向は南東だ。

(拡大)  1時頃、小倉港沖を過ぎると、進路をV字状に反転して北東にとる。右舷には深夜の門司港の灯りと門司タワ-展望台が見える。 

(拡大)  今度は橋の手前で進路をやや東へ振る。左舷には下関港の灯りが点滅する。走る車のライトもくっきりと。 
 

(拡大)  1時15分、関門大橋を通過、屋上デッキでの喚声が聞えてくる。見上げる真上の自動車道は中国自動車道と九州自動車道の接点。

(拡大)  通過後見返すと門司港の灯り。

四年前にパンスターフェリーで通過した時は蛇行航海にかなり揺れた記憶があるけど、今度はまったく揺れなかった。操舵が上手いのと、大型船のお陰かな。

これで今夜のイベントは終了する。海峡通過の醍醐味を十分に味わった、門司、下関の深夜の街灯りも、潮の香りも 。あと7、8時間で豊後水道を抜けて、太平洋へ出る。今夜はこれでおやすみなさい!

(拡大)  灯りは下関港。進路を再び南東に戻しつつ周防灘から伊予灘、豊後水道へ向う。  

(拡大)  周防灘から豊後水道に至る図 

 

翌朝7時に目覚めた。さっそくバルコニーに出て位置の確認をする。

(拡大)  船の位置は高知県の西南、沖ノ島沖へ。左の島影も含めて沖ノ島。ここを過ぎてから太平洋に出て、北上する。

いよいよ最後の一日、終日航海の日。四国沖、紀伊半島沖、伊良湖半島沖までの航海となる。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする