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春稜庵でお話しましょう

四季の変化を楽しみながら身近に感じた事を伝えます

台湾登山無念!の旅 (その11)最終回

2011-01-12 22:09:27 | 台湾登山 無念!の旅  20010年10月

 玉山登山は山荘の改装工事中とて断念、さらに雪山登山も台風で入山禁止などで、あきらめの晩秋の台湾の旅となり、無念の旅として長々と編集したけども、中味はたったの一週間の旅ブログ。数回限りでと予定していたがとうとう11回にもなった。台湾の山々が気に入って何度も登っているように、台湾の街も何度訪問してもわが街の如くで。書けばキリがないほど。

最後に、帰国の前日と当日の二日間の台北周辺の散策を思い出して、断片的に書いてみよう。

 

   毎度お馴染の、昔からある登山道具屋さん、「登山の友」 という店名が親しみ易い。 宿舎から近い中山路と忠孝路の交差点脇にある。しかし最近はそこの並びの前後の店舗にも登山関係の店がずらっと並ぶようになって便利といえば便利かな。登山地図なども豊富にある。  東京でも神田の古書街以外には、こんな現象は見られない。台湾の登山が隆盛になったのか。


交差点の方から見ると。山道具屋を表す看板が面白い。


反対側から交差点方向を見ると。

 

サムさんの車で午後の三時昼過ぎに総統温泉に向う。台風の影響で自動車道路に接する、海岸に寄せる波のすさまじさを見ながら。  テレサテンの墓は一段と人気が出て墓前の整備もさらに拡大。この像も確か以前とはちょっと違うかな。こんな金ぴかじゃなかった。

 

ここ太平洋を見下ろす斜面の閑静だった墓地も観光人気のおかげで今は満杯状態で増設計画があるそうな。 さらに人出が多い土地柄という事で最近は美術博物館も新設されて
いる。

 

その後、総督温泉の屋上野天風呂から荒れる海の情景を十二分に堪能してから、夕食を近くの野柳海岸の 「四姉妹が開いている店」 に行こうということに 。しかし店に入ると 「四姉妹じゃないよ、私を入れて五姉妹の店だよ」 と注文を出したのは彼女等のオッカサンだった。なるほどまだお若いな。これもよしか。


四姉妹の店には日本人客は滅多に来ないとのこと。先ずは下の写真のようなアサリ料理から。 

 

 

翌日、空港に入る前に、通常の道を外れて遠回りに、市内から海岸沿いに出てから空港へ向うルートで宿舎を出発。

市内を巡って、孔子廟などを見学してから、淡水川沿いに北上して東シナ海に面する海岸へ出る。数キロ海沿いの道を走って空港近くの漁港へ 



賑やかな魚市場を覗いたり、店頭販売の魚介を料理に捌いてくれる下の写真の店で最後の食事を味わう。いつもは同席しないサムさんも一緒に昼ご飯という事に。 お別れだからね。



漁港に近い海辺、荒れる海。それでも若者が強風の中を凧を揚げている。 

 

 

最後になりましたが。

今回予定の登山は突発的な台風災害で直前の入山禁止の通告を受ける。日本では考えられない行為だけど、行政指示での登山行動禁止はいいことだなと思う。我が国では個人の入山は禁じない。とかいっても場合によってはヘリコプタ-救助要請などには応えている。変だな!

国立公園内の山岳登山の入山出入りを制限して管理するのはあるべき姿だと台湾の国外からもも大賛同する次第。

 

とはいえ今回の登山計画に同行いただいたけれど、こんな状態になってしまった。しかし愚痴を言わない安藤さんには感謝と御礼を申し上げます。初の台湾登山に成果がなく申し訳ない。

台北の周浩元さん、ご助言をいただき有難うございました。この春に予定の玉山登山では再びお世話になります。

  皆さん! 次の台湾登山の成果報告ブログで、再びお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

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台湾登山無念!の旅 (その10) 

2010-12-28 21:03:42 | 台湾登山 無念!の旅  20010年10月

 礁渓温泉へ。日本の航空会社系列の人気のホテルは。

 

順序不同でホテルの見事にデザインされた各場所を探索してみましょう。この建物の設計には裏も表もなく、どの場所に行っても、どの部位でも丹念に意図されている。

 

  今回の雪山登山計画でも下山後には訪れる予定であったこのホテル。一昨年の下山後にもはじめて訪れたのだが。その記録が当ブログに掲載されている 「玉山、雪山登山計画その7」 を参照して下さい。

 フロントサービスが今回はちょっと替っていて、スタッフの女性が部屋まで案内し、室内でお茶と菓子で接待するようになり室内設備の扱い方説明も。和風旅館の仲居さん役である。
 前回はチェックインの後は喫茶ラウンジで、ケーキとお茶の接待だったが。ケーキは食べ放題!

 先ず客室はどんな具合かな。
二人用の部屋なので和室は付属してないけど、寝室の他に、居間の面積が広く、浴室の窓からの眺望もよく満足である。すべて和風造作である。写真に見える和服は浴衣でなくジンベエ形式の衣装で館内は食事時もこれでオーケー。


室内からの眺め。


和式の浴室。利用しなかったけど。浴槽には温泉が給湯される。

 

食事は夜も朝も人気のバッフェレストランでと注文した。和食とか、中華とか、その他のメニューの注文の場合はそれぞれの専用のスペースとなる。やはり人気なのがここ。窓ガラス越しに街の灯り、昼ならば太平洋まで視野に入る。


夜のバッフェレストランは大入りになる。バッフェと言ってもメニューは豊富で多彩。 
「その皿の料理はどこに置いてあるの?」 なんて聞かれる具合だ。


朝食も同じバッフェスタイルの場合はここ。夜と同じ様にメニューは数限りなく。


 
朝の日式(日本食の)食堂を覗いて見るとちょっと空席がある。北海道産の魚介を中心のメニューにしていたが。


夜バッフェでの食事後は吹き抜きの階段を上がって、バーカウンターへ。隣の図書棚から持出した本を読みながら台湾ビールを。向かいのガラス大窓からは街の夜景を堪能する。

 

 

 やはり感心するのが図書コーナー、従業員も合間にここで読書するように勧めているという。


先ず蔵書の内容が気に入った。種別が多彩で興味をそそるばかり。


この図書棚のある通路がこのホテルのメインストリートになっている。




バーで読んでいた本を書棚に返して、就寝の時間だ。

 

 

フロントも和風造作。全員が日本語を喋るわけではないけど。

 


フロント前の待合スペースも木目調で統一。昨年は左側背後の壁がなかったが、区切り壁を設けて図書棚を増設させている。

 新米の季節、このコーナーは新米の販売促進コーナーだ。
台湾人は日本人に較べて米の食べ方が少ない、当地で美味しい米が採れたのでこのホテルで販売してるからお土産に買って下さいとの趣旨だそうな。

 

 

  順番が逆になったが、当ホテルの玄関ホール。時には催事場にもなるほどの面積がある。
天井から吊り下げられているのは羽子板の羽根を模している。袖壁に設計思想を記述したパネルが掲示されている。「禅の思想」がテーマという。ホールの脇にある坪庭が まさにそれを表現している。 当地宣蘭地方の著名人、作家黄春明さんの思想がこもったホテル。

 

最後に、建物の外からの観察へ。数百m離れた草地からの遠望。この左奥数十キロ先に雪山がある。  

めったに宿泊客も含めて誰も足を踏み入れない様な裏手になる部位でもきちんとした美しい姿が見られる。手抜きをしない思想だ。

 

 

次回(その11)でこのテーマを終了する予定。最後は台北市内と周辺の想い出の記録で。

 

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台湾登山 無念!の旅(その9)

2010-12-17 21:29:47 | 台湾登山 無念!の旅  20010年10月

阿里山鉄道の日の出列車で祝山へ

一昨年、四人の会鉄道の旅でこの阿里山を訪問している(link)。やはり同時刻早朝五時半発の日の出列車で祝山に行ったけれど空振り。  しかし今回はよかった!

日の出列車は往復一回のみ。宿泊した観光客のほとんどがつぎつぎと早朝から駅にやってくる。こんなに泊り客がいたのか!いったい、どのホテルに泊まっていたの!

 阿里山駅前で (写真は拡大)

全車両がほぼ一杯の着席状態で数十分の乗車時間だが、賑やかに出発。ここでも大騒ぎで、お祭り気分で、仲間で大声を張り上げて周囲を圧倒する中国人団体が主流だ。

あとでサムさんに単に外見だけで中国人、台湾人、日本人を判別出来ますか?と質問したら 「体型で分りますよ、大柄太目が中国人、小柄ほっそり型は日本人、その中間が台湾人です」 と。やや曖昧。だけど団体となるとすぐ分るのが中国人だ。しかし台湾人日本人は同じ様に静かだから判別できない。

車内は満席 (写真は拡大)

車内では早くも夜明け状態になって、樹木の間から垣間見える空が白んでくる。祝山駅に到着すると駅前すぐに展望台がある。周辺の屋台から客目当ての呼び込み声がけたたましい。暖かい食べ物、飲物、さらに防寒着も。

喧騒から逃れて、坂道を10分ほど登ると静かなもう一つの展望台がある。しかし五、六人の 
中国人がやってきて雰囲気がややこわれる。数人の女性がこんな東屋を背景に記念写真の撮影会がはじまる。まるでプロのモデル嬢のようにして。大袈裟に両手を空に向けたポーズ、大袈裟な奇声を張り上げながら。お月さんに興奮してるのか。日の出に興奮してるのか。
思い出した、春の上海黄河の夜のクルーズ甲板上でもこんな女性達がいたっけ。

お月さんを背に中国人女性の撮影会開始(写真拡大)

しばし待つと日の出だ!
玉山本峰と北峰の間に上がるお天道様は二年越しのお土産となって感謝する。雪山登山の代わりにしては好運に恵まれたのだ。来年の台湾登山への気持ちが高まった。 

玉山から陽が上る (写真は拡大)

 

日の出列車 (写真は拡大)

帰りの時間に余裕があれば列車に乗らずに山道を歩いて戻る人もチラホラ。1時間ほどかかるのでは。朝飯前のハイキングには丁度よい森林観光になるのだが。

すっかり明るくなった阿里山駅。皆さん満足してホテルへと。 

蛇足ながら。この阿里山鉄道が早く復旧して全線開通が待たれる。まだ乗った事がない嘉義駅からスイッチバックを繰り返しながら阿里山まで何時間かかるんだっけ?

木造の駅舎  (写真は拡大)

                                (この回の写真は安藤さんのご提供です)

 

 

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台湾登山 無念!の旅(その8)

2010-12-13 13:30:30 | 台湾登山 無念!の旅  20010年10月

 阿里山のホテルでは 

サムさんの車で。台北を出発して途中に台中から紹興酒などの産地であり、台湾本島の地形上の中心地、埔里(プゥリィ)に立寄る。観光に時間をとられたので、嘉義から国道を阿里山へ向う頃には夕刻になってしまった。

 「夕食は国道から20分ほど北へ外れて阿里山鉄道の奮起湖駅周辺が賑やかでいいよ」 というサムさんの勧めで玉山登山の際に前泊するお馴染の町へ。直ぐに目に入ったその奮起湖山荘の灯りが消えていたのは何故かな、気になるが。

ここは台風災害で目玉の鉄道が長期間の不通になって以来観光客が減っていて、駅周辺の土産物店や食堂はちょっとさびしく、客も少ないので夜は早仕舞いの雰囲気になっている。見物がてら鉄道駅辺りを一巡りして再び国道に戻り阿里山へ。食事はホテルに着いてからだ。

 休止中の奮起湖駅舎(写真は拡大

宿泊の予約は済んでいるけど、遅めのチェックインしてから夕食を注文する。フロントスタッフは「用意出来るけど、なんでこんなに遅くに到着してから?」という雰囲気。多分厨房は、もう仕舞っていたのだろう。ビールはあるけど紹興酒はない、ワインならあるとか。ここは老舗のホテルなんだけど。 阿里山では翌朝の日の出観光の目玉の一つだから、その時間に合わせた祝山行きの列車に乗るために、前夜は早寝をして朝早く起きるのだ。

宿泊した老舗ホテル (写真は拡大)

この時間、他に客はいない質素な食堂の片隅に二人分のテーブル席が用意される。突然の注文だったが、色々とメニューを揃えていただいて満足。鍋料理もある。 

 慌てて用意された夕食 (写真は拡大)

 

鍋も美味しかった  (写真は拡大)

ホテルの経営者の女性が挨拶にでて「ずいぶん遅い到着ですね。なんで?」という。
そういえばここのスタッフは女性ばかりである。当時の小学校へ入学以来数十年も日本語で生活された時代の方だからむしろ日本語会話が懐かしいのだ。息子さんもこの近くでホテルを任されているという。

 

ホテルの経営者と (写真は拡大)

 

 翌朝、祝山で日の出を見てから、戻ると食堂には直ぐに食事が用意された。今朝は四人客と一人客と我々の三組が座席に。

朝御飯はお粥と饅頭 (写真は拡大)

較べるのは意味のない事だけど、一昨年四人の会で利用した当地では格上のホテルと違って、ここでは家族的なもてなしであった。

 

 

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台湾登山 無念!の旅(その7)

2010-11-29 15:22:29 | 台湾登山 無念!の旅  20010年10月

(その6)に続いて日月譚を周回してから集集の街へと向う。

 

(写真は拡大)

台湾で人気の観光地。数十年も前に訪れた頃はこの写真に見るように、これといった施設は少なく自然のみの景勝地だったとの記憶があるけど。今では湖岸をとりまくようにホテル、マンションなどの高層物が続いている。ここも阿里山と同じく中国からの観光客が多数、さらにマンションなどの所有者にも多く進出しているという。

国内では最大の湖だが、もともとは台湾最大の河川である濁水渓(当ブログのその6に記載された玉山山脈、中央山脈を水源とする河川) からの利水での発電事業ダム湖である。一方では湖岸一週(丁度40km程度)のマラソン大会、横断水泳大会など景観だけではないそうだ。

(写真は拡大)

(写真は拡大、左下に庵主の姿あり)
(安藤さん提供)

湖岸の観光ポイントでは集客が多い文武廟、文人の孔子と武人の関羽を祀る。廟の奥まで階段を上まで登りつめると展望台があり、湖の展望がすばらしい。

 

 湖岸をサムさんの車でひと回りして、再び水里の街へ戻ってから、あの鉄道ファンに知られた集集鉄道に沿う街道を集集に向う。この道路は美しい並木で知られている。その鉄道ファン達にも車窓からこの沿線風景を撮るのが流行っているという。

 予約の集集大飯店という駅に近いホテルでは。  カウンターには有難い事に日本語が喋る女性スタッフがいてチェックインは問題なし。しかもお好きなツインルームを選んで下さいと彼女自身が二つの部屋まで案内して客に選択させるではないか。サムさんの通訳なしでも十分オーケーだ。滅多に日本人客はないはずだけど、日頃は語学の勉強をしてるのかな。さらに 「この町で美味しいというレストランを教えてください」 という注文に、わざわざマイカーでその店まで送っていただき、さらに食後にホテルへ戻って、お礼を言うと用意の台湾バナナを差し入れて下さった。この小さな街のホテルで受けたサービスはよき想い出になりました。 

 集集(ジ-ジー)は 99年の大地震の震源地に近いのだが、今ではすっかり復興している。ただ武昌宮というお寺は倒壊した本堂を復旧しないで、そのままにして観光客に地震の怖さを実感させている。 新本堂はその現場の前にすでに新築されているけど。 

(写真は拡大)

 集集駅舎は昭和の始めの’30年頃に建設されたが、’99年の大地震時に倒壊、直ぐに復元されているから往時のままの姿が保存されている。台湾では建築物は何年経っても大切に使うという伝統はここの駅舎でも生きている。この駅舎だけを見学に来る観光客も多い。

(写真は拡大)

  これは模型ではない。狭軌道だった当初は木材運搬として働いた実際の蒸気機関車。人員輸送はしてなかった。日月譚周辺から伐り出した檜材などを運んだ。良質な木材は日本国内でも使われて、とくに明治神宮造営にも貢献し、あの大鳥居はこの地から運んだ木材ですよ、と地元の古老が自慢していた。

(写真は拡大)
これは現在の軌道で直ぐ脇には、昔の木材運搬時の狭軌道が残されている。

 

(写真は拡大)

今は観光名所となった武昌宮の被災時のままの姿。地震の怖さを教えるというよりこの建物にこの構造だったら倒壊は必然かなと連想させる姿。

(写真は拡大)

 

  一晩だけの集集の街だったが、親しみやすい雰囲気と、あたたかいもてなしに満足を胸に収めて台北に戻ることになる。ただし鉄道が、やはり先日の台風被害で始発駅から集集駅の一つ西隣の駅まで不通。で、代行バスでその龍泉駅まで行き、そこから乗り換えた集集鉄道で台中駅まで1時間ほどかな。折角の憧れの集集駅から鉄道に乗れなかったのがちょっと残念だ。心残りするとはこのことか。
 

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