ドキュメンタリー作品である。ネタバレ全開なので注意されたし。キツイと感じるかもしれぬ表現もあるのでそこも注意されたし。


耳が聞こえず、目も見えない、いわゆるヘレンケラーと同じ障害を持つ方を盲ろう者と呼ぶ。
全国にいる様々なタイプの盲ろう者を取材し、まとめたものであるが、ちょっと表現としてはおかしいが、どの場面も「当たり前」の光景であった。

障害があろうとなかろうと、それぞれ性格があり、様々な考えがあり、そして暮らしがある。そういう当たり前の姿を追っていた。障害を考える時に必ず出てくる社会への問題はあるが、そこは(敢えてなのかも知れんが)深く掘り下げておらず、きわめてシンプルな構成だった。前半に厳しい現実を並べて、後半に、誰にもある幸せなひとときや頑張りを持ってきている点も含めて。

そんな当たり前の中、芯になるのは「ひとは一人で生きていく事はできない」であった。そして何よりも「コミュニケーションがすべてのキモである」ということ。こう書くとありきたりな感じがするが、寄り添い、寄り添おうとする人の苦悩もきちんと撮られていたのは良かったと思う。家族でさえ、どう向き合えばよいのか迷いの中にいたりするのだ。

福島教授のインタビューでの「差別する側も、そして差別される側も、互いに相手の心を想像することが大切」という言葉が強く印象に残っている。「される側」にも必要であるという部分だ。

障害というものは社会的な面では不便、それもかなり不便だったりするが、「成熟した社会」でなら、決して弱者ではない。日本がそういう位置に追っつくまで大変だろうが。

そしていつも言うんだが、障害者はピュアみたいな見方、逆に生きる意味が無いという考え方はどちらも危険であるということ。障害者だって嘘こく奴はいるし、目配せや吐息だけで家族の心を癒やす場面だってあるからだ。

話が逸れていくので、感想に戻ろう。

最初に出てくる遠目塚さんは、はっきり言ってコントかと思った。
なぜなら、彼女は最初は聾唖であったが、視力を失ったのは「38才」だからである。
なのにあの洗濯物を干すシーン。衣類の扱いが乱暴すぎやしないか。
で、見えてる時に家事をしとらんかったんかと思えてくるわけだ。これは彼女の事ではないが、障害者は親に甘やかされるケースがある。

つまり盲ろう者であろうとなかろうと、彼女は「ちょいガサツ」な面を持っているという事だ。ほらね、ワシらと何の変わりもないじゃないか。ほのめかされる自殺未遂、深い闇の中で絶望する母と娘という厳しい場面もあったが、それは今の暮らしから見れば煽りである。だって、生きているのだからな。生きていくのだからな。

一番リアルに感じたのは、先天の聾唖で、視力が落ちていっている中、まだ見えている今の内に、大好きな能や歌舞伎を見たり本を読んでいるというOLの川口さんであった。
彼女がこう言う。
生まれ変わったら健常者でありたいと。

その場にいた手話通訳者が、そこで思わず涙する。ろう文化がある(全員ではないが聾唖の方々は自身を障害者だと思っていない人が多い)が、やはりそうなのかと。
リアルなのはなかなか涙が止まらない手話通訳者を前に、涙を流さない川口さんの表情であった。その顔は少し困惑しており、また少し悟ってもいる。ワシも聴覚障害を持っているが、彼女の静かで複雑な胸中が少し見えた気がした。

作業所での単純作業ではなく、仕事がしたいと言う川空さんの、うまくいかなかった恋愛についてと、いずれ家族を持ちたいし、父親として子どもを養っていける仕事を見つけたいという言葉は、シンプルだが胸に響く。

でも、盲ろう者の中にも福島教授のようなインテリもおり、厳しい物言いだが、努力次第では手に入れられるものも多くあるのだ。それは何度も繰り返すが「障害者に限ったことではない」という事だ。障害があるために範囲はやはり狭まれるが。

盲ろう者協会で働く村岡さん夫婦は、ライフスタイルなども含めて、ある意味「希望」ではないかと思う。
単純にいい夫婦だったし。特に夫がチャーミングで、ナイスなキャラだった。

2017年9月3日