晴れて中型二輪の運転免許をゲットした訳ですが、ナナハンライダーに成るには、これから限定解除審査にを受けて合格しなければなりません。
てな訳で、私は公道で中型バイクに乗ることもないまま、限定解除に通う事になりました。
まず最初に、受験者は事前審査を受けなければなりません。センタースタンドの上げ下ろしと、転倒車の引き起こしをするのです。
私は女の子と1人と一緒になったのですが、その女性は、バイクのセンタースタンドを外す事ができず、試験官に「はいっダメ」と言われ、目の前であっさり不合格になってしまいました。瞬殺です。バイクに跨る前にサヨナラです。
そしてその次は私です。事前審査専用のCB750Kのハンドルバーを持って、前方にグイッと押しましたが、動きません。やばいです。でも、こんなところで躓いてなんかいられません。気合をいれて二発目、ググイッとハンドルを押したら、無事、センタースタンドが外れました。
その後、試験官がバイクを寝かせて、引き起こしをしたのですが、大型のバンパーが付いている車体は浅くしか倒れないので、バンパーに手を掛けて、楽勝でできました。
そして、バイクのセンタースタンドを掛けて、目出度く事前審査合格となりました。
さあ、これからが本番です。試験車両VF750Kに乗って、限定解除審査を受ける時がやって来ました。
で、記念すべき限定解除1回目の結果は...見事に「中止」です。なぜ中止か。それは、急制動で停止位置を越えてしまったからです。それも半端じゃないくらいに...
例によって、緊張しまくっていた私は、どうやら規定の進入速度を遥かに上回るスピードで、急制動のコースに突っ込んでしまったみたいなのです。それでもってブレーキレバーをギュギュッと握ってしまった為、フロントタイヤが思いっ切りロックしてしまい、こりゃヤバイと思いながら人間ABSを作動させて、停止位置を5mくらいオーバーしちゃいました。
それでも鹿沼の試験場は、コースを最後まで走らせてくれました。懐の深い試験場です。
私の豪快な急制動失敗は、他の受験生には大うけだったみたいで、待合室に帰ると、「イヤーすごかったですねー」と何人かに声を掛けられました。
「試験には落ちたけど、うけたから良しとしよう」と思ったり思わなかったりで、私の限定解除初挑戦は玉砕に終わったのです。
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2、3日前からグランドアクシスのオイルランプが点灯し始め、今日遂に停車状態でも消えなくなったので、エンジンオイルを補給しました。
オイルの銘柄は、いつものヤマハ純正、スーパーオートルブです。
現在の走行距離は4550km。補給量は1L。前回は3720kmでオイル補給しているので、エンジンオイル燃費は800m/ccくらいですね。
ところで私はエンジンオイル補給にオイルジョッキを使ってます。
オイル缶から直接バイクのオイルタンクに補給するよりも作業し易いですね。
でも、会社から帰って来て暗い中、ヘッドランプ点けて、バイクをイジッているのは、知らない人が見たら不審人物ですな。
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ひょんな事から、VF750Fがタダで私の手元に転がり込んで来ましたが、私はまだ中型免許すら持っていません。
ここからが本番です。意地でも中型を取って、限定解除しなければなりません。
前回の失敗を教訓に、何があってもミスコースはしないと硬く心に誓い、鹿沼の免許センターに通いました。
2回目の成績は55点、3回目は50点、そして4回目に遂に70点を獲得し、晴れて中型二輪の免許をゲットする事ができたのです。
私が中型二輪の技能試験に合格した時のビデオが有りました。試験車両は確かVFR400Kでした。今見ると、よくこんな運転で合格させて貰えた物だと思います。
技能試験に合格すると、即日新しい免許証を交付してもらえます。
二輪免許の取得日は、1993年3月5日。これはたまたま私の誕生日の前日だったので、新しい免許証の有効期間は2年と1日しかなかったのです。なんか微妙に損した気もしますが、免許取得に掛かった費用はわずか1万円程だったので、良しとしました。
でも、喜びに浸っている状況では有りません。私はまだ自分のバイクを運転できる免許を持っていないのです。まだ、限定解除までの遠い道のりのスタート地点に立ったに過ぎないのです。
ここから、出口の見えないトンネルを進むような日々が始まるのです。
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