「ルパン」は犯人であってはならない男なのか――
足利事件の現場では、真犯人と思われる「ルパン三世」に似た男が目撃されていた。しかも男は、足利事件だけに留まらず「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」解決の鍵を握っている可能性が高い。真犯人に迫るこの連載は、すでに三回にわたり国会質問で取り上げられてきた。今年三月の参議院予算委員会では、菅直人総理が「今後、同一、同種の事件を防ぐ意味からも、しっかりと対応することが警察等においても必要」と答弁。中野寛成国家公安委員長は、ルパンの目撃証言は「信用性が高い」と答えた。
ところが肝腎の捜査当局は、この総理の言葉すらあっさりと聞き流していたようなのだ。
当局にとって、何が何でも消し去りたい男がルパンなのか。幹部は取材に来た新聞記者に対し「こんなの書いたら恥をかくよ」と囁いてきた。その一方で、国会ではルパンのことを「犯人ではない」と断じることもない。
再犯の可能性が高い危険人物に背を向ける捜査当局。今、この国の正義は座して死を待つのみなのか。
■放置されている危険人物
「総理の答弁後、新たな捜査に関しての指示をしたのかどうかこの点につきましてお尋ねいたします」
五月十六日、国会参議院行政監視委員会。マイクに向かうのは風間直樹参議院議員だ。先の総理の答弁が、その後の捜査にどう反映されたのか、警察庁の金高雅仁刑事局長に質した。
金高局長は「足利事件とその前後に発生した事件が、同一犯である可能性は否定できない」と連続性を認める一方で「警察としては引き続き捜査を尽くしてまいる、ということにしているところでございます」と答えるに留まった。風間議員は強い語調で迫った。
「局長、それは典型的な官僚答弁で、私の尋ねたことに対して答えていない! 一言で言ってください。新たな捜査を指示したのかどうか」
再度立ち上がった局長は「従来からそういった観点で捜査をしているところでございまして、新たな指示はしてございません」と答弁する。
「総理がそこまで踏み込んで答弁をしても、捜査当局としては動いていないと。これら政治家の指示を実際にはまだ反映していないということですね」
風間議員は、そう指摘し、当局に強く捜査を進めることを求めた。
栃木県と群馬県の県境で、七九年〜九六年の間に続いた、類似する五件の事件。これまでは、足利事件で菅家利和さんが逮捕されたために分断されていたが、その冤罪が明らかになった今、捜査当局も同一犯による犯罪であることを認めざるを得なくなった。つまり日本の犯罪史上、類を見ない重大事件がここに露呈したということだ。
予算委員会では、警察庁を所管する中野国家公安委員長が、平成二十二年のデータをあげ、子供に対する性犯罪は反復性が高いことを認めている。
十三歳未満の子供に対する性犯罪が「性犯、前歴ありというケースが実に五二%に達している。他の殺人、強盗などが一〇%前後ということから比較しても、いかに高いかということが現れている」と答弁しているのだ。
つまり極めて危険な男が、今も北関東のある街で、野放しとなっているという実態が明らかになったのだ。
だが、事件解決への道筋がないわけではない。それが真犯人・ルパンの存在だ。取材で浮上したルパンと考えられる男。その根拠は、何度も書いてきた。男は、足利事件当日、被害者の松田真実ちゃん(当時四歳)と会って話をしていたことを認めている。真犯人と同じ血液型であり、連続事件の現場に土地勘もある。パチンコ店に頻繁に出入りするなど、五件の連続事件犯の条件も満たしていた。そして、その男のDNA型は、一人の法医学者が鑑定した、足利事件の真犯人の型と完全に一致していたのである。
ところが、このルパンという男の存在を捜査当局は封印し続けている。
〇八年秋、群馬県太田市のとある飲食店の和室。私が向き合っていた相手は、県警捜査一課の刑事だった。
座卓の上に、一枚の大きな地図を広げた。小さな丸いステッカーが何カ所も貼ってある。それは私が取材で作りあげた地図だった。赤い丸は、幼女が誘拐された現場、パチンコ店や公園だ。そして、黒い丸はルパンの自宅。グレーの丸は追跡取材で判明した仕事先や立ち寄り先のパチンコ店などだ。
捜査員と膝を詰めて話した。五件の事件は連続犯ではないのか。太田市で誘拐された「横山ゆかりちゃん事件」捜査の参考になればと、ルパンの情報を細かく伝えたのだ。
しかし結局、刑事がその情報を生かすことはなかった。理由は簡単だ。ルパンが浮上した根拠は、彼が足利事件の真犯人の疑いが濃厚だということだったからだ。「もし足利事件が冤罪ならば、そして事件が同一犯なら……」。そんな妄想のような前提に立つ情報など警察官が理解するはずはなかった。
だが、それから半年後に菅家さんは釈放される。その後も私は群馬県警、最高検幹部などに情報提供を続けたが、ルパンは今も平然と暮らしている。
■封印された目撃調書
九〇年五月十二日、栃木県足利市。渡良瀬川の土手を背負うように位置するパチンコ店で事件は起きた。松田真実ちゃんが誘拐され殺害されたのだ。
事件調書によれば、真実ちゃんが最後に目撃されたのは、午後六時三十分頃とされている。証言者は、同店の女性従業員などだ。この女性は、前日にも真実ちゃんと話をしていたため、真実ちゃんを知っていた。パチンコ店の前で一人の男性と一緒だったという。その従業員に話を聞いた。
「親しげだったんで、最初は、真実ちゃんのお父さんかと思ったんですね」
その後の警察の調べで、その人物は、店の客のパチプロだったことがわかる。女性は真実ちゃんと「バイバイ」と手を振った後、すぐ近くにあった寮の部屋に帰った。その際に部屋の時計で時間を確認している。一方、パチプロの男性は、真実ちゃんがすぐ脇の道路を横断するのを見届けたあとは、店内からガラス越しに真実ちゃんを見たのが最後。その後自分はパチンコをしていたと警察に証言。真実ちゃんは忽然と姿を消してしまう。
同じ頃、パチンコ店の裏手の渡良瀬川の土手を、川に向かって下ってくる男と、赤いスカートの幼女が目撃されている。その服装は当日の真実ちゃんのものと同じだ。そして翌朝、二人が歩いて行った方向の先で、真実ちゃんは全裸遺体となって発見される。赤いスカートや、犯人の精液が付着したシャツが川の中から見つかった。
河川敷を歩く二人を見ていた目撃者は複数いた。その一人が、現場付近に住んでいる中年男性の吉田さん(仮名)だ。
私が、初めて吉田さんに話を伺ったのは〇七年の夏だった。そして、この吉田さんこそが「ルパン」の名付け親ということになる。
その日の夕方、吉田さんは河川敷でゴルフの練習をしていた。そこで土手の斜面を降りてくる二人を目撃する。
「ゴルフボールを三十個ぐらい持って芝生のところで、アプローチの練習をしていた。六時三十分頃、土手を子連れの男が降りてきたんだよ」
小柄で、やせ形の四十代ぐらいの男性に見えたという。男は小さな女の子と手をつないでいた。
「顔ははっきりとは見えなかったが、すばしこそうで、雰囲気が漫画のルパン三世に似ていたんだよ。その男が歩いて行った先で遺体が見つかったんだから、間違いなく犯人だと思った」
吉田さんは、目撃現場にまで同行しインタビュー取材にも応じてくれた。
この吉田さんに、私が追い続けてきた問題の男の、事件当時の写真を見せると「そうそうこんな感じなんだよ」と肯定したのである。
同じ場所での目撃者はもう一人。主婦の松本さん(仮名)だ。松本さんはすでに足利市から転居しておりその取材は困難を極めた。
〇八年の春のことだった。朝、携帯に着信があった。「私、松本といいますが……」。男性の不機嫌そうな声で一気に目が覚めた。
目撃者の夫だった。
私は、ご主人のかつての勤務先に手紙を出していたのだ。
ただし、松本さんは大変にお怒りだった。私は、頭ごなしに罵倒された。「なぜ、私の勤務先が分かったのか」から始まり「どうして今頃こんな取材をしているのか、事件は解決しているんでしょう」等々、当然とも言える疑問であった。聞いてみれば、その怒りの根底にあったのは過去のトラブルだった。
九〇年に捜査に協力した松本さんだったが、その日の夜に自宅に新聞記者が訪れたという。幼い子供を狙った事件の連続に、市民が恐怖のどん底にいた時のことだ。しかも松本さん夫婦には同じ年頃の子供もいた。そんな中で住所や名前が、その日のうちに外部に漏れたことに対する怒りだったのだ。
私も失礼を詫びるしかなかった。
しかし、結局は私はそのご主人の計らいで、後日、目撃者の松本夫人と会うことが出来たのである。
「妻は、絵を教えていて、目で見た物を瞬間に記憶する力に優れているんです。事件直後、テレビのニュースを見ていて、女の子(真実ちゃん)の写真が出たときに、“あっ! この子見た”って言うんですよ。だから、すぐに警察に連絡したんです」
その日は、薄曇りだったという。
松本夫人は、午後六時ごろから、子供たちを連れて河川敷の公園に来て、四つ葉のクローバーを探していた。近くにはゴルフをする男性、つまり吉田さんがいたことも覚えている。
ふと目をあげると、芝生の上を幼い女の子を連れた男が歩いている。
「女の子が、男の人の前後をちょこちょことついて歩いていたんです。自然な形で。散歩してるような雰囲気でした。その子供も、安心してる感じですね。信頼してついて歩いてました」
夕刻になり、雲の隙間から西に傾いた日が差し込む中、お遊戯のちょうちょうを踊るように幼女は歩いていた。
「男性は、白っぽい感じの衣服を着ていたと思います。そんなに大柄ではなかったと思います。一直線に歩いていく感じですね。川の方に向かって、大股で、どんどん歩いてるんですよ。かなり大股でした」
松本さんが、女の子の服装をはっきりと記憶していたのには訳があった。
「女の子はおかっぱ頭で。赤いスカートが目立ってましたねえ。上はスカートよりもう少し薄い色でした……」
その日、松本さんの娘は、ピンク色のスカートをはいていた。だからなんとなく比較し、記憶したのだという。
目撃者=松本さんのスケッチ
松本さんは、警察の求めに応じ、目撃した二人の絵を描いていた。その絵は調書に添付される。記憶喚起のため、私も現場でもう一度絵を描いてもらった。そこには、女の子を連れ、川の方に向かって歩くルパンの姿があった。
松本さんと吉田さん。この二人の証言は重大だった。当時、捜査本部は目撃したのと同じ時間帯に、二人を現場に立たせて現場検証を実施し、調書を取った。その後の記者会見では県警幹部が「目撃された幼女が真実ちゃんだった可能性は高い」と発表もした。目撃地点である河川敷には〈真実ちゃんはこの公園を横切りました〉という看板まで立てたのである。
ところが……その後、誤認逮捕された菅家さんが、〈自転車で誘拐した〉と自供させられると、以後、菅家さんの自供と矛盾する〈歩いていた〉という二人の調書は突然、邪魔な物に変質し、無かったことにされるのである。
■潰された連続事件報道
松本さんとはその後、何度かお会いすることになる。そんな中で、思いもしなかった証言が飛び出す。それは、〇八年の夏「横山ゆかりちゃん事件」の検証番組を放送した時のことだ。
九六年七月にゆかりちゃんが誘拐された群馬県太田市のパチンコ店の防犯ビデオ。そこに残されていたのは帽子とサングラス姿の不審な男の姿。番組でその男の映像を初めて見た松本さんが、メールをくれたのだ。
〈あくまで感想ですが、顔の輪郭や歩いているときの雰囲気がとても似ている気がします〉
それは太田のサングラスの男と、足利の現場で目撃したルパンが、歩き方や雰囲気が似ている、というものだった。松本さんの夫が言う「目で見た物を瞬間に記憶する力に優れている」という言葉が思い起こされた。
もしこれが同一人物であるなら、事件はやはり同一犯だ。ならば、逮捕されている菅家さんは無罪という重大な証言ということになる。私はこの事実を番組で報じ続けた。
しかし当局は、この証言も報道も無視し、菅家さんを獄中に留め置き続けた。翌年六月、現場で見つかったシャツと菅家さんのDNA型を再鑑定した結果、不一致となり、ようやく釈放になるのである。
その後、松本さんの証言は新聞記事にもなる。〈九六年女児不明事件と関連か 足利事件、河川敷で目撃の男〉。共同通信の高橋秀樹記者が取材し、〇九年六月二十一日に配信されたこの記事にも、防犯ビデオに写っていた男と「足の運び方や姿勢がよく似ている」とコメントされていた。
当時、新聞各紙は菅家さん冤罪報道の真っ盛りだった。その中でのスクープ記事ということになる。ところが翌朝、記事は、新潟県や静岡県などの遠地の新聞、九紙が一面トップで報じたにも拘わらず、肝腎の栃木県や群馬県の新聞では、小さな記事にしかならなかった。まるでドーナツの穴のように、関東圏の新聞はこれを無視したのだ。
納得できない高橋記者は、その理由を独自に調べたという。配信記事を見た各社の記者は、後追い取材に走った。とはいえ証言した松本さんの居場所はわからない。会えたところで簡単に取材などには応じない。結局、記者達の行く先は栃木県警や警察庁の幹部などしかなかった。幹部は、共同の記事をあっさりと“誤報”と決めつけた。
〈今まで表に出していないが、太田の事件には、実は犯人の遺留品がある〉
今度は、その話を聞いた私の方が驚く番だった。ゆかりちゃんが誘拐されてから十三年、当時手がかりは、防犯ビデオだけとされてきた事件に、物証があったというのだ。
その遺留品が何なのかについては、明らかにしないものの、すでにDNA鑑定が行われているという。そしてそのDNA型と、足利事件の真犯人のDNA型は一致しなかった。だから事件は同一犯によるものではないと説明し、捜査幹部は〈共同の記事を追うと恥かくよ〉とまで言い放ったというのである。その言葉を聞いた記者は記事の掲載を止め、またある記者は胸をなで下ろしたという。
DNA鑑定可能なパチンコ店の遺留物……。サングラスの男が店で吸っていたタバコでも特定したのであろうか。その事実を十三年間も秘匿し続けた警察が、なぜこのタイミングでそれを明かすのか。そもそも「似ている」という“感想”に対して、なぜここまで強く否定するのか。何が何でも事件の連続性を打ち消そうとした警察。こうして、浮上しかけたルパンはまたも封印される。
ちなみに、その遺留品と一致しなかった真犯人の「DNA型」とは真実ちゃんのシャツに付着していた真犯人の精液のDNA型ということになる。
検察推薦と弁護側推薦の二人の法医学者の手により行われたこのDNA型再鑑定。だが二人の鑑定結果の数値は、実は微妙にずれていた。つまり現時点で、二種類の真犯人の型が存在していることになっている。警察が照らし合わせたというそのデータは、検察推薦の法医学者の結果だ。これまで本誌で報じてきた「ルパンと完全一致」する筑波大学の本田克也教授の手による鑑定データではない。
http://bunshun.jp/bungeishunju/ashikaga/201107.html