「 痛みはすべて国民が被れ 」 ~日本病の正体
東電は永遠に不滅
すべては、霞が関の思し召すままに・・・
東京電力 安泰 (生命維持装置まで付いた)
従業員&OB 安泰
株主 安泰
金融機関 安泰
菅政権 延命 (ちょっとだけ?)
自民党 安泰 (?)
公明党 安泰 (?)
霞が関 安泰 (ゆうまでもない)
・・・・・
国民 悲惨 (踏んだり蹴ったり・・・)
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<セシウム米調査>14都県で実施、汚染米は全量廃棄
農林水産省は3日、近く収穫期を迎えるコメについて、収穫の前後2段階で放射性セシウムを調査する方針を発表した。収穫後の本調査で暫定規制値(1キロあたり500ベクレル)を超えた地域のコメはすべて出荷停止として廃棄処分を義務づけ、農家の損害は東京電力に損害賠償請求する方針。他の食品より綿密な二重チェック体制で、主食であるコメの安全を確保したい考えだ。(毎日新聞)
[記事全文]
◇2段階方式の検査を予定
・ コメ検査は2段階…出荷停止は旧市町村単位で - 検査の対象は、福島、茨城、栃木、群馬、千葉、神奈川、埼玉、東京、宮城、山形、新潟、長野、山梨、静岡の14都県。青森、岩手、秋田の3県も今後対象にする。読売新聞(8月3日)
・ <セシウム米調査>収穫前後でダブルチェック - 毎日新聞(8月3日)
◇農家、業界の思いは
・ <セシウム米調査>気をもむ農家「出ないこと祈るだけ」 - 毎日新聞(8月3日)
・ 米の放射性物質調査に関する説明会 会議資料 - 農林水産省
◇関連トピックス
・ 牛肉のセシウム汚染問題 - Yahoo!トピックス
菅家利和氏の告白「なぜ真犯人が野放しなのか」 足利事件キャンペーン(4)
衝撃の逆転無罪から九カ月。時効を盾に再捜査を拒む当局に、菅家氏が語った悲願――
冬の渡良瀬川河川敷は、すでにアシも枯れ果てていた。その地を一塊となって歩く数十名の男達がいた。
県警捜査員と検事だった。体格の良い捜査員に埋没するように小柄な男性がいた。帽子を深くかぶり、しきりに首を傾げている。「足利事件」で逮捕された後、現場検証に立ち会わされた菅家利和さんだった。がっしりした警部が、質問を浴びせた。
「遺体を棄てた場所はどこだ」
だが、菅家さんにはそこは初めての場所だった。途方に暮れ、嘘を吐(つ)くしかなかった。
「ここに捨てました」
そう目の前の荒れ地を指差した。すると警部はこう言い放った。
「違う、もっと向こうだ……」
警部は聞く相手を間違えていた。真犯人「ルパン」はその頃、警察のお墨付きで笑って暮らしていたのだから。
以来十七年半。菅家さんの無罪を叫ぶ声は無視され続けた。暴行まで受けた辛い投獄。そんな中たった一つの希望は「真犯人が捕まれば、冤罪が晴れる」というものだった。
ようやく自由の身となった菅家さんは、今、事件の再捜査を求めている。だが、当局はその訴えを黙殺する。ルパンという男の存在を知りつつ、殺人犯を野放しにしたままだ。
■「犯人は誰でもいいんだ」
「菅家いるか、警察だ」
怒鳴り声と玄関を叩く音が響いた。菅家さんの人生崩壊の号砲だった。
一九九一年十二月一日朝。当時四十五歳の菅家さんは、栃木県足利市内の借家にいた。その玄関から雪崩込んできたのは、三人の見知らぬ男達。県警捜査一課の刑事だった。
「勝手に炬燵をどけて、そこに座れと言われた。『菅家、おまえ子供を殺したな』といきなり怒鳴られたんです」
菅家さんはまだパジャマ姿だった。「やってません」と否定したが、がっしりした体格のH警部に、いきなり肘で胸を突き飛ばされ、後ろにひっくり返ったという。
「知りませんと、何度も否定したんですが、『おまえがやったんだ』と、完全に決めつけでした」
別のY刑事が、上着のポケットから一枚の写真を出して菅家さんに見せる。殺害された松田真実ちゃん(当時四歳)の写真だ。ようやく、あの事件のことかとわかった。
「新聞に入っていたチラシとか、ポスターで何度か見た写真でした。Yに『謝れ』と言われましたけど、自分はやっていません。そこで、冥福を祈る意味で、写真に手を合わせたんです。すると『手を合わせたから、おまえがやったんだ』と言われて……」
捜査車両の後部座席に、刑事に挟まれて任意同行される。不安を覚える中、車は足利署に滑り込んだ。思えばそれが最後の“娑婆”だった。
取調室でも、H警部の決めつけは続いた。「やっぱりお前、犯人だな」「土地勘があるからお前なんだ」と言われ、嘘発見器(ポリグラフ)にもかけられた。警部は具体的な根拠を示さずこう言った。「今は科学捜査だからわかるんだ」。それがDNA鑑定だったことを後になって知る。
菅家さんは、まったく気がついていなかったが、警察はおよそ一年にわたり、菅家さんを尾行していたのだ。送迎バスの運転手として勤務していた幼稚園にも刑事が訪れていた。事情を聞かれた園長は、驚いて菅家さんを解雇。菅家さんは訳もわからぬまま、仕事を失っていた。
さらに、県警は菅家さんの棄てたゴミを回収。科学警察研究所でDNA鑑定を実施していた。殺害現場から見つかった真実ちゃんのシャツ。それに付着した犯人の精液のDNA型と、菅家さんの型が一致したとして、この日強引な連行に及んだのだ。
すでに朝刊は〈元運転手、きょうにも聴取 DNA鑑定で一致〉と報じていた。足利署の前には、多くの報道陣や野次馬も集まり出した。
足利市では、七九年、八四年と幼女誘拐殺人が続き、未解決のままとなっていた。そこに起きたのがこの事件だった。署には三つもの捜査本部が積み上げられ、解決できない状況に非難の声があがっていたのだ。何が何でも自供は必要だった。H警部が追い込みをかける。
「『犯人は誰でもいいんだ』と言うんです。自分はやってませんと、何度言っても聞いてくれない。机の下では、足の脛を蹴飛ばされました。髪の毛を後ろに引っ張られ顔を上げられ『馬鹿面しているな』とまで言われました」
取り調べは、深夜に及んだ。Y刑事は「菅家よお、やったんなら、正直に言ってくれないか」とやや穏やかに話すものの、H警部は「なんで自首しなかったんだ」「早くしゃべって楽になれ」と怒鳴り続けた。菅家さんは疲れ果て、どうにも耐えられなくなった。
「とにかくそこから逃げたかったんです。それで『パチンコ店には行きました』と、つい口走ってしまいました」
すると、H警部は「おっ、そうか」と、それまでの厳しい追及とは、違う反応を見せた。取調室は、肯定だけにしか進めない一方通行道だった。
ついに、自供に追い込まれた菅家さんは、隣に座っていたY刑事の膝に顔を付けて悔し涙を流したという。
未明に見せられた逮捕状と、腕に掛けられた銀の手錠。意外に軽い物だったが、反面ショックは大きかった。三畳程の留置室の煎餅布団にくるまり、今後が不安で眠れなかった。
「頭が、ぼうっとしている感じでした。なんとか取り調べから逃げ出したい。それで嘘の自供をしちゃったんです。自分は本当に弱かったんですよ」
連日続く厳しい取り調べ。H警部は足利市で続いた、他の二件の幼女誘拐殺人事件の自供も迫った。
「おまえなんだよな!」
そう怒鳴り、椅子に座った菅家さんの膝を持って、前後にガタガタ揺すったという。もはや自棄(やけ)になっていた菅家さんは、三件全てを自供。ついに連続殺人犯にされてしまう。
だが、真実ちゃん事件以外の二件は物証もなく、供述も曖昧で検察は起訴できなかった。それでも栃木県警は「連続事件は解決した」と胸を張っていた。
九二年二月、宇都宮地裁で公判が始まった。菅家さんはそこで起訴事実も認めてしまう。
「傍聴席に刑事がいると思った。それが怖くてまた嘘を言うしかなかったんです」
時代劇が大好きな菅家さんは、裁判官を大岡越前のような人と重ね合わせていた。
「裁判官はすごく偉い人で、自分が何も言わなくても、お見通しだと思ってました」
逮捕は、菅家さんの家族にも大きな衝撃を与えた。父親は、ショックから持病を悪化させ、逮捕の二週間後に亡くなった。警察に呼ばれた母は、取り調べで「死刑にしてください」とまで言わされている。きょうだいも、後ろ指をさされ、職を失ったという。拘置所に移された菅家さんは荒れた。
「畜生、なんで俺がこうなるんだ」
気が弱かった菅家さんは、一人になってようやく怒鳴った。だが、怒りに任せて壁を蹴っても返ってくるのは隣の住人の「うるせー」という声だけ。自殺まで考えたが、果たせなかった。
“殺人犯”として裁判は進んだ。だがその裏で菅家さんは家族には、こんな手紙を送っていた。
〈私は無罪です。何が何だかわからないんです〉
そして第六回公判で、菅家さんはついに無罪を訴えたのである。しかし検察官は、DNA鑑定とそれまでの自供を盾に無期懲役を求刑。そして、判決はその通りに下された。宇都宮地裁には大岡越前はいなかったのだ……。
菅家さんは控訴した。舞台は東京高裁へ、身柄は東京拘置所へと移される。
無罪を訴え続ける菅家さんに、支援者が付き、弁護団も結成される。佐藤博史弁護士を始めとする弁護士達は、自供の矛盾や、疑問点を調べ続けたが、一審判決が覆ることはなかった。
「弁護士の先生から、無罪になるようなことを聞いていたので、判決を聞いて呆然としましたね。えー、ちょっと待ってよと……」
菅家さんは、打ちのめされた。
そこで弁護団は、独自のDNA鑑定を試みる。
「『髪の毛を送って』と言われたんです。それで手紙に髪の毛を入れて送りました。数えたら四十四本あった」
拘置所では、収監者同士が電気バリカンで散髪をするため短髪になる。菅家さんは、その短い毛髪を抜いて封筒の底に忍ばせた。
九七年二月。毛髪は日本大学医学部・押田茂實教授により鑑定が行われた。逮捕当時の科警研の鑑定では、菅家さんも犯人も「18-30」型で一致とされていた(※逮捕当時の鑑定で科警研は犯人と菅家さんの型を「16-26」型としたが、その後、鑑定方法の矛盾を指摘され「18-30」型に訂正した)。
ところが押田鑑定の結果、菅家さんは「18-29」だったのである。この時点で当時のDNA鑑定の証拠能力に大きな疑いが出ていたことになる。
九七年十月、弁護団は押田鑑定の報告書を添えて最高裁へ上告した。だが二〇〇〇年夏、裁判は幕切れを迎える。最高裁が棄却したのだ。菅家さんの悲痛な訴えはついに無視され、無期懲役は確定した。菅家さんは千葉刑務所に収監。そこで待っていたのは地獄のような日々だった。
■壮絶な暴行とカツアゲ
重罪の受刑者が多いとされる千葉刑務所。その六人部屋に入れられる。
「廻りは、ほとんどみんな殺人犯。バラバラ殺人や放火殺人です。中には三十年入っているという人もいた」
冤罪の菅家さんにとって、そこはなんとも恐ろしい場所だった。
「『一週間はお客だから、その間に刑務所のことを全部覚えろ』と言われましたが、なかなかうまくできません」
昼間は単調な作業が続く。ベルトコンベアに乗ったピンクやブルーのゴム手袋を袋に詰める作業だ。家事に使われるであろうその製品は、やがて塀の外に出ていく。羨ましかった。
クリスマスイブには、小さいながらケーキが二つ配られた。甘い物には目がない菅家さんは喜んだ。だが、元暴走族という男に「よこせ」と取り上げられ、目の前で食べられた。身長一八〇cm近いその男には何も言えなかった。おかずの納豆もカツアゲされた。さらに男から激しい暴行も受けた。
「ふとんのたたみ方が悪いと、因縁を付けられたんですね。殴られ、後ろから両手で胸を締め付けられて、ミシっと音がした」
股間も蹴飛ばされ、小便が出なくなった。医務室で診てもらうと、医務官にこう言われた。
「おい菅家、玉が無いぞ!」
つま先で蹴飛ばされた円丸が下腹部にめり込んでいたのだ。不気味な音をたてた胸は、やはり肋骨が二本折れていた。あまりの怪我に問題になった。菅家さんは千葉地裁で被害者として陳述を求められ、暴行を働いた男は、その後別の拘置所に移管されたという。想像を絶する刑務所の生活。それでも菅家さんが絶望しなかったのには理由があった。
「真犯人が捕まれば、自分の冤罪が晴れる。そう信じていたんです」
菅家さんの微かな希望は真犯人の逮捕だった。だから、菅家さんは塀の外に向けて手紙を書き続けた。それはいつも、いつでも同じ文言だ。
〈真犯人は別にいます〉
手紙を受け取った一人が私だ。
北関東の狭いエリアで連続した幼女誘拐・殺人事件。足利事件も含む五件の事件は類似点も多く、私は同一犯によるものではないかと考えていた。菅家さん逮捕後に、群馬県太田市で横山ゆかりちゃん誘拐事件が起きていた。
また、足利事件当日、現場の河川敷では、幼女と手をつなぐ男が目撃されていた。その男は漫画のルパン三世に似ていたという。
私は、菅家さんの直接取材をすべく、千葉刑務所に通ったが、菅家さんと面会することは、許されなかった。法務省からの通達とやらで、判決が確定した受刑者の面会は、親族や過去に交流のあった人としか認めないと、刑務官は言った。結果、法務省は冤罪を訴える人と、その取材を試みる記者を分断していたことになる。
手紙だけが、菅家さんの唯一の「声」だった。〈刑事は絶対に許せないです〉。何度もH、Y刑事の実名が書かれていた。そして、繰り返されるのは〈もう一度DNA鑑定をしてくれればわかります〉という一文だった。
〇二年十二月、弁護団は押田鑑定の結果を証拠として宇都宮地裁に再審請求を行った。だが、それは〇八年二月に棄却される。池本寿美子裁判長は〈髪の毛が誰のものかわからない〉と一蹴したのだ。だからこそ、再鑑定を行えば良いのだが、六年間も放置した請求を、馬鹿げた理由で棄却した。そしてこの間に、取り返しが付かない事態になった。〇五年五月、足利事件は時効を迎えていたのだ。さらに無念は続く。菅家さんのことを案じていた母親も、この間に亡くなってしまった。
■誤認逮捕した刑事の言い分
菅家さんに強引に自供を迫った二人の刑事。私は、何度か取材を試みていた。がっしりとしたH警部は、すでに退職し、宇都宮市内の一戸建で余生を送っていた。玄関に現れたその人は、引退した今も眼光鋭い人だった。
「『馬鹿面しているな』と菅家さんの髪を引っ張り、蹴飛ばしたのですか?」
H氏は歪めた顔を横に振った。
「そんなことしたら、裁判でダメになっちゃうわけだよね。正しい捜査だよ。私は(後輩の)刑事を指導する立場にあったから、拳骨やったりするわけないだろ」
一方のY刑事もすでに警察官を退職し、大病院に勤務していた。菅家さんが泣いたことを良く覚えていた。ただし、その意味の捉え方は全く逆だ。自分の膝を手で叩き、語った。
「私のここで四十分も泣いたんですよ。ズボンは涙でびっしょりです。あれは後悔の涙。間違いなく犯人です」
菅家さんの悔し涙を、クロの根拠と断定していた……。
だが、私はその頃、真犯人を追っていた。ルパンに似た男の特定作業を続けていたのだ。調べる程にその男の容疑は濃厚だった。ルパンが真犯人なら菅家さんは冤罪。それを確信したからこそ、日本テレビの報道番組で〈DNA再鑑定を行うべき〉と、延々と報道を続けたのだ。
〇八年十二月、再審の即時抗告を受けていた東京高裁が、ついにDNA再鑑定を決定する。そして〇九年、真実ちゃんのシャツと、菅家さんの血液などを再鑑定すると、結果はやはり不一致だった。だが、そこに至るまで、あまりに無駄な時間を費やし、事件は時効を迎えたのだ。
〇九年五月、真実ちゃんの母親は、検察から「再鑑定の経緯を説明したい」と連絡を受け、宇都宮地検に出向いた。しかし、それまで事件は解決したとしてきた検察への不信は募っていた。それはそのまま言葉となった。
「もし菅家さんが無罪であるなら、早く軌道修正をして欲しい。捜査が間違っていたんであれば、ちゃんと謝るべきです……」
母親のその言葉を、私は電波に乗せた。放送から四日後、検察は再審開始前に菅家さんを釈放したのである。それはDNA鑑定に寄りかかった、お粗末な捜査の終焉だった。
はがき 雑草魂
今日、支援する会に、はがきが届きました。
はがきには、住所、氏名など書き込んでいないので、返事の出しようがありません、某県、某郡、某町での、パトカー追跡中に原付バイクを運転していた男の方が、激突死した事故だそうです、痛ましい事です。
警察の見解は、「適切な職務執行」だと、コメントしたらしい。
はたしてそうでしょうか! 「死人にくちなし」
2011年、7月31日、午前1:15頃発生した事故です。
某警察署は、年齢に関わらず、俺は警察官だ、文句あるか、という横柄
な態度で、ちょっとでも気に障ることがあると、始末書を書かせたり
処分を重くしたりの、やり放題。
一時不停止等の優先順位の低い取り締まりはやっているが、
携帯電話で話しながらの車の運転や、信号無視、違法改造車、
自転車の右側通行など、優先順位が、高い取締りに関しては、見て見ぬふりをする。
交通課の巡査部長は、交通事故の現場検証及び調書作成の際
当事者の話を聞こうとせず、自分の考えたシナリオをゴリ押ししたり、
事実とは異なる状況を記載する。
警察官相手なので、余程の人で無い限り、異議申し立ては出来ず泣き寝入りになってしまい、結果的に本来よりも罪が重くなる。
このことから、過去に陰湿な職務質問を受けたなど、伏線があり、
パトカーを蹴った結果「警察官である、自分に喧嘩を売るとは何事か」
本件事故は、躍起になって追跡し、死亡させた事故であり
決して、適正な職務執行ではない。
このように、書き終えています。
皆さんは、この事故形態を、どのような感想というか、考えををお持ちでしょうか?
よろしければ、それぞれの意見をお待ちしています。
私の場合と似通った事故ですから、取り上げさせて頂きました。
交通事故での冤罪事件、本当に多いのです、この事故では、完全に
「死人にくちなし」どんなに自分は正しい運転をし、交通ルールを
守っていても、死んでしまえば、 100対0、に作成され。
一方的な事故に仕立て上げられるのですよ!
私は、今回のハガキから、冤罪にさせられた方からのハガキではないかと考えて、無断で、ブログに掲載させて頂きました。
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劇場公開作品 関連セレクション(『ザ・ウォード/監禁病棟 予告編』ほか)
監禁された女の子たち! 『遊星からの物体X』のジョン・カーペンター監督が贈るサイコ・ホラーほか。
保険料追納10年に=年金確保支援法成立
国民年金保険料の未払い分をさかのぼって納められる追納期間を現行の過去2年間から10年間に延長する年金確保支援法(7月29日に参院で可決)が、4日の衆院本会議で民主、自民、公明各党などの賛成多数で可決、成立した。追納期間延長は3年間の時限措置。(時事通信)
[記事全文]
・ [映像ニュース]年金保険料納付延長法が成立 - 国民年金の保険料をさかのぼって支払うことができる期間を今の2年から10年に延長するもので、さかのぼって支払うことができる期間の延長は法律の施行日から3年間に限っています。NHK(8月4日)
・ 保険料の事後納付10年間に 年金確保支援法が成立 - 47NEWS(8月4日)
・ [意識調査]年金保険料を追納したい期間がある? - クリックリサーチ
◇これまで追納が可能な期間は2年だった
・ <問>保険料を納めなかった期間がありますが、今から納めることができますか。 - 納付期限から2年を過ぎると、時効により納めることができなくなります。日本年金機構「年金Q&A」
◇国民年金納付率は過去最低を更新
・ 国民年金納付率、60%割れ=10年度、過去最低を更新-厚労省 - 時事通信(7月13日)
・ 国民年金保険料の納付率 過去最悪を更新 - 産経新聞(7月14日)
・ 年金納付率 低下に歯止めかけるには - 信濃毎日新聞(8月3日)
<原発輸出>方針変えず トルコなど継続…政府見解
政府は4日、東京電力福島第1原発事故を受け、海外への原発輸出に関する統一見解をまとめた。すでに受注に向けた具体的な交渉が進んでいる案件は、「国際間の信頼関係」を維持するために推進。一方、新規の輸出案件は、政府の原発事故に関する「事故調査・検証委員会」の調査を踏まえ、原発技術の安全性を検証した上で、国際原子力機関(IAEA)の安全基準に沿って判断する。日本の受注が決まっているベトナムや、優先的に交渉を進めているトルコとの交渉を引き続き進める。(毎日新聞)
[記事全文]
◇先月、菅首相は見直しを示唆
・ 菅首相、原発輸出の見直し示唆 成長戦略に重大影響 - 産経新聞(7月21日)
・ 原発輸出見直しで問われる整合性=「その場しのぎ」と批判相次ぐ-菅首相 - 時事通信(7月21日)
・[投票結果]原発の海外輸出を今後どうするのが良いと思いますか? - Yahoo!みんなの政治
◇「日本外し」も
・ 原発商談 「日本外し」加速 韓国、受注奪取へ越に親書 - フジサンケイ ビジネスアイ(7月27日)
・ <原発輸出>トルコ、日本との優先交渉権白紙の可能性 - 菅直人首相の「脱原発依存」発言が、日本の原発輸出戦略を揺るがし始めた。毎日新聞(7月26日)
◇国際的な原発受注の動き
・ 原発輸出は日本産業の救世主になれるか - Foresight(1月12日)
・ [図表]原子力発電所をめぐる国際商戦の動き - SankeiBiz(6月17日)
◇関連トピックス
・ 海外の原子力政策見直し - Yahoo!トピックス
前田武彦さん死去 「ゲバゲバ90分」「夜のヒットスタジオ」などで活躍
放送作家や司会者として活躍し、「マエタケ」の愛称で親しまれた前田武彦(まえだ・たけひこ)氏が5日午前11時16分、肺炎のため死去した。82歳。葬儀は近親者で執り行う。後日、お別れ会を開く予定。(産経新聞)
[記事全文]
・ タレントの前田武彦さん死去、82歳 - 読売新聞(8月5日)
・ 人気司会者“マエタケ”こと前田武彦さんが死去 - オリコン(8月5日)
◇お笑いバラエティー「ゲバゲバ90分」などで活躍
・ 「ゲバゲバ90分」の前田武彦さん死去 - デイリースポーツ(8月5日)
・ 巨泉×前武ゲバゲバ90分! - 解説など。ウィキペディア
・ よみがえる「ゲバゲバ90分」 貴重な録画テープ99本発見 - 読売新聞(2009年4月15日)
・ あの伝説のお笑い番組がよみがえる!巨泉×前武のゲバゲバ90分! - 日本テレビ(2009年4月19日放送)
◇プロフィールなど
・ 前田武彦 - 三桂
・ 前田武彦 - Yahoo!人物名鑑
・ 放送タレント・前田武彦さん 追憶の風景 日比谷・内幸町(東京都) - 朝日新聞(2010年12月14日)