このブログの書き込みも大変なご無沙汰となってしまいました
みなさん、こんばんは!中村亮子です。
東京は桜満開
桜吹雪の中にいると歌でも唄いたくなりますね
ピンクの世界(なんか違うニュアンスになるな…)を堪能しておりますが、実はつい先日まで北海道は富良野に帰っておりました
北海道はまだモノトーンの世界
木々の黒と、雪の白
殆ど自然界の色はありません
だから東京に帰ってきて、あまりの色の多さ、情報の多さについていけてない状態です
たったの5日間で身も心も、自然児となってしまったよう
26年の歴史に幕を閉じる「富良野塾」
ドラマ『北の国から』の脚本家、倉本聰が主宰するシナリオライターと役者のための養成塾でして、2年間、夏場は農作業、夜は芝居の稽古をし、1期20名ほどの仲間たちと丸太小屋生活をします
『北の国から』の世界を連想していただければ、大方間違いではありません
その富良野塾の閉塾式が4月の頭に行われました
370名近い卒塾生のうち、250名くらいのOBが富良野に帰ってきました
これはすごいことです
まず塾の創成期を芝居にした『谷は眠っていた』という作品を、富良野演劇工場という劇場で観ました
もちろん、全OBが在塾生の時に何らかで携わっている作品ですので、ストーリーも全て頭に入っています
一堂に会したOBだけに向けた特別公演…当時のいろいろな思いが甦ってきます
その観劇後、「帰ってきたOBも翌日の閉塾式で出演してほしい」との話が倉本先生からありました
各期ごとに舞台上にあがり、『走る』シーンをオーディションすると…
芝居に感動していた直後に、雷の走るような衝撃!
こういう、いきなりな提案は先生らしいな~と妙な懐かしさも覚えましたが
卒塾後の塾生は、富良野に残る者あり、上京する者あり、故郷へ帰る者あり…と様々ですが、わたしは東京の劇団に入りずっと役者をしてきた側なので、へんな緊張感をもってしまいました
「これは…落ちるわけにはいかんぞ…」おかしなプレッシャーを勝手に感じてしまう始末
でも、久しぶりの舞台上の感覚、客席を臨む気持ちを味わい、とても楽しく走ることができました
懐かしい同期や先輩・後輩たちと15年ぶりに舞台上に立っている
感動なくしては語れません
結局、稽古は夜の12時過ぎまで行われました
(久しぶりに富良野に帰ってきたのに、このスケジュールって!)
翌日は早朝から、塾の敷地内で「植樹」をしました
ブナ・ハルニレの木
同期が集まり木を植え、この先、この90本以上の木々がどうなっているのだろう、塾はどうなっているのだろう…と考えながら、胸がキュンとしました
その後、演劇工場に向かい、最後の期である25期生の卒塾式、そして閉塾式へと進みました
夜は新富良野プリンスホテルで閉塾式バーティ!
お世話になった農家さんなど、縁のある方が総勢600名以上集まったそうです
1部・2部と進み、その後は二次会で無礼講
わたしは11期だったのですが、おもしろエピソード満載の期でして、個性的な人ばかり
そんなものだから、閉塾式には殆ど来ないだろうな…と思っていましたが、意外や意外、17人中、15人が出席してました(うち4人は在富)
同期の結束力に感動です
翌日は殆どのOBがそれぞれの場所へ帰っていきました
わたしは少し富良野に留まるつもりだったので、富良野駅で旭川空港行きのバスに乗り込むみんなを見送る立場となりました
「あ~一緒の飛行機で帰ればよかった」
この時こそ自分のたてた予定を後悔し、寂しい気持ちになったのは云うまでもありません…
怒涛の忙しさの3日間
この間、ずっとみんなと一緒でした
それがひとり抜け、ふたり抜け、どんどんいなくなっていく
振り返れば懐かしい面々との再会、そしてその興奮も冷めやらぬうちの別れ
閉塾式が終わり、最後特有のお祭り騒ぎのような賑わいをみせていた富良野も、なんだかガランとしてしまったような気がしました
見送る立場はいつでも寂しいものですね
塾生の時、1年一緒に過ごした先輩たちを見送る時のことを思い出しました
その時も、両手をいっぱいに広げて姿がみえなくなるまで送ったっけ
富良野塾の敷地には今でも、いくつもの丸太小屋が点在しています
どの棟にも思い出がいっぱい
ひとりになりたくて、お風呂上がりの真冬、髪と鼻毛を凍らせながら「スタジオ棟」に向かい、広々としたそのスタジオでストレッチをしながら、台詞を練習しながら、そのまま眠りに落ちていました
先生曰く、『これまでの26年間、この静かな谷をさんざん騒がしくしてきた。これからは元の自然に還していく』とのこと
鳥肌がたちました
そして植樹をしたのも合点がいきました
10年後、20年後この谷はどうなっているのでしょう
ゆっくりと時間を経て、朽ち果てていくのでしょうか
長い歴史の中で、そのひと時にすぎない26年間
その2年の月日に自分も身を置けたことは、わたしにとって最高の宝です
18の時に富良野をひとりで旅し、偶然泊まった宿で知り合った方に塾を教えてもらい、一目惚れ
その後、富良野塾生となりました
みんなを見送った夜、その宿に泊まりました
なんだか、原点に返ったような、振り出しに戻ったような…そんな気持ちがしました
富良野塾に入る前のわたし
どんなだっけかな
その頃の自分に恥ずかしくない人生を送っているだろうか?
奇しくも塾の閉塾というきっかけで、立ちどまり、もう一度自分を振り返る良いきっかけとなりました
熱き青春の日々、ずっとずっと大切にしていきたい思い出です
追伸:
長々と日記のように書いてしまいましたが、なにぶんこのような機会がないと日記など書かない性質なので、今回、KRブログの場をお借りして記録を残そうと思い立ちました。ご容赦くださいm(__)mリカさん、ありがとうございます!
みなさん、こんばんは!中村亮子です。
東京は桜満開
桜吹雪の中にいると歌でも唄いたくなりますね
ピンクの世界(なんか違うニュアンスになるな…)を堪能しておりますが、実はつい先日まで北海道は富良野に帰っておりました
北海道はまだモノトーンの世界
木々の黒と、雪の白
殆ど自然界の色はありません
だから東京に帰ってきて、あまりの色の多さ、情報の多さについていけてない状態です
たったの5日間で身も心も、自然児となってしまったよう
26年の歴史に幕を閉じる「富良野塾」
ドラマ『北の国から』の脚本家、倉本聰が主宰するシナリオライターと役者のための養成塾でして、2年間、夏場は農作業、夜は芝居の稽古をし、1期20名ほどの仲間たちと丸太小屋生活をします
『北の国から』の世界を連想していただければ、大方間違いではありません
その富良野塾の閉塾式が4月の頭に行われました
370名近い卒塾生のうち、250名くらいのOBが富良野に帰ってきました
これはすごいことです
まず塾の創成期を芝居にした『谷は眠っていた』という作品を、富良野演劇工場という劇場で観ました
もちろん、全OBが在塾生の時に何らかで携わっている作品ですので、ストーリーも全て頭に入っています
一堂に会したOBだけに向けた特別公演…当時のいろいろな思いが甦ってきます
その観劇後、「帰ってきたOBも翌日の閉塾式で出演してほしい」との話が倉本先生からありました
各期ごとに舞台上にあがり、『走る』シーンをオーディションすると…
芝居に感動していた直後に、雷の走るような衝撃!
こういう、いきなりな提案は先生らしいな~と妙な懐かしさも覚えましたが
卒塾後の塾生は、富良野に残る者あり、上京する者あり、故郷へ帰る者あり…と様々ですが、わたしは東京の劇団に入りずっと役者をしてきた側なので、へんな緊張感をもってしまいました
「これは…落ちるわけにはいかんぞ…」おかしなプレッシャーを勝手に感じてしまう始末
でも、久しぶりの舞台上の感覚、客席を臨む気持ちを味わい、とても楽しく走ることができました
懐かしい同期や先輩・後輩たちと15年ぶりに舞台上に立っている
感動なくしては語れません
結局、稽古は夜の12時過ぎまで行われました
(久しぶりに富良野に帰ってきたのに、このスケジュールって!)
翌日は早朝から、塾の敷地内で「植樹」をしました
ブナ・ハルニレの木
同期が集まり木を植え、この先、この90本以上の木々がどうなっているのだろう、塾はどうなっているのだろう…と考えながら、胸がキュンとしました
その後、演劇工場に向かい、最後の期である25期生の卒塾式、そして閉塾式へと進みました
夜は新富良野プリンスホテルで閉塾式バーティ!
お世話になった農家さんなど、縁のある方が総勢600名以上集まったそうです
1部・2部と進み、その後は二次会で無礼講
わたしは11期だったのですが、おもしろエピソード満載の期でして、個性的な人ばかり
そんなものだから、閉塾式には殆ど来ないだろうな…と思っていましたが、意外や意外、17人中、15人が出席してました(うち4人は在富)
同期の結束力に感動です
翌日は殆どのOBがそれぞれの場所へ帰っていきました
わたしは少し富良野に留まるつもりだったので、富良野駅で旭川空港行きのバスに乗り込むみんなを見送る立場となりました
「あ~一緒の飛行機で帰ればよかった」
この時こそ自分のたてた予定を後悔し、寂しい気持ちになったのは云うまでもありません…
怒涛の忙しさの3日間
この間、ずっとみんなと一緒でした
それがひとり抜け、ふたり抜け、どんどんいなくなっていく
振り返れば懐かしい面々との再会、そしてその興奮も冷めやらぬうちの別れ
閉塾式が終わり、最後特有のお祭り騒ぎのような賑わいをみせていた富良野も、なんだかガランとしてしまったような気がしました
見送る立場はいつでも寂しいものですね
塾生の時、1年一緒に過ごした先輩たちを見送る時のことを思い出しました
その時も、両手をいっぱいに広げて姿がみえなくなるまで送ったっけ
富良野塾の敷地には今でも、いくつもの丸太小屋が点在しています
どの棟にも思い出がいっぱい
ひとりになりたくて、お風呂上がりの真冬、髪と鼻毛を凍らせながら「スタジオ棟」に向かい、広々としたそのスタジオでストレッチをしながら、台詞を練習しながら、そのまま眠りに落ちていました
先生曰く、『これまでの26年間、この静かな谷をさんざん騒がしくしてきた。これからは元の自然に還していく』とのこと
鳥肌がたちました
そして植樹をしたのも合点がいきました
10年後、20年後この谷はどうなっているのでしょう
ゆっくりと時間を経て、朽ち果てていくのでしょうか
長い歴史の中で、そのひと時にすぎない26年間
その2年の月日に自分も身を置けたことは、わたしにとって最高の宝です
18の時に富良野をひとりで旅し、偶然泊まった宿で知り合った方に塾を教えてもらい、一目惚れ
その後、富良野塾生となりました
みんなを見送った夜、その宿に泊まりました
なんだか、原点に返ったような、振り出しに戻ったような…そんな気持ちがしました
富良野塾に入る前のわたし
どんなだっけかな
その頃の自分に恥ずかしくない人生を送っているだろうか?
奇しくも塾の閉塾というきっかけで、立ちどまり、もう一度自分を振り返る良いきっかけとなりました
熱き青春の日々、ずっとずっと大切にしていきたい思い出です
追伸:
長々と日記のように書いてしまいましたが、なにぶんこのような機会がないと日記など書かない性質なので、今回、KRブログの場をお借りして記録を残そうと思い立ちました。ご容赦くださいm(__)mリカさん、ありがとうございます!
わかります。
自然の力って凄いな!
都会の中での出来事よりも自然の中での出来事の
方がよりその情景をイメージすることが出来る!
私も数十年前!同じような‘とき’を過ごしましたが
新宿や赤坂・テレビ局という中での‘とき’とは
きっとまったく違うのだろうとあなたの日記?を
読んで思いました。若いって素晴らしいな。
前にテレビで某タレントさんが言っていた。
「1000万払えば若いときに戻れるって言ったら
戻りますか?戻りたいですよね?」
「若さってのは・・・それだけの大金をポケットに
持っていることなんだ!無駄使いをしてはいけない!」
亮子は、有意義にお金を使いましたね!^^
さて・・・
どこへ行く?
最近、ドラマ班にも営業に行っているKR!
宣材撮り直して・・・まじでそっち行ってみるか?
また、お芝居してる姿、拝見したいです
遅くなってしまいましたが
あちらのブログへの書き込みにご返事いただき
たいへんありがとうございました。
ページごと保存して、宝物のようしにしています(汗)。
こちらのブログの書き込み頻度はかなり少なそうですが(笑)
亮子さんの元気はつらつなご様子が伺えて感激しました。
ファンとして今後のご活躍を楽しみにしております。
では~
上記URLミスりました(笑)。
どうでもいいことですが、念のため訂正です。