今朝のNHKニュースで、先日の台風で壊滅的な被害を受けた和歌山県の集落が解散を決め、その解散式の様子を伝えていた。
「限界集落」という言葉を聞くようになって久しいが、震災を受けてようやくその現実を知るというのも問題かもしれないが、それが実態だ。
小さな集落でも、そこに住んでいる人がいるなら相応の行政サービスを提供しなければならないが、インフラの整備などは手薄にならざるを得ない。
先日も書いたと思うが、人は寄せ集まって暮らした方がいい。これは経済合理性の観点を優先してではなく、「人間とは」と考えたときに当然の答えなのだと思う。そしてその結果として経済合理性が高まると言ったらいいだろうか…
地震で、原発事故で、そして台風で、それぞれの地域に住む住民は突然の決断を迫られ、困窮しつつ故郷を離れざるを得ない状況に追い込まれている。その辛さを全て理解することはできないが、思いを巡らすことはできる。
市町村合併の時には交付金をバラ撒いて推進したが、その元手には合併により期待される合理化メリットが充てられていたと思う。ならば、人々が寄せ集まって暮らすために移住することに対しても支援ができるのではないか。
もちろん、そこで暮らし続ける自由を強引に奪うわけではないが、移住に対する支援を手厚くする代わりに、サービスは非常に限定されるという覚悟を持って暮らすことを求めてもいいのではないか。
震災復興も、そして、喫緊の課題であるTPP参加問題にしても、その前に「我々はこの先どうあるべきか」というグランドデザインが語られていない。だから、ただ輸出産業と内需むけ三行を対立させるだけとなってしまっている。
個人的には、現時点でTPP交渉参加することが、否応なくTPPそのものへの参加となるとしたら時期尚早と思う。初めて話題となってからかなり経つが、それまでろくに議論してこなかったことを「船が出るから」という理由だけで通していいという道理はない。
僕らのこれからの暮らしをどうしていくか。その問いに答えるのは僕ら自身だ。問題が起きている場所だけのことのして捉えずに、一人ひとりが「自分自身の問題」として考え、そして行動することが必要だ!
「限界集落」という言葉を聞くようになって久しいが、震災を受けてようやくその現実を知るというのも問題かもしれないが、それが実態だ。
小さな集落でも、そこに住んでいる人がいるなら相応の行政サービスを提供しなければならないが、インフラの整備などは手薄にならざるを得ない。
先日も書いたと思うが、人は寄せ集まって暮らした方がいい。これは経済合理性の観点を優先してではなく、「人間とは」と考えたときに当然の答えなのだと思う。そしてその結果として経済合理性が高まると言ったらいいだろうか…
地震で、原発事故で、そして台風で、それぞれの地域に住む住民は突然の決断を迫られ、困窮しつつ故郷を離れざるを得ない状況に追い込まれている。その辛さを全て理解することはできないが、思いを巡らすことはできる。
市町村合併の時には交付金をバラ撒いて推進したが、その元手には合併により期待される合理化メリットが充てられていたと思う。ならば、人々が寄せ集まって暮らすために移住することに対しても支援ができるのではないか。
もちろん、そこで暮らし続ける自由を強引に奪うわけではないが、移住に対する支援を手厚くする代わりに、サービスは非常に限定されるという覚悟を持って暮らすことを求めてもいいのではないか。
震災復興も、そして、喫緊の課題であるTPP参加問題にしても、その前に「我々はこの先どうあるべきか」というグランドデザインが語られていない。だから、ただ輸出産業と内需むけ三行を対立させるだけとなってしまっている。
個人的には、現時点でTPP交渉参加することが、否応なくTPPそのものへの参加となるとしたら時期尚早と思う。初めて話題となってからかなり経つが、それまでろくに議論してこなかったことを「船が出るから」という理由だけで通していいという道理はない。
僕らのこれからの暮らしをどうしていくか。その問いに答えるのは僕ら自身だ。問題が起きている場所だけのことのして捉えずに、一人ひとりが「自分自身の問題」として考え、そして行動することが必要だ!