あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

思いがけぬ光景

2015-03-08 22:57:37 | 立ち止まる
辺見庸さん『瓦礫の中から言葉を -わたしの〈死者〉へ』(※)を読み終えた。実はこの本を購入したのは2~3年前だったけど、開かないままになっていた。

辺見さんの言葉は時に理解しにくいことがある。それは僕の未熟さから来るものなのだろうけど、それでも彼の言葉は心の奥深くまで届く。

さて、僕はこの震災のあと、日本社会のあり方が大きく変わるというか、変えていかなければならないと思っていた。それは、小さな海沿いの集落は別の場所に移転統合されるとか、電力消費量が多い製造業の縮小とか、住まいのあり方とか、様々なことが震災をきっかけに変化していくのではないかと思っていた。

けれども、実際には「復興」という掛け声の下でそれまでの暮らしの再建が進められている。一時は段階的に全廃されると思われた原子力発電が「ベースロード電源」というよくわからない言葉と共にその存在が当たり前だという位置に戻ろうとしている。僕には、震災によって甚大な被害を被った景色ではなく、その被害を経てもなおそれまでの社会をそのままに取り戻そうとしている状況の方が思いがけない光景に見える。

また、「アベノミクス」という詐欺的な経済政策による円安誘導と国内製造業の優遇も、時代遅れのホコリまみれなものだと呆れてしまうけど、国民の大多数はこれを信じて支持しているようだ。

また、現政権は高い支持率を背景に日本の軍事力行使の扉を開こうとしている。そして、先日中東で起きた不幸な事件を利用し、その動きを更に加速させようとしている。

この本では、東日本大震災後のマスコミによる自粛の動きを捉え、彼らの政治に対する牽制機能が為政者による強制などの手段を用いずとも簡単に、それも自ら率先して弱められるという、この国のマスコミに特徴的に見られる特性について指摘されている。
折しも、先述の中東での事件に対する政府の対応について、それを批判することは相手に与するものだという頓珍漢な指摘が、首相から、そして一部マスコミからも聞こえてくる。
これに対し、「自粛という名の翼賛体制構築に抗する」という動きも見られるものの、それを伝えるマスコミは限られ、「見られる」ではなく、目を凝らさないと一般の人には見ることはできない。

辺見さんの言葉の中でいくつか気になったものがあった。
「言葉と言葉の間に屍がある」、そして、「人間存在というものの根源的な無責任さ」
この言葉が何のことなのかを決めつけることはできないし、する必要もないけど、漠然と何を指しているのかを考えてみたい。

そして、この本を締めくくるにあたり、辺見さんは「橋‐あとがきの代わりに」という文を編んでいる。
書かれたのは2011年12月。NHKでドラマ『坂の上の雲』の旅順攻囲戦を放送している様子が最後に記されている。
僕はこのドラマを視てはいなかったけど、ちょうどその頃に中国を旅していて、ホテルでテレビをつけると柄本明さん演じる乃木希典が映っていた。その場所は大連、二百三高地の旅順はそのすぐ近くで、偶然にもそんな場所でそんな番組を視ていることを自分でも不思議に思った。

購入してすぐに読んでおけばよかったと思いつつ、今のこの状況の中でこの本を読んだことに意味があったのかなとも感じている。

現政権になり、言論の幅がじんわりと狭められているのを感じるけれど、こうして言葉を発している人も少なくない。だから、そうした言葉を探し、触れ、そして考えよう。

(※)書名のリンク先は、出版社でなく感想も読めるamazonにしました。

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