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こうやって人はジャッジを得て行くのかしら?と。

2015-08-03 21:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
ここ最近、子供達は妙に「●●ってないよね?」と言う、判断の確認をするような事。すなわち、スピ調に言う所のジャッジの確認をワタリに要求します。

その度、ワタリは自分の知識経験から基づいた回答を、可能な限り本人に解りやすい形で言うのですが、その度に思うのはタイトルに書いた事です。

もう何に関して確認をして来たのか?と言う事すら忘れてしまう位数多くの質問をされましたが、本当、全部が全部自分のジャッジの確認なんです。

いくら高次元存在からの生まれで有っても、基本、人間なんて学ばないと色々解りません。

だから、子供は有る一定の年齢になるまで善悪の区別はつかないと言う前提に立ち、大人が子供達に善悪の区別を教える訳なのですが、もしかしたら子供も含め、人間と言うのはこうやって善悪の区別も含め、ありとあらゆる判断の基準を得て行くのかしら?と、いつも思います。

そう考えると、この世に有る差別や区別、ありとあらゆるジャッジの基準と言うのは常に親の影響を受けている訳で、ある意味親と言うのは難しい立場に立たされているなと思います。

例えば、「ホヤは美味しいのか?」と言う質問をされた事が有り、ワタリは好き嫌いの有る食品だし、不味いと判断した時すごくのたまう意外害はないから、実際に食べてみろと言いました。
まあ、実際に通りかかったスーパーでホヤが売られていた時、ちょっと意外と高い値段で、ああ、こりゃあ寿司屋で食べさせた方が安いな(^^;)と判断したワタリのせいでうちの子供らはまだホヤ未経験なのですが、これと同じで、正直ジャッジの基準は自分で体験した方が正確で早い時の方が多いんです。
ワタリはこの点から、可能な限り子供達には体験をさせる事にしているのですが、中には本人に経験をさせないでジャッジの基準を教える親だっている訳なんです。

もちろんワタリも自分でやって不利益だった事や、本人の健康維持と生命維持に支障が出る事は子供達に体験をさせずに教えるだけで終りにする事が有りますが、これもまたバランスの問題なのかしら?と。

ユダヤの教育方針にね、可能な限り子供には色々な体験をさせるべし。と言うのが有るんですよ。

それと同じで、いくら耳年増にしても、そしていくら親から影響を受けるとは言えども、ジャッジは結局自分で得たものじゃないと意味がないと思うんですよ。

ジャッジって、やってはならない選別とか区別と言う意味でスピでは使用されていますが、生きていく為には必要な物なんですよ。
でも、そのジャッジも質と言うのが問われていて、自身で色々体験した上で得たジャッジじゃないと意味がない。

そう点で、子供達は今とても重要な時期に有るんだと思っています。

長女が4歳位の頃だったかな?やたらとフルネームを聞かれていた頃が有ったんですよ。
そして、それに問われるがままに応えていたら、プールで迷子になった時親を放送で呼び出せるようになっていた。と言う経験が有るので、可能な限りこの確認作業に関しても付き合うようにしていますが、本当色々な事を聞いて来るな。と思います。

まあ、今更ツインが答えているのか?ワタリが答えているのか?と言う区別すらついていませんが、ワタリ個人はツインがいて本当に良かったと思っています。

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