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センシティブも、過ぎればめんどくさい奴

2019-07-08 21:00:35 | 性格を悪くしているエンパスの日々
今回は、ツイッターで感じた事がお題でございます。

ツイッターをやっている人ならご存知の通り、「センシティブな内容を見ないようにする」という選択がツイッターではできるようになります。

ワタリ、これの詳細について知らないでなんとなーくオンにしてたら、自分のページにある全部の画像が見れなくなって後始末に面倒なことになりました(^_^;)

手探りでしていたら、なんとなーく解除できたからよかったようなものの、普通に誰でも見れるようなアジサイの画像すら見れなくなったのにはびっくりしました。

でも、全世界に向けているツイッターだからしょうがないかもしれませんが、これって本当にセンシティブであるエンパスのワタリから見てもやり過ぎなんですよ。

あのね、センシティブな内容と書いて「配慮を必要とする内容」あるいは「見せる相手を選ぶ内容」ですけど、何をもってダメージと認識するのか?というのは人によって様々すぎるの。

もちろん、Gが苦手な人が多いとか、そういう配慮するべき一定の基準はありますよ。

だから、そこは配慮しないとならないし、ワタリだって、好きかって書いているように見えて、実はギリギリの線で配慮しています。

でもさ、センシティブは過ぎればただのめんどくさい奴になるんですよ。

だって、あれはダメ、これもダメ、なんてなったら、「じゃあ何だったらいいの?!」ってなりません?

それこそ、センシティブが過ぎれば、情報源が何もない空間で、引きこもって生活をするしかなくなってしまうんですよ。

交流だって、受け入れられた数人だけで、あとはみんなダメ。

こんな状況、果てして幸せと呼べるかしら?って思いません?

あのね、キッツイことを言うようですが、本当にセンシティブでも強くならないとならないんですよ。

エンパスなんてもろセンシティブの塊だけど、そんな事に甘えて周辺に配慮を求めるのは許されない事なんです。

そして、実際に強くならないと、エンパスは生き残っていけないのが今の時代。

まあ、どうせ5年か10年後にはセンシティブな内容に関する配慮も薄くなるんでしょうけど、本当にエンパスの皆さんはセンシティブだと言うことを自覚しつつも強くなってください。

そうしないと、生き残っていけないのがこの現代なんですから。
コメント
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