世の中の人は、とかく物事を安易に考えすぎる。確かに楽観的に物事を解釈するのも大事だが、そうすると他の大事なものがどこかへ行ってしまう。その大事なものとは簡単だ。それは未来への憂慮である。おおかた楽観主義とは物事をなおざりにしてしまう。計画性が無く、口から出るのは単純な事ばかりである。まず頭の良い人に楽観主義はいない。彼らの見る全ての事象は厭世観に覆われている。したがって頭の良い人は考えすぎや、雑念にいつも追われている事になる。これが厭世主義の正体である。未来への憂慮が激しいために、いつも悩む。それこそが彼らを厭世的と呼ばせる根拠なのである。しかしそれでも世から楽観主義が消え去る事はないであろう。ほとんどの人々は人生を怠惰に過ごしている。まるで機械のように仕事をし、自宅に帰る。これが楽観主義者の生活である。怠惰で自分自身をはっきりと認識していない愚か者たち、それが楽観主義者である。大抵の人々は享楽を追い求めて生きている。彼らは知らないのだ。自分たちのいる場所を。いや、彼らは迷っているのだ。その暗闇の中を手探りで確かめながら、慎重に進んでいるのである。