A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

過度な禁欲主義とは悲劇をもたらす

2007年02月06日 19時54分13秒 | 思想、警句
 ここに簡潔に過度の禁欲主義の末路を二、三示そう。そうする事であまりに激しい特定の宗教の禁欲主義が愚かな行いである事が分かるであろう。
 一つ例を挙げれば、中世に起きたカトッリクの激しい禁欲主義がある。この波動は波に乗り、魔女狩りや鞭による虐待などという形になって、中世を席巻した。この理由を正確に述べるには精神医学的な解釈が求められる。簡単に言えば、サディステックやマゾヒストはある一定の限界を超えるとその反対の性質を示す。これは今、なお現存している精神医学者の信頼ある報告から読み取る事ができる。さらには、米連邦捜査局の資料に載っている殺人鬼にも同様の傾向が見られる。ある殺人鬼はすさまじいほどに自虐的であった。彼は自分を針などの器具で刺す事に快感を覚えていた。そして最後にはその解釈が他の人間とも同調し始め、殺人を起こすに至った。これこそがまさしく禁欲主義の一例である。自虐を激しく行うと、周りにもそれは波及してゆく。これはサディステックな殺人鬼の場合にはも見られる。唯、違うのはその経緯だけである。過度にサディステックな人間はその状態がそのまま昂進し、殺人を犯すに至るか、それとも一旦マゾヒストになり、その状態が過激になり、またもとの道に逆戻りするかの、どちらかである。これらの現象は精神医学では一般的に「倒錯」とよんでいる。
 しかしこの段階に個人で踏み込むのは少数のものである。だが扇動によってその隠された個々人の性格が浮かび上がってくる場合は多い。したがって、中世のカトッリクが強制したすさまじい神への信仰は悲劇を引き起こすのである。さらに述べれば、近世のナチス・ドイツでも似たような現象が起きていた。精微な精神科医クレッチュマーはその著書「精神医学論集」の中で、それに触れている。明らかに積極的にナチスに傾倒するものは少なく、わけも無く、扇動され、流される市民が多かったのである。この事から言っても、私の述べた事は正しいのである。何も犯罪が起きるから、倒錯が起きるのではない。集団迎合とは普段、心の中に潜む弱い魂に強い訴えをおこすのである。それは戦時中の日本の天皇崇拝にも関係してくる。
 結局は精神的に強い自負を抱いていない人間はいつの世にも流され、あるいは悲劇を起こす因子にもなってしまうのである。