koshinmilkのひとりごと

千葉県から2007年に新潟へ移住したkoshinmilkの、近況報告・自己満足のための日記。2005/03/13~

ひとまわり、か・・・

2015-03-31 23:59:59 | 仕事

たまにはずらずらと書かせてもらいます。

 

14年前、ボクはこれでも大学生をやってました。自宅からチャリで通えるトコにある全然有名じゃない5流学校だったけど。それでも大学生でしたから、まぁそれなりに就職活動したんです、それなりに。1社だけ内定をもらいました。作業服作業用品の大型専門店。入社2年目までは店舗研修期間ってことで直営店の店長を任されるんです。最初の赴任先は愛知県の蒲郡でした。一人暮らしどころか八千代を離れたことすらありませんでしたから、赴任当初は夜な夜な泣いて暮らしてました。仕事にも慣れ仲間も出来てくると「住めば都」とはよく言うもので、ボクは蒲郡が好きになっていました。

   

 

隣の岡崎市に居た仲のいい同期が福井の大野へ転勤して大泣きしていると、まもなくボクの転勤も決まりました。数ヶ月前は一人ぼっちで泣いていましたが、今度はせっかく出来た仲間との別れに泣いてました。

  

 

次の赴任先は東京都町田市。頑張れば十分にウチに帰れる場所での一人暮らしでしたので、なにかにつけてはウチに帰ってました。町田のお店の前はある大学のスクールバスの通り道でした。ある日店の前で玄関マットを洗っていると、目の前をそのスクールバスが通って行ったんです。眺めながらふと思いました「ボクの居るトコはこっちじゃなくてあっちじゃないかなぁ」って。そんなことを思っているうちに、なんだか転勤させられそうな雰囲気に。そして考えました、転勤するか転職するか…思い悩んだ挙句、ボクはある会社に手紙を出しました。「コミュニティバスに興味があります。もしよろしければ御社のバスを運転させていただければ…」。数日後電話が来ました、「とりあえず面接に来てください」。

休みの日、ボクは印旛村にあるその会社に行きました。家族経営の小さな事務所の一室に通されて社長にお会いしました。そしてマットを洗ってる時のことを正直に、勧められたタバコを吸いながら申し上げました。すると社長はこう言ってくれたのです、
「人には天命ってのがあってね・・・」。
ボクの天命。。。仲がよかった同期のみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、その言葉が決め手になり、ボクは転勤じゃなくて転職を選びました。ただ、「毎日バスには乗せられない。(その会社のメインの)タクシーに乗りながら」という条件で、ボクは印旛村のタクシー屋さんに勤めることになりました。蒲郡で一人さみしく泣いた11ヶ月後のことでした。

 

 

千葉県独自のシステム「タクシー運転者登録協会」の講習を受けて登録されてワゴンタクシーに乗りつつ、印旛村の循環バスとかにも乗せてもらってました。そんなボクに会社の先輩方はこう言うんです。
「あんたみたい若いのはこんなトコに居ちゃダメだ」
「あのバス会社募集してるんだからそっち受けてみな」。
タクシーは日給月給だしとてもヒマ。バスに乗ればそれなりの激務。それにボクが入ったことで押し出されて別な仕事をしなきゃいけない先輩が居るってのが一番気にかかって。ボクはバス会社2社を受験しました。ひとつは稲毛にある老舗新興バス会社。ひとつは佐倉の電鉄系バス会社。どちらからも内定をもらいました。稲毛の会社からは社長直々に「あなたの考えはおもしろい。ゆくゆくは事務員として」みたいなことも言われました。でもやっぱり都会はちょっと…ボクはそのありがたいお言葉にお断りをして、佐倉バス会社を選びました。いい言葉をくれてせっかく雇ってくれた印旛村の社長に言いました…
「ボク修行に出ます。」
「修行に出て、すぐに帰ってくるのか?」
「いや、それはちょっと・・・」
「んじゃ退職届出して。」
社長は去る者は追わないんだろうか、あっさりとした答えでした。ボクは3ヶ月でその会社をあとに、佐倉のグリーンさんにお世話になることになりました。

 

     

写真はボクの初の担当車。この日早番で入庫後に廃車になることになってました。それを記念(?)して撮った写真です。
この写真を撮る2ヶ月半前にボクはこの会社のお世話になりはじめました。面接受けた時は6人いたのに、入社式の会場にはイスが1つしかありませんでした。座学を4日やって指導運転士さんにくっ付いて実務訓練を受ける3日目。出勤してどうしていいかわからないからとりあえずカップの自販機でカフェオレ買って飲んでたんです。そこにその指導運転士さんが現れて独特の福島弁が混じった口調で言われたんです、「そーゆーのはあとにして欲しいんだよね」。しまったぁ~、って残ってたカフェオレをトイレに捨てて慌てて点検をしに行ったんです。この時のことを見てて覚えていた他の先輩がいて何年かあとの飲み会で話題になるくらいの語り草になっていて、「あ~こいつ辞めるなって思ったよ」なんて。その時の指導運転士さんは「それはゴメン、悪気はなかったよ、それは。」って言ってくれたし、ボク自身はもはや気にするどころかいい経験になったって思ってるんだけど。そりゃそうですよ、先輩が来る前に車の点検しておくのが当たり前ですよ。その指導運転士さんには出庫後にも「ちゃんと新人の…ってあいさつしなきゃダメだ」などの心構え的なことを言ってもらいました。その時のボクはこの業界に適した人材ではなかったんでしょうね。その辺を正してもらったんだと今はとても感謝しています。
その日は違う先輩のバスに乗って帰ったんですが、その時に
「23だっけ?」
「ハイ、23です。」
ってやりとりがありました。
「今年24になります」…言おうとしたけどやめました。やめて正解でした。「23だっけ?」ってのは単独デビューが「23日だっけ?」っていう意味で、決してボクが23歳だっていう意味ではなかったんです。・・・そっかぁ、ってことは「そーゆーのはあとにして欲しいんだよね」っておっしゃった先輩の歳に今年なるのかぁ。あれから干支が一周するんだなぁ。。。

ボクのグリーンさんでの生活は至極順調でした。先輩方は良くしてくれて、深夜急行の車掌さんだった当時の大学生君とは仲良くなったし、組合の執行委員に選んでもらったり。そんな順調ななか、入社して3年後ボクはひとつの決断をします。そして、いまに至るのであります。

 

 

 

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