kosakuの雑念

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知床観光船の事故に思うこと

2022-04-30 12:12:56 | 日記
知床半島沖で乗員乗客26人を乗せた19トンの観光船が沈没してから1週間ほどになるだろうか。
26人のうち遺体が収容されたのは14人であるが、いちいち救助だとか発見だとか容体不明だとか情報として何の意味ももたない言葉遊びのようなことをしている。こんな配慮は報道機関の価値を貶めるだけだと思うのだが、それこそが日本の会社のいうところのコミュニケーション能力の正体なのだろう。そのことは良くわかった。
観光船の運行を実行した船長が問題のある人物だったのかどうかはわからない。人命がかかっている仕事をさせるべきではないというのは簡単である。しかし「機長やめてください」の羽田沖墜落事故は機長が問題のある人物だと周囲が把握していたのに結局何もできなかった。
事故が起きると誰しもいいたい放題なのだが、いくらかの周期で大雪で多くの自動車が立ち往生するようなことが起きるが、どうして立ち往生することを少しも想定しないで必要な準備をしない人がこんなにも多いのだろうかと思う。防災リュックのセットでも買ってクルマに放り込んでおけばいいのにとも思う。でもおカネは勿体ないし、自然災害など想定外なのだろう。ほとんど確実に雨が降るような天気の時ですら、折り畳みカサも持たずに会社や学校に行く人間も多くいる。大事故などは結局はその延長線上にある。
ちなみに超小型軽量の折り畳みカサとか超軽量のウインドブレーカーでもないよりマシだからおススメしたい。値段は高いが。
規制だの罰則だの基準だのといっても、プロフェッショナルが本当にこれだけは守らないと危険であるということを掛値なしに決めなければ、余裕があればやったほうがいいけど実際やれないよねみたいな形骸化したものになる。
実際道路の速度制限にしたって30キロだの60キロだの100キロだのいろいろあるが、本当にこの速度制限を守らないと危険であると誰も認識していないし信用もしていないから守られない。
警察官がいたら怒られたり罰金が痛いから、取り締まるポイントでは気を付けようというだけだ。結果としてその規則が守られたとしてもそのプロセスには何の意味もない。

吉野家シャブ漬け事変への個人的感想

2022-04-26 14:26:02 | 日記
早稲田大学で29回38万5千円のセミナーで講師のひとりである吉野家の経営陣のひとりが女性客をお得意さんにする方法論として不適切な表現をしたということなのだが、漫談ではないのだからもっと科学的な表現があって然るべきだと私なら憤慨したかもしれない。牛丼に依存性があるのかというのも疑問ではあるものの、もし吉野家と松屋とすきやが並んでいたなら吉野家を選ぶだろうという程度には吉野家の味付けは好きである。限界効用逓減の法則が適用できるであろう牛丼においては禁止薬物のような依存ビジネスは成り立つのであろうか。というより胃袋の容量の限界があるから、そもそも女性は牛丼並盛でも多いのかもしれないし、滞留時間も長いからお得意にすべきカテゴリーなのかなあという疑問がある。とにかく地方出身者とか低所得者とかいろいろな人たちをバカにした発言というのがいくらかあったらしく、それらの表現を憤慨してマスメディアに情報を提供した受講生がいたらしいのだ。

週刊文春の記事によれば、主要人物はわたしと同世代の人間で、プロクターアンドギャンブルに勤め同社製品のユーザー層の情報を足で稼いだりして並外れた業績を達成、退職後2018年から吉野家で働いているらしい。そこで女性客を増やす施策を立案実行しているとのことなのだが、吉野家をはじめとする牛丼チェーン店に女性がひとりでも入るようになったのは、もっとずっと前だと記憶している。たまたま2008年の北京オリンピックのときは都心のど真ん中に住んで山手線圏内をガンガン散歩していたのだが、もうその時には女性客は結構出たり入ったりしていたのを目撃している。一説によればタレントの中居正広をテレビCMに起用して増えたのだという。もっともそのころの東京では女性どころか様々な国籍の人が食べに来ていた。牛丼の並盛も学生時代とくらべるとずいぶんと具材も米も量が減ったものだが、それも女性客を意識したものなのだろうか、それともステルス値上げだったのか。ただあの当時はマクドナルドの昼間のハンバーガーとコーヒーのセット150円が最強すぎた。その後東京チカラめしが出てきたときは吉野家も負けじと牛焼肉丼を出してきたあれは、値ごろ感が良くて好きだったけどやっぱりコストに見合わなかったのだろうか、、、。
(吉野家の話より東京チカラめしの興亡のほうが面白そうだ)

女性客を取り込むといっても、そもそもの来店頻度とか客単価とか具体的な話がさっぱり出てこないのだけれど、どの辺がセミナータイトルである「デジタル時代のマーケティング」なのだろうか。しかしデジタル時代とはずいぶん雑な表現もあったものだ。せめてビッグデータ時代のとか、ネットワーク主導の時代のとかひねりが欲しいところである。

講師の女性蔑視的な発言については、プロクターアンドギャンブルの経験もあるのかもしれない。確かに昔に(今は知らない)仕事でかかわった限りにおいては、同社の男女の能力の格差はかなりあったような印象がある。でも同社の女性従業員はとても楽しそうで生き生きとしていたことも印象に残っている。ああいう雰囲気が維持されて数十年も経っているならば、男女の能力差はなくなっているだろうとは思う。

早稲田大学も少しだけ仕事で訪れたことがある。せっかくだからオレは都電で行くぜと意気込んだらやたら遅いし飛鳥山公園のあたりしか路面電車でないし、1回乗っただけで飽きた。ただ延々と乗るのが好きな人にはなかなか低コストの娯楽ではある。普通の人にはおとなしく東京メトロを使いなさいという助言をしたい。

同大学は出てすぐのところに日高屋があってダブル餃子定食が最高すぎるので、同大学付近で吉野家を利用したことはない。まったくどうでもいい話だが。

それにしても38万5千円かあ。個人負担なのか会社負担なのかによるけど、個人負担だったら、それこそライザップゴルフに行ったほうが良くないかなあ、それよりワイド版世界の大思想全巻買っても25万円しないなあ。古本屋で全巻セットあったら買っちゃおうかなとか思ってしまった。

とはいえ悪名は無名に勝るという格言もある。渦中の講師にはそれを利用して自分の能力を発揮していただきたい。
いやむしろ超本音マーケティングとかそういう本を執筆すべきである。もし出したら買う。

私も以前、女性従業員は男性従業員の嫁さん候補として採用しているとか、障がい者雇用の補助金は大したことないから罰金払ったほうがマシとかいうすごい本音をいう経営者と会ったことがある。ホンネ主義にはある種の爽快感はある。でもまあそういう経営者の率いる会社というのは究極的には落ちぶれるようになっているのである。彼らを思い出してみるとテレビタレントの毒舌だのホンネなんて全然毒舌でもホンネでもないのである。「死もまた社会奉仕」なんて石橋湛山の言は当時からしてもアウトだろう。それに比べれば、、、。という問題でもないか(笑)












リストラ最前線

2022-04-19 09:40:00 | 日記
希望退職より指名解雇を断行すべきというが果たしてそうか。
まあ確かに有能な人間が去って無能な人間が残るということが起こりそうな感じではある。
しかしそんな左前の会社に有能でもなお残っているというのなら希望退職で退職金上積みでもやめないと思う。
スーパーな人間はどうせ残っていない。
有能無能といっても程度問題だ。
とにかく出血を止めるのが最重要である。
希望退職なら禍根を残しにくいし、残った戦力を与件として運営を考えた方がいいと思う。
それと自己評価が高すぎる人間が去ってくれるのも割合メリットがある。
なんというか引き止めてもらいたい感じを出す人たちいるよなあ。



タイミーというバイトアプリが意外とおすすめな件

2022-04-14 11:57:59 | 日記
今日は特に用事らしい用事もないので雨が降っていてもいい。
ウクライナ情勢はなぜこんなにも報道されているのだろう。
これまでのアジアアフリカの紛争で起こってきたことと本質的には何も変わらないはずなのに。
そんなことよりファミリーマートのジューシーメンチカツ138円28円オフのクーポンを使って食べたがおいしいし食べ応えのある量。
人不足の職場で、タイミーとかいうやつで人集めしたら思ったより全然使える。
登録した人が自力で職場に来るのだけれど、それだけである種のフィルター効果もある。
スマートフォン持ってない人とか別にラガードを差別したいわけではないけどちょっと面倒くさい。
ちょっとあんまり来てほしくない人には次回からお断りできるブロック機能がある。
その機能はなるべく活用したくはないが、なるほどと思わせる仕組みだ。






いまこそフィクションの時代

2022-04-13 07:01:00 | 日記
何やら三流大学に入っても人生はそこでは決まらない的なスピーチをその三流大学とやらで弁じた政治家が叩かれたというようなことが入学式関連のニュースであったのだが、ポリティカルコレクトネスとかを威光にした言葉狩りが横行していて難儀な時代でもある。

環境問題とか防衛問題とか何やら誰もホンネは言えないし確かにパブリックスピーキングではいうべきではないこともある。

そんなわけで、フィクションの形で登場人物にいろいろ語ってもらうのが良いのではないだろうか。

私も架空の三流大学を出た主人公のサクセスストーリーを考えてやろうかと思って、いろいろ本物の名称と被ってはまずいと思い調べてみたが、すでに現実は架空の名前なのではないだろうかと思わせる学校名学部学科名であふれているのを思い知った次第である。

特に学部学科については明治時代から続く伝統ある学校においても物凄いことになっていて、これが多様性というやつなのか、いやちょっと違うかなと頭を痛めている。