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死んだ子の歳を数える

2021-03-06 16:35:21 | 日記
東日本大震災から10年。
この前、津波に見舞われた職場で行方不明になった娘の手がかりをさがして沿岸部のダイビングを続ける人を追った番組をみた。
毎年娘さんの誕生日にケーキを買って誕生パーティを似たような境遇の人たちとしていた。
この娘さんの親夫婦は震災から一歩たりとも進もうとしない。
母親は周りのペースについて行けないとか言っていた。
ペースとかいう以前にフィールドに降りてもいない。
10年間ずっと昔ばなしばかりしているのだろうか。

何年追跡取材しても取材対象が何一つ変わらないという点について製作者がどう思っているのかはちょっと知りたいとは思う。
いつかは立ち直って何かを始めることを期待しているのだろうか。
などと深く考えたと言いたいところだが、辛気くさいものを見てしまったというのが正直な感想。
もう震災だの復興だのは今年は見る気が失せた。
申し訳ない気もするが。
通信販売で買える食材など購入してわずかながらの支援はずっと続けるけど。

そういえば昨年の年末くら沖縄の60年前のF100Dスーパーセイバー墜落事故についてのドキュメンタリーを見たことを思い出す。
事故の周囲には1500人の人たちがいたとかで、語りつぐ会みたいなところの人たちが、全員の証言を集めて初めて全体像がわかるいう主張のもと、いろいろと聞き取り調査などする様を描いていたのだが、終わりが見えない仕事を無理に作り出しているようにしか見えなかった。
証言を拒む人もいて、その理由を知りたいと思ったが、テレビは何も取材してくれない。
何か事件を風化させてはいけないみたいな主張のなかに恨みを忘れるなみたいな匂いを感じるからではないか。

語り継ぐ会みたいな人たちが出身が公務員のようで、商売人とか会社員みたいにアメリカ人と本質的には関わりなく生きていけるということに対して反感のようなものがあるのではないか。
私も個人的に米軍基地のそばに住んでいたことがあるが、そんなに簡単に反米だの親米だの割り切れるものではない。
いろいろな事件があり、いろいろな事情があり、いろいろな人たちがいる。

墜落した機体のパイロットの息子だか孫だかをアメリカまでさがしにいって、謝罪させるみたいなことをやっていた。

自分がこれらのドキュメンタリーの何が気に入らないのか考えていたのだが、たぶん、テレビそのものが知られざる物語を掘り起こすというような役割を全く果たしていないという点にあるのではないか。

誰もが語らない語りたがらない何かをテレビドキュメンタリーに期待してしまっているのだろう。
たぶんそれはテレビではできないのだろう。

最近のフジテレビのザ・ドキュメントに腹がたつ理由は分からない。
それも今後考えていこうと思う。








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