kosakuの雑念

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そんなに辞書が悪いのか

2009-02-19 00:02:39 | 日記
気になる本があったら買っておこう!
ただしブックオフ105円コーナー限定。
bring back capabilityの許す限り・・・というか常用しているメッセンジャーバックに入る限りは古本屋に行ったらいろいろ考えずに買ってみようと思って、相当に在庫が溜まってきたので、読んであれこれ書いて行こうと思う。
だから、中途半端に古い本の感想文が続くかも知れません。

「辞書のウソ」(辻本浩三著、2000年)
アイデンティティ、抽象、記号、常識、表象といった評論で多用される概念について、辞書(主に広辞苑)の定義がいかに現代の評論の使い方からかけ離れているか等々を糾弾ないし楽しむ本(というのが私の見方)。
取り扱っている言葉は主に哲学用語等の輸入品である。
扱っている例文が多くて面白いが、疑問に思うのは辞書が今どきの言葉の使い方を反映していないからといって、そんなに悪いことなのだろうか。評論が誤用していたり都合よく解釈していることもあるんじゃないだろうか。
例えばセレブリティーやリベンジ、サボタージュといった用語も日本独自の用法を辞書に反映すべきなのだろうか。
(とはいえ、あまりにも辞書が酷い例も散見されるが)
結局のところ哲学的概念等の使いかたは、サーチエンジンで(表現)検索をかけて、なんとなく共通見解をさぐって使っていくほうが良さそうな気がしてきた。
とはいえ「デジタル人間」のように”杓子定規な人間”という否定的な使い方、”新しい機器に強い”という肯定的な使い方がありうる場合どうするのって話。
確か鈴木孝夫と思ったが「彼は社長であって社長ではない」という例を何かの本で論じていた。
1)社長だが、社長らしい仕事をしていない
2)社長だが、実質的に決定権がない
状況が分からないとどちらの意味かは不明である。
結局のところは自分は電子辞書の広辞苑をほとんど漢字を忘れた時に使う道具にしか使っていないことが分かった。
たまには中身も読んでみよう。






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