旧柳生街道(滝坂道)の紅葉と石仏を楽しみながら、歩いてきました。
柳生街道は、奈良と柳生を結ぶ、人気ハイキングコースですが、
江戸時代の初期、西国で有事が起こった時、柳生から奈良へ
いち早く兵力を送るために整備された軍事道路でした。
現在も当時整備された石畳の道が残っています。
後に柳生⇔奈良になくてはならない生活道路に
変わり、昭和の初めまで利用されて来ました。
能登川沿いに伸びる石畳の道。見た目には趣がある情景
ですが、思いのほか歩きにくいので、足元はしっかりと…。
昼でも薄暗いこの石畳道を、柳生十兵衛ら剣豪
も往来したかと思うと、ちょっとした旅人気分に。
渓流にはこのような、大小様々な滝があり、
汗ばんだ体に、瀬音が心地よく響きます。
滝坂道は、古くから修行僧の修行場だったところ。
街道沿いには、修行僧が彫ったと言われる、
様々な石仏が点在する石仏街道です。
そのいずれもが逸品揃い。
道端に横たわる「寝仏」(大日如来)
元はもっと上方にあったのですが、
転げ落ちてきて、ここに鎮座。
岩肌に彫られた等身大の磨崖仏「滝坂地蔵」。
鎌倉時代の作で、一際美しい石仏さん。
滝坂地蔵の足元の岩に彫られた三体地蔵。
木陰に隠れているので、こちらはほとんどの
人が、知らずに通りすぎてしまう石仏さん。
滝坂道には、楓の老木が多くあり、
秋には紅葉のトンネルが出来ます。
石仏とセットで楽しめるコースです。
倒れずに頑張っています!
弥勒三尊磨崖仏(朝日観音)
左側2体は鎌倉時代中期の造立。
右側の地蔵は、室町時代に追刻。
高円山からの朝日に、美しく浮き出る所から
通称・朝日観音と呼ばれていますが、
実際は観音像ではなく、真ん中が
弥勒立像、左右は地蔵立像です。
多くの旅人が、朝日に輝くこの
像に、旅の安全を願って、手
を合わせたのでしょうね。
首切り地蔵(鎌倉時代後期)
滝坂道を登り切った所が広場になっていて、
トイレや休憩所があり、ここで一休み。
この広場に「首切り地蔵」と呼ばれる高さ
182㌢の大きな地蔵さんが立っています。
首の所が破損しており、荒木又右エ門が
試し切りをしたとの、伝説があります。
新池周辺は特に紅葉の美しい所で、人気のスポット。
石切峠の穴仏(平安時代後期)
この辺りは昔、寺院用の石材を切り出したところ。
石仏は風化が激しく、当時の姿を留めている
像は、少なくなりました。
新池上手にある阿弥陀磨崖仏。
室町中期の造立と思われます。
地獄谷聖人窟(奈良時代後期)
採石の跡地に彫られたと見られ、
すべてが線彫り。保存状態も
良く、彩色も残っています。
柳生への、途中にある峠の茶屋。
旅人はここで一休みしたそうです。
現在も営業中。軽い食事可です。
誓多林の集落で見かけました。
集落の名は、インドの聖跡から
付けられたと言われています。
民家の軒下につりさげられた
昔の消化器具。
芳山二面石仏(奈良時代後期)
街道からは大きくそれますが、古風な着衣の
必見の名品です。峠の茶屋から往復1時間ぐ
らいかかります。道も分かりづらく、見通しも効
きません。行かれる場合は下調べを十分に。
茶畑地蔵(南北朝時代)
大和茶畑の中腹に立つお地蔵さん。
ここから、街道を往来する人たちや、
時代の変遷を見守ってきたんですね。
この辺りで、柳生まで半分足らずの行程。
枚数が多くなりますので、今回は
ここまでにさせて頂きます。
いつもご覧いただきまして、
ありがとうございます。
(2015・12・2)
社友と行った懐かしい柳生街道。もう何年経ったのかな?
峠の茶屋ははっきりと覚えています。亡き人も居ますが
4人でしたね。
こんなにたくさんの石仏が点在していたのですね。
朝日観音、首切り地蔵、地獄谷聖人窟は印象に残っている。
真っ赤に燃える紅葉もきれいですね。
若い頃を思い出して、長生きをしているな~と、感じた。
先日、醍醐寺へ行ったが紅葉は終わっていました。
峠の茶屋も雰囲気が良いですね。
営業されてると言う事は人の往来がそこそこ有るのですね。
当時とはあまり変わっていませんよ。いつかまた一緒に歩いて見ませんか?
新緑の時と、紅葉の季節は特にハイカーが多く、人気のコースです。
最近は外国の方も多く見かけられますよ。
だだ奈良~柳生は距離が長いので、2回に分けて歩かれる人が多いようです。