金剛山四季の花

金剛山(1125㍍)で撮影しました、四季折々の山野草を中心に
登山、催し、花など、宝石箱のような忍者のブログです。

航空自衛隊F15戦闘機(金沢県小松基地)

2019年12月23日 11時29分30秒 | 写真

 金沢に行く道中、航空自衛隊小松
 基地の側を走るので、飛行機好き
 の私、素通りするわけにはいかん
 やろ!と言うことで、北陸道・加賀
 ICで降り、小松基地に不時着し
 てきました。
 
 小松基地は、日本海側唯一の戦闘
 機基地。最新鋭のF15機が配備
 され、主に日本海の国籍不明機な
 どの、警戒に当たっています。



 F15は空自の主力戦闘機。全国8
 個の飛行隊に、約200機が配備。
 
 30年以上経過した機体ですが、レ
 ーダー、電子機器など、搭載装備
 の近代化などで、トップクラスの
 戦闘機。







 スクランブル発進に備え、アラー
 トハンガーで待機中のF15。





 雪化粧の山は、白山



 轟音を響かせ、訓練飛行に飛び
 立つF15。





 飛行中のF15











 UH60J救難ヘリ。
 アメリカが開発したUH60ブラ
 ックホークを、日本が救難用機
 に、独自に改良したヘリ。

 航空機搭乗員の救出が主任務で、
 24時間体制。



 訓練中の救難ヘリ



 U125A救難捜索機。



 F4EJ改「ファントム」機の離陸。
 百里基地(茨城県)からのお客様。
 運が良ければ、小松基地所属機以
 外の機体も、楽しめます。



 ファントムは、空自で一番古い戦
 闘機。
 ステルス戦闘機F35Aに更新が
 始まり、退役が近い機体。現在残
 っているのは、40機足らず。
 しかし、航空機ファンの人気は根
 強く、各基地で毎年行われている
 航空祭には、引っ張りだこ状態。



 海上保安庁のヘリ。
 F15の飛行姿を、こんな風に、
 白山をバックに狙っていたので
 すが、だめでした。



 民間機と共用空港のため、戦闘機
 と民間機の両方を、楽しめます。



 訓練飛行を終え、次々に着陸するF15J












 今年1年、お立寄り頂きました
 皆さま、ありがとうございました。


 

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葛城古道のヒガンバナ!

2019年10月01日 23時35分33秒 | 写真

 今年は大幅に開花が遅れた、ヒガ
 ンバナ。私が住まいする近辺だけ
 かと思ったら、朝日新聞の「天声
 人語」の記事によると、気象庁が
 観測している、全国18カ所のうち、
 14カ所で平年よりも開花が、遅れ
 たそうです。
 
 遅れは、全国的だったようですね。
 きつい残暑が、植物たちのサイク
 ルを、狂わせたのかも、、、




 ここ葛城古道沿いは、今が盛りと、
 畦道は彼岸花だらけ。
 見物の人や、いいアングルを探す
 カメラの人達で大賑わい。





 私の子供の頃は、彼岸花は縁起の
 悪い花の、代表格でした。
 学校帰りに、田んぼの畦から掘っ
 てきた彼岸花の球根を、家の庭に
 植えると、母親が「曼殊沙華は、植
 えたらあかん。縁起が悪い」と、よく
 叱られました。

 きれいな花なのに、と思いながら、
 元の場所に返しに行ったことも、
 ありました。





 それが今では、もてはやされる
 人気花に。
 天声人語によると、彼岸花の呼び
 名も各地様々で、キツネノタイマ
 ツ、オイランバナ、ユウレイバナ
 など、数百とも千にも及ぶともい
 われているそうですよ。

 私の母親は、マンジュシャゲと呼
 んでいましたが、曼殊沙華は梵語
 で「天上花」のことだそうです。
 昔、お墓地によく植えられたのは、
 このためだそうです。







 無人販売所もありました





 途中、千体石仏で有名な九品寺
 へも、お立ち寄り。

 
 この石仏群は、南北朝時代、この
 地を支配していた楢原氏が、楠木
 正成公に味方。戦に出る前に、一族
 が身代わり石仏を、菩提寺・九品寺
 に奉納したのが始まり。

 実際は、1700体ほどあるそうです。



 風化し、お顔もよくわからない
 石仏が、境内のあちらこちらに



 ちなみに、九品寺は行基が開いた
 お寺さん。本尊・阿弥陀如来坐像
 は、重
要文化財。



 九品寺の近くにある「番水の時計」
 用水路の水を、田んぼに公平に流
 すために、設けられた時計。
 水の番人がこの時計を見ながら、配
 水を調整したそうです。



 左側の小山は、大和三山の
 ひとつ「畝傍山」





 白いヒガンバナは、ショウキラン
 と、ヒガンバナとの交雑種だそう
 です。
 彼岸花は、日本に自生していた
 のではなく、古い時代に中国か
 ら渡ってきた、と言われています。




 1本だけポツンと、黄色の
 ヒガンバナも、、、



 コスモスも見頃を迎えていました。





 ヒガンバナを撮りながら、葛城古
 道をのんびり、歩いてこようと、
 出かけたのですが、暑さにギブ
 アップ。午前中でおしまいにし
 ました。
 それでも、4時間半ほどはヒガン
 バナ漬け。撮りまくってきました。

 それにしてもこの暑さ、いつまで
 続くのでしょうね?


















 

 

 

 

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旧日本海軍局地戦闘機「紫電改」(しでんかい)

2019年08月21日 22時07分28秒 | 写真

 加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡
 で、旧日本海軍戦闘機「紫電改」
 の実物大模型
(全幅11・99㍍、全長
 9・37㍍、重さ約2㌧)の、一般展示
 公開が行われています。
 飛行機大好きの私、見に行って来
 ましたよ。
 
 公開開始時間より、だいぶ早く
 到着。早過ぎかなと思いきや、
 元滑走路内に設けられた駐車
 場は、車だらけ。
 (駐車料は無料でした)



 この鶉野飛行場は昭和18年、パイ
 ロットを養成するための「姫路海
 軍航空隊」設置が始まり。

 訓練生・練習生は、九七艦攻(3人
 乗りの九七式艦上攻撃機)で操縦
 技実を磨き、各地の実戦部隊に配
 置されました。

 パイロット養成に使われた
 「九七式艦上攻撃機」




 

 「紫電改」は、第2次世界大戦末期
 旧日本海軍が、劣勢挽回の切り札
 として、送り出した戦闘機。






 紫電改を開発したのは、
 「川西航空機」(現新明和工業)
 
 川西航空機は戦時中、伝説
 の飛行艇「二式大型飛行艇」
 (通称・二式大艇)を製作。
 現在も海自の救難飛行艇「US2」
 (離着水能力3㍍)と言う、高性能
 の飛行艇を手掛けています。

 写真は、先の大戦で大活躍した
 川西航空機の「二式大艇」。
 世界で残っているのは、この機体
 一機だけです。
 (海自鹿屋航空基地で撮影)





 紫電改と、鶉野飛行場のかかわ
 りは、、、
 川西航空機の姫路製作所で完成
 させた機体を分割し、馬車で鶉野
 の組み立て工場に運び、再度組み
 直され、鶉野飛行場で試験飛行
 後、前線に運ばれていきました。







 川西航空機鶉野工場では、終戦ま
 でに紫電466機、紫電改44機が組み
 立てられました。




 加西市には多くの戦争遺跡が
 残されており、平和学習に役立
 てようと、同市が「紫電改」の実物
 大の模型を、メーカーに発注。
 完成後、一般公開されています。

 飛行場歴史保存に取り組む保存
 会の理事・上谷さんは「今の平和
 の陰には、大勢の若者たちの犠牲
 があった。模型を見て、命の尊さ、
 重みを感じてほしい」と、、、



 チョーク(車輪止め)も復元



 紫電改に装着されていたタイヤ



 今にも飛び立ちそうな大迫力!
 とても模型とは思えません。
 人力でも動かせるので、屋外
 展示も可能。






 細かいところまで、念入りに
 製作されています。





 製作費は、約1500万円だそうです。

  鶉野飛行場跡
 全長1200㍍、幅60㍍。
 戦時中、ここで飛行訓練を終えた
 若ものが、前線に飛び立っていき
 ました。
 当時の姿を残す現存滑走路は、
 日本では、鶉野だけだそうです。



 飛行場遺跡の他にも、広い農場
 の中に、いくつも戦争遺跡が点在
 していました。


 巨大防空壕跡(発電機室)
 電力供給がストップした時、即
 基地の電力を確保できるよう、
 地下防空壕の中に、発電機
 が設置されていたそうです。




 壕には土を盛り、小山のように
 カモフラージュ。
 私が訪れた時は、こんな状態。
 



 ちょっと気になったのが、壕の
 むき出しになっている部分。
 コンクリートの中に、多少の小
 石を混ぜることは知っていま
 したが、その小石の割合が多す
 ぎるのではと、感じました。
 
 思うに当時、資材が不足してい
 て、小石の量を増やしたのかな?
 と、考えてしまいましたが、、、




 対空機銃座跡
 ここには25ミリ連装機銃が、配備
 されていました。
 他に4か所、銃座跡が残っている
 そうです。






 防空壕跡
 壕内には、30人ほどが入れます。




 旧姫路海軍航空隊衛兵詰所跡
 



 衛兵が待機した詰所と門柱が、
 元の場所に再現されています。




 弾薬庫跡
 壁の厚さ70㌢、天井1㍍。1㌧爆弾
 にも、耐えられる構造だそうです。




 弾薬庫内部は、アーチ状で、
 換気口も取り付けてあります。



 地下指揮所防空壕入り口



 予約すれば、この地下指揮所防空
 壕の、内部見学が出来るそうです。




 70年以上も前の戦争遺跡。それも
 当時のままに近い状態で、出会え
 るなんて。
 感慨深い1日になりました。
 
 のんびりと、草をはぐくむ牛さん
 を眺めながら、給水タイム。
 平和っていいですね!





 (追記1)
 昭和20年2月、姫路海軍航空隊
 でも、特別攻撃隊を編成されるこ
 とになり、姫路城の別名「白鷺城」
 にちなみ「白鷺隊」(はくろたい)と
 命名されました。
 
 同年4月、第1次菊水作戦から
 5度に渡り、鹿児島の串良基地
 から出撃。63名の若い人達が、
 還らぬ人となりました。

 滑走路のそばに建つ
         「平和祈念の碑」。
 特攻隊として亡くなった63名と、
 練習中に亡くなった7名を偲び、
 平和を願って建てられました。


 (追記2)
 終戦時、鶉野飛行場に残存の航空
 機は、
 紫電57機、紫電改13機(未完成6機)
 零式練戦3機、93式中練3機、
 (白菊・彗星・銀河・90式陸練・陸軍高
 連各1機)。

 練習機として使っていた、九七式艦
 上攻撃機は、特攻機として使用され、
 出撃。全機が鶉野飛行場に、再び
 降り立つことは、ありませんでした。

 残存した紫電の内、3機がアメリ
 カに運ばれました。



 (メモ)
 展示公開は当面の間、毎月第1、
 第3日曜日に。
 時間は午前10時~午後3時迄。
 見学料は無料です。

   色々とお話を聞かせて頂き
   ました皆さま、お世話になりま
   した。ありがとうございました。

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