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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森208号

2008-07-22 | 201号~220号
       ■こならの森208号■2005.8発行
表紙 「巨石ペトログラフ 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

としこの巻頭詩………………………3
イメージサークル……………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン…5
特集「古代巨石文化」………………6
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

ペトログラフ・縄文天文台・ストーンサークル
古代文明に迫る

■金山巨石群
 ちょっとした、調べものをしていて深みや横道に入ってしまうということは往々にしてある。それも全く別な分野から入ったのに気がつくとおよそ関連性が見いだせない方向に大きく展開している。今回の企画もそんなことから始まった。
 概略は岐阜新聞の記事によれば、『………岩の配列や割れ目、断面の角度、方角などを本格的に測量するうち、「夏至と冬至の夕日が差し込む二本の線が線刻された巨岩」を発見した。
 さらに「この地点から東隣の二岩の間から夏至の日の出が観測でき」「この巨岩の断面は真北を向き、北隣の巨岩のへりに北極星が見える」「その巨岩の断面に沿って日没の空を見るとベガかカペラが見える」ことなどを突き止めた。(1998年8月14日付朝刊県内版より)』とある。
 また、毎日新聞の記事によると、『金山巨石群は99年6月から調査が行われ、2001年には調査委が「巨石群全体が太陽の方位と高度を捕らえる配列・構造になっており、春分、夏至など1年の節目の太陽の動きに符合する天体観測遺跡だった」と発表して一躍注目を集めた。
 巨石群は高さ幅約5~10メートルある4個の巨石で構成し、内部は洞穴になっている。巨石の一つは40度の角度で南の空に突き出るような形をし、約40メートル東には同じような大きさの十数個の石が点在する。」
 (詳しくはホームページを「金山巨石群」か「金山巨石群と太陽暦」で検索してください)。

 世紀の大発見?、あのエジプト考古学者吉村作治氏も現地を訪れているという。そのわりには、いまいち新聞報道などが少ないのではないだろうか。今後に注目だが、この地区にも天然記念物にしていされている名草の巨石群があると思いインターネットで検索してみて驚いた。あまりにも似かよっている点が多いからだ。そして、栃木県のミステリーという本では、ペトログラフとして名草の巨石群の記事が出ている。
 
■取材決行
 あらたなる発見があるかも知れない。そう思って早速取材に向かった。ルート的には、飛駒方面から回り込むと、巨石群のすぐ上にある駐車場出に直接出られるので、田沼町経由とした。そして、途中にある唐沢山の鏡岩も参考のために取材する。最初の取材では通り一遍のもので、実際には鏡岩を特定できなかったため後日、再取材となった。

■鏡岩
 鏡岩、市内には塩坂峠近くの神社(寺久保町の熊野神社境内)にも同じような岩があるということだが、正面から見るのと、反対側に回ってみてみるのとでは様子が全く違う。鏡岩といわれる面は、平らな部分が多い。これは自然の造形なのだろうけれど、光を反射しそうな部分だけは明らかに造形が他とは違っている。どう考えても人間の手が加えられているようにしか見えない。それから、失礼ながら、鏡岩に上ってみると、頂上部分は平らになっている。真っ平らといってもいいくらいだ。これは、察するに自然石を加工した砦の一種だと考えると分かりやすい。敵が攻めてくる方向からみると、自然の岩にしか見えないが、反対側に回り込むとうまくできた陣地である。岩に寄りかかって弓矢か、はたまた鉄砲を構えるには好都合に出来ている。弓矢なら予備の矢を多量に置いておくことが出来る。傾斜角度45度から50度の岩は、寄りかかるには好都合だ。寝そべるほどではないが、長時間待機するにはもってこいなのかも知れない。
 岩の向きは真南より少しずれていて南西の方角。断面の角度がほぼ45度というのがどうにも自然石とは思えない一番の理由でもある。それから、少し西側には、まっぷたつに割ったような岩があり、西側の方向へ指し示すかのように伸びている。その先には、唐沢七岩のひとつで「胎内くぐり」と呼ばれているものであろう、巨石と巨石が折り重なったところがある。天文台との関連は不明だが、伝説の鏡岩が西日を反射したという記述などから推測するに、「西」というキーワードがどうしても引っかかる。光の反射では、入射角と反射角は同じ角度なのだから、西日が当たってまぶしく光ってみえる方角は季節にもよるが夏の場合岩舟方面となる。逆に、戸奈良方面から見えたとしたら日の出の太陽光ということになる。
 また冬場だったとしたら、角度からいって朝日も夕日もこの岩には当たらない。これは実際に実験をしたわけではないので何とも言えない。
 冬至や夏至に、鏡岩からみてどの位置に日が沈むのか、また、夜には鏡岩ごしにどんな天体が見えるのかなど興味は尽きない。

■名草の巨石群へ
 名草の巨石群は、その昔に一度か二度来たことがあったが、その時の様子はうっすらとしか覚えていない。今思っても弁慶の岩くらいしか記憶にないし、このあたりを巨石群というのだろうというくらいにしか思っていなかった。
 実際には、さらに奥の院ともいわれる群があり、天然記念物にも指定されている。
 巨石群というわりには、これだけと思いきや、その周辺にも巨石が点在し総じて、群といっているとのことだった。関東ふれあいの道の看板にもそれらしき点在を示す痕跡がある。
 確かに、道すがらにも数個であるが、巨石や「中石」があった。

■ペトログラフ
 一番気になっていたのは、ペトログラフだったが、初めのうちは巨石に圧倒されたのかすぐには見つけだすことが出来なかった。それもそのはず一般道から見ていったのでは全体が見えない、岩の反対側ともいう部分に刻まれているからだ。前出『栃木県のミステリー』という本で最初に見たときは、岩を二つに割るときの刻みだろうと、簡単にかたづけていた。でも実際に目の当たりにすると、想像よりもずいぶん大きかった。どこからか運んできたというものではなさそうである。四角形の刻みが10個並列し、それより少し小さい長方形の刻みが4つほどある。古来の日本庭園などの造形でよく使われる数字は奇数である。7・5・3、全部足すと15。でも10と4はどちらも偶数で足しても14、これまた偶数だ。これを仮に人の両手の指の数と、両手両足の数と思えば合点がいくのだろうか。
 それから、古代の道が現代の道と一致するのかは分からないが、一般的に見てすぐに分かる所にペトログラフが刻まれていないことを見ると、これ見よがしのものではなさそう、つまりだれかのいたずらではないのであろうと思われる。
 また、その上部にある丸い刻みは、岩の方向からして太陽を意味するともとれる。

■金山遺跡
 金山遺跡の神殿のある巨石群一帯も北側の斜面ではなく南向きである。名草の巨石群でもそうである。ただ、真南というわけではなさそうである。どの地点も鬱蒼と樹木が生い茂っているので、太陽の位置ははっきりしないが、山に隠れて太陽光線がまったく差し込まないという事はない。
 厳島神社下の巨石内にある胎内くぐりといわれるところに入ってみると、岐阜の巨石にもあるように内部から天空が見える所がある。取材班は午後の2時位に現地に立ったのだが、この時点では日の光がここに差し込んでくる事はなかった。その時期がいつかは分からないが必ずあるはずだ。
それはいつなのか、そして何時くらいであるのだろうか。
 岐阜金山の巨石群にある岩の角度や大きさ配列など似通っている点も多いので、今後の調査が待たれる。

 それにしても、金山遺跡の線刻模様が現在でも太陽の運行と一致するということは、付近では大地震が発生していないということになる。少なくても震源地や断層はないのだろう。最近の調査で「線刻」された時代が、紀元前500年頃と言われている。佐野地区周辺は過去何万年も大地震が発生していないといわれるから、巨石群も地震によって移動したと言うことはないであろう。この点でも貴重性があると思う。

 金山遺跡の発見は一人のアマチュア研究家の長期に渡る執念とも思える調査結果によるのです。そうしたことがなかったら発見にはいたらなかったでしょう。日本の超古代文明というのは、話題性としてはおもしろいものという捉え方が一般かも知れません。教科書ではいっさい触れられていない世界です。つい最近まで日本には石器文化は存在しないといわれ、縄文人は、原人程度の野蛮人という常識がありました。もちろん今は根底から覆されようとしています。
 
 名草の巨石群は山奥だったからこそ現代にまで残されてきた、そうではなかったならば、足摺岬のストーンサークル(世界最大)のように、破壊されていたことでしょう。山奥の鬱蒼とした神秘、神々しさ、また山岳信仰などに守られて来たともいえます。山岳地帯ですので、早朝の日の出を確認する事は出来ませんし、冬になれば、正午近辺の数時間しか太陽の観測チャンスはありません。そのため金山遺跡では、山の中腹に別な遺跡が発見されています。現時点では、それが名草地区のどこなのか発見されてはいませんが、調査が進めばいずれ発見されることと思います。もちろんそれには大前提があります………まだ現在は仮定の段階、いや残念ながらそれ以下かも知れません。

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