■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森191号

2008-06-30 | 101号~200号
       ■こならの森191号■2004.3発行
表紙 「内陸砂丘 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 内陸砂丘………………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

▽気候風土散策
 ちょっと珍しい
 「内陸砂丘」を訪ねる
 内陸砂丘という耳慣れない言葉を目にしたのは最近になってからだった。地理の授業でもいままでそんなことを習ったことはないように思う。
 平野部が少ない日本にとって内陸の砂丘は非常に珍しいものであるという。長良川や利根川流域などにしかその分布は無いという。特に、流域面積で日本一の利根川、そして広大な関東平野にはたくさんの砂丘が存在している。しかしながら、開発等で姿を消したものも多くあるという。
 日本で砂丘といえば鳥取砂丘が有名。それなりに「砂丘だ」と実感するが、サハラ砂漠と比べたらどうだろうか………今回は、そんな比率で考えていただけるとありがたい。
 内陸にも規模こそ違うが「砂丘」が存在する。確かにそう思うと、邑楽町から千代田町を抜けて、埼玉方面へいく時など、この先は海なのかな?とさえ思わせる、大ぶりの松林と丘が広がっている光景を目にしていた。
 鷲宮町にも同様なものがあり、「砂丘のまち鷲宮」とピーアールをしているくらいだ。存在が知られているものだけでもかなりの数になるという。興味のある方は、自然史博物館などを訪ねてみると面白い。
 邑楽町、千代田町、羽生市、大利根町、鷲宮町などは、暴れ川で有名な利根川がかつて流れていた地域だ。砂丘の分布をみていくと、利根川の河川改修の歴史や、遙か昔の流路の痕跡がわかる。そして、5万分の1くらいの地図をお持ちなら、利根川や旧利根川水系を中心に探してみると、「砂山」や、「古海」といった砂丘に関連するだろう地名が多く見つかる。

■志多見砂丘へ
向かってみた。
 羽生市の志多見砂丘は規模的にいっても、最大のもの。「さいたま川の博物館」のホームページによれば、埼玉県内の砂丘は羽生市から越谷市にかけてカ所あるという。丘の高さだけなら、大利根町にある原道砂丘(約メートル)の方が高いということだが、規模は志多見砂丘の方が大きい。長さ約2550メートル、最大幅250メートル、低地との差が約6メートル、砂丘列は5本あるということだ。
立て看板によると、自然環境保全地域に指定されている面積は約4・5ヘクタールあるという。
 少し前のこならの森で、砂丘の近くにある「むさしの村」を取材したときには思いもしなかったが、ここは「砂丘の中にある遊園地」なのだ。ただの平地林にとしか思っていなかったが、あらためて付近を散策すると、やはりここは「砂地の丘」だ。案内板などはないので、国道122号線と、125号線とが交わる下見交差点を目印にした方が良いだろう。国道125号線沿いの加須西中学校付近や、法務局の反対側に広がる松林を目印にあたりを散策してみると楽しい。これといった駐車場は見つからなかった。観光名所ではないから仕方がないが………。

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こならの森190号

2008-06-29 | 101号~200号
       ■こならの森190号■2004.2発行
表紙 「 三毳山」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 B級グルメ 大田焼きそば …6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

第1回 大田「呑龍 焼きそば」
■両毛五大麺紀行

上州太田呑龍焼きそば会

 焼きそばは、あまりにもポピュラーな食べ物で、学園祭や催し物、屋台などには無くてはならないものだ。実際に行事等でたくさん作ったことが誰しもあることだろう。フライ対決で取材した、行田市の「フライ」などは見た目には変形お好み焼きといったところで、どうしてこれが親しまれているのかは分からなかった。太田市の焼きそばも実際に食べてみるまでは半信半疑だった。しかし結論から先に行ってしまえば、太田市のものは、いわゆる「焼きそば」とは別な食べ物と言える。
 太田の焼きそばは「麺食」といわれるように、個性豊かで独自の工夫を凝らしていると言うことだ。今回は焼きそば一筋、焼きそば会の会長でもある岩崎屋(営業時間午前十一時~午後七時 火曜定休)へ行ってみた。
 創業四十六年。当時からこの味を維持しているという。味の秘訣は、同会会長の岩崎喜代次さん(才)によると、足利の月星ソースをベースに各種ブレンド、独自なものに仕上げているという。
 実際には見た目よりじつにあっさり、後味もすっきりとしているから不思議だ。
 基本的には、焼きそばがメインのお店。その他には、これまた上州名物の焼きまんじゅうがあるくらい。それだけに、小(200円)、中(300円)、大(400円)、特大(500円)、ダブル(800円)、1000円盛りなど量により各種ある。具は、キャベツだけ。そしておしるし程度に青のりが上に乗っているだけだ。麺は、うどんというより味は違うがそばに近い形でソースとのマッチングがいい。実に良くなじんでいる。このシンプルさがまたいいのかもしれない。なまじっか他の具があったのでは、麺の味が分からなくなる。普段何気なく食べている焼きそばを思ったら、大間違い。一度は食べてみる価値がある。
 太田市は製麺所の関係から全体的にこのような、太めんが主流だという。キャベツを主に、ジャガイモなどを使うところもあるという。あまりにもあっさりしていたのか、次にはしごをしたのだが、今では店を閉めているということだった。また、現在はあたらしい案内マップを制作中という。それから岩崎屋さんも近くに移転するということだ。
 焼きそば会の今後の予定では、スタンプラリーなどのイベントや、おみやげ用の乾麺なども計画しているという。
 両毛五大麺、なんだか奥が深そう。桐生のうどんと館林のうどんとはどう違うのか、興味津々、これからの取材をお楽しみに。
 もちろん、太田市の焼きそばの取材は今後とも続けていくつもりです。

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こならの森189号

2008-06-28 | 101号~200号
       ■こならの森189号■2004.1発行
表紙 「三重の塔 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 三重の塔……………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

■特集 冬こそ行きたい近くの旅  
 
  「三重塔を訪ねて」


 三重塔。これは私的にいえば、国宝的なものばかりだどばっかり思ってきました。京都にでも行かなければ一般的にはまず目にすることが出来ないものだと………。でも、よく考えてみれば、身近ところで岩舟山に三重塔がありますよね。知ってはいたのに、驚きでは無いですか。
 遠い昔には、母と一緒に山頂までのぼり、遠くに蒸気機関車が行くのを眺めたものです。少し前には、当時ホームスティをしていたテレンスと一緒に、のぼったのも新しい記憶でしょうか。少し太め?の彼が、山頂に車が止まっているのを見て、非常に怒っていたのを、今も思い出します。車でもこられないことはないけれど、階段を登ってこその、あるいは登ることに意義がある場所なのですから。

■行田市
 行田の三重の塔はいってみると木造、あたりまえなのだが、こうした建造物が消えずに現代
まで生き延びたのかという不思議にとらわれる。少し小ぶりなので塔というよりも古い木造建造物といった趣だ。装飾もあまりなく、いたってシンプル。本当に、恥ずかしながら、よく近くに寄ってみてみると、「本当に木造だ」と感動してしまった。というより木造の美、むきだしの木目、木の温もりがそのままに、表現されている。
 木造というと、どこかひ弱なイメージがあるが、千年以上の歴史のある法隆寺の塔をはじめとして地震で倒れた塔は歴史上一棟も無いのだという(雷の被害はあるらしい)。最近では、倒木にまきこまれての倒壊ということがあったが、これは塔そのものの欠陥によるものはない。
 薬師寺が再建されるという時に、ある建設会社の提案は、鉄筋だったそうだ。しかしながら、ある棟梁の進言により従来ながらの木造にて再建されたとか。
 多塔を見に行くのは、仏教的な意味合いではなく、構造的な異端さや建築美に共感するからです。それは、朝鮮半島を越えて日本に入ってきたときの事情とは全くかけ離れたものとなっているのでしょう。しかしながら、塔の歴史をひもといてみると、どうやらそうなってしまっても仕方がない理由があるようです。塔の原型は、もちろんお釈迦様の墓です。それは「ストゥーパ」という石造りの円墳で、塔でいうところの相輪といわれる天辺についている部分にあたるわけです。それが、インドから中国を経由するなかで楼閣建築と結びついて今の塔の形になったということです。相輪というとどこか飾り的なものだと、思ってきましたが、本来の意味からすると三重とか五重の部分が従で、主は相輪だったのです。「ストゥーパ」の「トゥ」にあたる部分が「塔(とう)」という漢字になるわけです。卒塔婆(ソットーバ)も同じ派生です。
 ある和尚さんが、塔の天辺の相輪は、下からでは見られない部分だが素晴らしい彫刻が施してある。昔の人は見えないところにも手を抜いていないのだ、と説教をされてことを思い出しますが、なんのことはない、それこそが本質なのですから、見えようが見えなかろうが最高の装飾を施すのはあたりまえなことなのです。その下の三重や、五重の塔にあたる部分はいわば飾り、それにしては凄い飾りがついている建築物です。
 歴史的にいうと塔は最初、直接お釈迦様を拝む寺院の中心的な存在だった。それが、仏像を拝むものへと変化して、やがてシンボル的なものに変わっていった。そして江戸時代にはいると、寺院の威厳や大工の腕を誇示するモニュメントとなった。現代でも、仏像は国宝級になると拝むものではなく鑑賞するもの、あるいは拝観料を取って見せるものになっています。

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こならの森188号

2008-06-27 | 101号~200号
       ■こならの森188号■2003.12発行
表紙 「 木遣り」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森1月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 近代化遺産  レンガ水門 …6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ


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【本文抜粋記事】

■特集 近代化遺産  
 
   「レンガ水門」

■残せば遺産、壊せばゴミ
 土木学会が発刊した「日本の近代土木遺産」には、現存する重要な土木構造物が2000収められている。栃木県内では36カ所。宇都宮市にある鬼怒橋などが、A級遺産とされている。アーチ状の開口部がある切石積みの橋脚ということだ。 興味深いのは、渡良瀬川にある橋(渡良瀬川橋梁)と似たデザインであることだ。(こならの森180号参照)昭和6年完成とあるが、渡良瀬川の橋はそれよりも古い時代のものだろうか。ランク付けは、ABCのうちのBとなっている。有名な足利市にある渡良瀬橋はCランクとなっているから、近代遺産度としては高い方だということだろう。そして、アメリカン・ブリッジ社という会社の製作だということも最近になって分かった。
 他の県では、茨城県がやや少なめである。そして、こならの森181号で紹介した「古レール橋群」も紹介されていた。今回紹介する、レンガ造り水門ももちろん多数紹介されている。今回の企画は、180号で渡良瀬川橋梁を特集したときにたまたま見つけたフカダソフトのホームページを参照している。どういう経過で、たどり着いたのかは記憶にないがネットサーフィン中に目に入ったのが、レンガ造りの水門である。フカダソフトは土木学会にも資料を提出している。「日本の近代土木遺産」の中にも出典として多数登場する。
 煉瓦造りの水門は、現存する数でいうと100基ほどだという。それも埼玉県に集中している。実際に作られた数は200基とか。その中でも保存?状態のいい物は数えるほどだ。さらに、優雅で趣のある意匠や構造的に工夫が凝らされた物といったら数えるほどになる。今回は、かなりの地点を取材したのだが、見つからないところも多くあった。
 今では、その機能を失い、装飾やお飾り、はたまた単なるお荷物や厄介者といった存在である。私個人の感動とは別に誰も見向きもしない存在が哀しい。それどころか、誰もその価値を知らないしその存在さえも分からない。
 現存する樋門で最も煉瓦使用数が多いのは、北河原用水元圦(1903年製造、19万個使用)。埼玉県史上最大の煉瓦樋門は、見沼代用水元圦(1906年製、66万個)現存せず。

■北河原用水元圦 行田市
 最初に訪れたのがこの水門だ。同じ所を何度もめぐり、やっとのことで探し出した。殆ど諦めかけていた。それもそのはず、新しく作られた河川や堤防などを念頭に置いて探していたのだから見つかるわけがない。発想を変えて、ひなびて忘れ去られた小川のごとき川や、昔ながらに蛇行した川に焦点をあわすと、おやっと思う場所に発見できた。しかし、それにしても汚い川だ。煉瓦水門は優雅でノスタルジーなのだが、ゴミと異臭のしそうな汚れた川にはまいってしまう。かといって保存整備されているのもヘンにきれい過ぎて文化遺産としての趣は………。

■永府門樋 吉見町 
 500年も前に作られたバイオリンは今が一番音が良いのだというが、煉瓦の遺構が輝きを放つのはいったいいつなのだろうか。
 そんな思いでむかってみると、本当にこじんまりとしていて湖水に浮かぶ古城のようでもある。どうしてこんなところに、こんなものが存在してこれたのかという不思議さが横切った。そこまで、探し求める時間が長いほどあえた感激はひとしおであることは、分かっている。
 あたりは昭和30年代の田園風景が残っていた。本当に不思議と昔にタイムスリップしたような、当たり前の光景なのに当たり前にみえない………(殆ど文章にはならい)光景だった。
 昔と今では景色も変わっているのだろうが、雰囲気は本当に昭和30年代だ。その空気感が違う、そして回りの景色さえも違って見えた。これは私だけの原風景かもしれない………
 具体的に言うと黒沢明監督の映画「夢」に出てくるような水車小屋の風景そのものだった。なんだか、遙か昔であるような、どこかにあるようで、懐かしいような、幻想的な世界だった。しかし、あまりにも当たり前すぎて、壊されるのもこれまたあたりまえ、というより現実と表裏一体といった自然ともいえる。
 先入観からすると煉瓦水門はどれも巨大な建造物に思えた。しかし、実際にみてみるとこじんまりとしていた、それもたんなる水門。実体験でいえば、子どもの頃によく釣りを楽しんだ格好の場所みたいな存在だ(実際にはこの感覚が重要なのだが)。こんなもので、水利とか水害とかを防御できたのか、あるいは制御していたのかと思うと、心細くなったりする。また当時の河川や放水路などの規模が小さかった、つまり大規模な河川改修以前の状態だったと思われる。レンガという当時のハイカラ、ハイテク建材を使って超工業的に作っているにもかかわらず、それはその土地の景観に完全にマッチし、動植物や水生生物の生育に何らの支障も与えなかったのであろう。いったいいつからそういった自然連鎖が変わってしまったのだろうか。
 そして、こうした昔の水門を探していくと、当時の川の流れや、川の広さ、高低差などがよみがえってくる。
 1940年代の重文級文化遺産も壊される時代に、そんなに有名でもない水門が壊されるのはそれほど時間がかからないだろう。第一、文化遺産として認識するふしはない? どこでもじゃまもの扱いであり、道路状況や区画整理などが入ればいとも簡単に、真っ先に始末される存在であるのだろう。今回の、近代遺産ランキングがいかほどの価値を持つのかは不明である。世界遺産のように、それに認定されたからと言って社会的に注目され、保存されるという根拠はない。逆に、ランキングでは削除されている項目も多い。

■千貫樋 さいたま市
 比較的簡単に探し出すことが出来た水門だ。町の真ん中に位置し、水門としての役名はもう終えている。そのためか、片方のトンネルは通路として使用されている。また、一部は新しいレンガの装飾が施されている。二連アーチはデザイン的に素晴らしいものがあり、佐野からだと少し遠くなるのだが、思い切っていってみた価値はあった。でも雰囲気は永府門には遠く及ばない。

■辯天門樋 行田市
 これも簡単に見つかった。広い幹線道路から直ぐ見えたからだ。でも、ゴミが凄くて雰囲気はいまいち。それにしても優雅なアーチ状のデザインは水門にしておくにはもったいないくらいだ。今回の企画はたんなる「水門」を扱っているのだが、アーチ状にするには高度な技術が必要で手間もかかる。構造的には必要のないことで、単なる装飾、デザインのためだけに労力が注がれている。それも、多くの人が利用し目に付く建物や橋でもないただのとるにたりない水門だ。利水的には必要なものだが、それ以外にも力が注がれているというのは驚きだ。材料費よりも人件費(労力)の方が遙かに安かった時代にしか出来ないある意味での贅沢かもしれない。

 ノスタルジー、懐かしいの「懐」という字はりっしんべんだが、つちへんにかえると「壊す」になる。レンガ水門はいつまでもノスタルジーのままでいて欲しいと願う。
 水門という小ささな近代化遺産ではあるが、大きな世界にまで達している。まだまだ、そうした遺産は多いに違いない。

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こならの森187号

2008-06-26 | 101号~200号
       ■こならの森187号■2003.11発行
表紙 「ピザコラボ 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集 美術館めぐり[ 葉山館 ]…6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

美術館めぐり
神奈川県立近代美術館
[ 葉山館 ]

■葉山といえば
 「葉山」という言葉を聞くと何を思い浮かべるのだろうか、人それぞれかもしれないが、ご用邸かもしれないし、葉山マリーナかもしれない。
 だがなんだかとても、響きが良いのはなぜだろう。そして、そこに神奈川県の近代美術館として3番目の美術館が今秋オープンした。神奈川県の近代美術館は、公立の近代美術館としては日本で初めてという歴史のあるもの。おのずと期待がもてる。
 なにごとにも雰囲気というのは大切だろう。それで言うならば、ここは本当に凄い。海を控えながら、背後には丘陵(山)が控えている。そばに海がなくて、ただ山があるだけならたんなる田舎の町なのかもしれないが、ここは違う。山と海が拮抗している。またその空間がいい雰囲気を醸し出している。
 箱根にある美術館は、その窓から望む富士山が一対の屏風か、掛け軸以上の機能を発揮する。ここ葉山でも、海と松並との取り合わせが、観覧に少々飽きてきた場所にポツリとある。時間美術(芸術)と空間美術(芸術)が一致する。これこそが究極の芸術なのかもしれない。
 建物は、光と影をうまく空間に利用している。ある意味、館林美術館にどことなくデザインコンセプトが似ているようにも思えた。これは、設計者や美術関係者が同じ考えだったのか、世代、現代がそういう流行のためなのかは、よく分からない。
 雰囲気は、最高だし、造り方(全体の配置)もよく考えられて出来ているが、目新しさはあまりない。現代美術といういわゆる一般には分かりにくいものを表現するためなのか、それとも官製だからなのか。
 ガラス張りの入り口、これは好感を持てるが中に入ってしまうと、どこの美術館にきたのか分からなくなる。ある意味、館林美術館にいると錯覚してしまっても不思議ではないだろう。実際には、館林美術館の方が地元びいきを差し引いても素晴らしいと思う。逆に地元の美術館がよく見えてしまうから不思議かも。誇っても良いのだ。あるいは地域差はないのかもしれない。
 実際に、館林美術館の特集や掲載されなかった分までの写真を屋よく見てみると、ある類似点を発見した。こならの森をお持ちの方は、表紙を含めて再度ご覧頂きたい。
 それにしても、葉山というネームバリューというのは大きいものだ。印象は、一言でいうと凄くコンパクト。そして、きれいで、清潔で、簡素である。そして、住んでみたくなる。そんな町である。
■近代美術はスキですか。
 展示品をどのように見せる、(展覧)するのかは、展示主体である美術館の大きな課題でもあるのだろう。建物が出来てしまえば、物理的には不可能な展示の方法も出てくる。
 しかしながら、よくよく見てみると「神奈川県立近代美術館」とある、「近代美術」だけを扱う美術館として県内3つ目。それと群馬県立美術館、館林館とを比較したらいけないのかもしれない。近代美術だけで3つも持っているのだから。
 近代美術と葉山とはどういう関係があるのか、あるいは先ほどもいったように知名度だけで建設したのかについては分からない。しかしながら、近代美術、近代絵画を観覧しながら普遍的な葉山の海が同じレベルで観覧できるところを見ると、それなにのコンセプトが存在しているのでは暗示させられる。
 あなたはどっちを好むのですか。どちらと波長があいますか。


神奈川県立近代美術館[葉山館]
〒240-0111神奈川県三浦郡葉山町一色2208番地の1
電話046-875-2800

(略)

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こならの森186号

2008-06-25 | 101号~200号
       ■こならの森186号■2003.10発行
表紙 「 カフェの写真」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
特集「カフェ」……………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

書評

ゆったりと生きよう
 ひろさちや 著
 PHP文庫 刊

 今はスローフードとかスローライフとか言う言葉が流行っています。スローライフ、それはゆっくりと生きようと言うことだと思います。あくせくそして忙しく毎日を送るのではなく、ゆっくりとそしてゆったりと生きることこそ、そこに人間らしい生き方があるのではないか。そのような考え方や思想、そして難しく言えば哲学があるのではないでしょうか。実は私も10年ほど前から同じような考えになっていました。ここで私は時代を年も先取りしていた、と主張している訳ではありません。それは年前に今回紹介する「ゆったりと生きよう」と言う本に出会い、えらく共鳴したからであります。今回紹介する本書は、ちょうど年前に第1版第1刷が発行されていますので、もしかしたら現在は絶版になってしまっているかも知れませんが、スローと言う言葉の先取りをしたような本ですので、あえてここで紹介させて頂きます。
 たいぶ前置きが長くなり、残された字数も少なくなりました。ここで内容の一部を紹介します。「―小欲知足(欲望を少なくし、わずかのもので満足すること)。が、いまのわたしたち日本人にとって、いちばんふさわしい仏教の教えではないだろうか・・・。」。これは私たち日本人ばかりではなく、先進国すべての人に言えることだと思います。人間の欲望は限りがなく、それに比べてこの地球は小さすぎます。あまりにも激しい人間の活動のために、この地球は傷つき地球環境問題や異常気象として私たち人類に襲いかかかってきております。この小欲知足こそ、これから未来に生きる私たちの哲学としなければならないのではないでしょうか。
 そう考えると現在大問題になっている日本の少子化もあながち悪いことでは無いように思っています。それがあまりにも急激に生じているのは問題ですが・・・。
 
       文・高田朱夏

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こならの森185号

2008-06-24 | 101号~200号
       ■こならの森185号■2003.9発行
表紙 「 霧ヶ峰高原」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森10月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
ドライブガイド「霧ヶ峰高原」」6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

風の独り言

おわら風の盆

ウィンズワールド山渓部 根本
 今、北陸自動車道の能ICを走行しています。まもなく富山市。八尾の町ももう直ぐです。
  又、今年もあの娘達に遭えます。抜けるような色白の美しい顔を菅笠に深深と隠し、派手な衣装を喪服の帯で締めて、音のせぬ、ゆるやかな踊りを見せてくれます。三味の低い調子に呼応する胡弓の旋律。甲高い歌い手の声。又、あの娘達に逢えます。
 11回目の八尾参り。初めて風の盆に出遭った時の感動は忘れられません。日本にこんなに静かな祭りがあるなんて、こんな夢のような空間がこの世にあるなんてと思いました。今、この「風の盆」が壊れかかっています。
 八尾の住民の皆さんの永い間の「風の盆」に対する労苦を思われます。祭りを守ることと来町する観光客の満足を考えることの板ばさみになっているような気がします。
 大勢の人が祭り見学に来過ぎているのです。23000人の住民に対し、230000人の見学客が押し寄せています。八尾の人達はこんなふうに解決を計りました。
 夜の12時までは観光客のための「風の盆」。午前0時からは住民のための「風の盆」、と考えて、12時までは徹底的に観光客にサービスしてくれました。どこの家でも玄関先に縁台を置いて誰でも座れるようにしてくれましたし、シャトルバスの発着所では、目の前で踊ってくれました。列車で来るお客様にはホームで一列になり踊りながら最終列車を見送ってくれました。僅かに10年前のことです。しかし今は、観光客が多すぎて縁台など置く余裕がありません。バスの発着所の近辺も踊りを披露するスペースが無くなってしまいました。駅のホームはもっとひどい状態で、人がホームから線路に落ちてしまう混雑ぶりで、踊りを見せてくれるなど夢のようです。
 これでは「風の盆」の情緒などありません。なぜこの様になってしまったのでしょうか。私は、私と同業の旅行業者のせいと思っています。八つ尾町では観光バスの制限をしていて、3日間で800台のバスにしか許可を与えていないのです。この程度なら、お祭りを十分楽しめる人数かと思うのです。(800台×40人=32000人)。しかし抽選に外れた旅行業者は、なんと富山駅で乗客を下ろし、列車を使って八尾に入ってきたのです(駅で3ツ目)。これだと競演会のチケットの心配もいらないし、高い駐車料(なんと30000円)もいらない。儲かればいいという考えです。祭りの維持など念頭にないようです。かくして町の人が考える予定客の10倍近い客が押し寄せることになってしまいました。しかも12時になっても帰らない。町の人達が楽しみにし、大事にしている夜流し町流しも思うように出来なくなってきています。同業として恥ずかしい話です。おわら風の盆は世界にも珍しい貴重な祭りです。日本の誇りです。同業の皆さん、貴重な日本の文化を守ろうではありませんあか。ルールを守って業務を遂行しようではありませんか。せっかく平和産業に従事しているのですから。


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こならの森184号

2008-06-22 | 101号~200号
       ■こならの森184号■2003.8発行
表紙 「 滝の写真」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「近隣情報」………………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

 「CHANTERELLE」の酒ディナー会
  清酒開華醸造元 第一酒造株式会社

 第一酒造株式会社(代表取締役 島田嘉内)は、このほどニューヨークの高級フレンチレストランにて行われた日本酒ディナー会に参加した。日本酒ディナー会が開催されたのは、いずれもニューヨークを代表するレストランである「CHANTERELLE」と「MARCH」。「CHANTERELLE」はレストラン評価誌として名高いZAGATのランキングにてニューヨーク第1位に輝く有名店であり、「MARCH」はフジTV「料理の鉄人」にも登場したシェフ、ウェイン・ニシュの店として有名だ。
 「CHANTERELLE」の酒ディナー会は本年で5回を数え、同社の参加は昨年に続いて2年目。ニューヨークを代表する高級フレンチレストランのコース料理10品と、それぞれの料理にあわせた日本酒10酒類が提供された。参加者は、ほとんどが現地アメリカ人。275ドル(約33,000円)という高い参加費にも関わらず、毎年参加を重ねている参加者も多い。参加者の一人は「これだけの料理とお酒は、なかなか味わえない。日本酒の繊細な味わいは、最近の繊細なフランス料理と非常に相性も良い。シェフとソムリエの作品でもあるこのディナー会に参加することを、とても楽しみにしている。」と語っている。
96年の全米6ヶ所での日本酒セミナーに参加し、昨年本年の日本酒ディナー会にも参加した同社専務取締役島田嘉紀によると「96年の試飲会ツアーがきっかけとなり、それまでの日本人や日本料理店での日本酒消費から、現地アメリカ人が経営する高級リカーストアやフレンチレストランでの日本酒消費への転換点となった。日本酒の輸出も、日本人向けが、日本の不景気による現地滞在員の引き上げなどで停滞となり減少するなか、アメリカ向けは非日本人向けが拡大し、増加している。」という。
 昨年の同時期には栃木県内の天鷹酒造株式会社(湯津上村)がニューヨーク:ジャパンソサエティーにて日本酒利き酒会を開催(酒輸出協会共催)するなど栃木県内の酒蔵は積極的なアメリカ進出をはたしている。ニューヨーク市内において、栃木の地酒は開華、天鷹、千禽(氏家町)、東力士(烏山町)の4銘柄を常時飲むことが可能である。
 国内では焼酎ブームや酒類の多様化などにより、全体出荷量の減少が続く日本酒だが、高品質の地酒は、文化性と共に、味わいの多様性や料理との好相性が再評価されつつある。先入観を持たない海外では、なおさらである。栃木県の地酒も、必ずしも国内で目立つ存在とは言い難いが、先入観を持たない海外では、その品質の素晴らしさがストレートに高く評価されているようだ。
■参 考
第一酒造ホームページ(www.sakekaika.co.jp)


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こならの森183号

2008-06-21 | 101号~200号
       ■こならの森183号■2003.7発行
表紙 「 田沼蓮の花」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「レンガつくりアーチ橋」………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

日本の近代化遺産
レンガ造りアーチ橋


■日本の近代化遺産
 180号に引き続き今回は、邑楽郡にあるレンガ造りトンネル(正確にはアーチ橋)を紹介。前号では今までのところ、佐野市内にはレンガ造りトンネルは一つしか確認できなかった。伊勢崎線には2つほどが現存しているというので、むかってみた。利根川を挟んでほぼ同位置にアーチ型トンネルがある。
 まず邑楽郡側の明和町へ。本当に土手の直ぐ間際にあった。複線化などにともなって増築された物であろう、西側の入り口はコンクリート造、東側は建築当時のレンガ造りである。直ぐ近くに、川俣事件発祥の地跡がある。川俣事件勃発は1900年。
 東武伊勢崎線は1902年に、加須-川俣間が開通しているので、このトンネルが作られた時期は事件とほぼ同時期である。もしかしたら、事件勃発時も職人がレンガを積んでいたかもしれない。そう思うと、当初の予定には無かったが立ち寄ってみたくなった(後述)。

■川を渡って反対側のトンネルへ。
 デザイン的には同じ造りであるが、邑楽郡側の方は、その上に遙か高くレンガパネルが張られていて巨大なトンネルのように見える。その前後の鉄道橋もレンガが使われている。直ぐ近くに、またもやレンガのトンネルを発見かとむかってみると、レプリカだった(葛西用水取り入れ口跡)残念。

■明治の貴婦人
 あらためて、富岡町のレンガトンネルを、見てみる。よくもまあ、こんなところに(失礼)日本の近代化遺産が存在する物だと感心してしまう。ひいき目ではあるが、今まで見てきたうちでも佐野のレンガ造りトンネル(アーチ橋)が一番優雅で気品があるようにも思う。レンガ造りトンネルの貴婦人だ。邑楽郡のものもそれなりに趣はあるのだが、少し大柄か。羽生市の物は、少し寂れていて朽ち果て乾燥したイメージだ。ペンキで落書きされている点もぞんざいに扱われているのだなと残念に思ってしまう。
 ■その他のレンガ造り構造物
 前回と今回の取材中には、トンネル以外のレンガ造り構造物を多く発見した。それから、こならの森168号で以前に紹介したレンガ造りの塀も気になりだした。そして、東武佐野線葛生駅近くにあるレンガ造りアーチ橋。よくよく見ると、同じレンガを使っているのではないのだろうかと思えるほど、色使いやら時代の趣などが似通って見える。
 今までなぜどうしてだろうと思われたことが、水系を念頭に置いて推測するといとも簡単につながってくる。百年前を考えると、今で言うところの高速道路よりも輸送能力や利便性があったとも思える。下りは水の流れという力を利用したエコ・エネルギー。動力などハナから付いていない。
 水運を利用した、レンガの運送が施工を容易にしたとも考えられる。ひとつ水系が違ってしまうと、その間、川と川とを何らかの方法、陸運などで運ばなければならない。今に置き換えると、新幹線で運んできた物をトラックに積み替えるほどの煩わしさと、同時に発生する経費であろうか。
 確かに館林でみたレンガ造りの塀。それから、加須市でみた我が町の文化遺産ともいえるレンガ造りの塀(こならの森168号参照)など、どれも利根川水系である。川という線でつながっている。
 葛生のレンガ造り眼鏡橋と富岡町のトンネルは同時代の物だと推測される。東武線の一連の架橋の延長線で制作された物だろう。つまり、コンクリート構造にレンガパネルを張り付けるという、近代的「エセ」レンガ造りのようには一見して思えないからである。年季の入ったレンガの枯れ方は、時代がかっている。
 それから佐野市富岡町のレンガ橋、葛生のレンガ造り眼鏡橋、そして邑楽郡のレンガ造りアーチ橋、いずれもお寺さんが近くにある。葛生眼鏡橋はお寺への架け橋でもある。ある意味では、当時豪華で最新鋭の技術だったレンガ造りは、参拝者に配慮した物だったということだろうか。
 そして特殊な存在としてのアーチ構造。その二つがかさなる先には何があるのか。次回は「レンガつづき」最終章。


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こならの森182号

2008-06-20 | 101号~200号
       ■こならの森182号■2003.6発行
表紙 「 麦秋」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森7月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「ゼリーフライ、イモフライ」…6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

編集後記
こならの森から

 ある首都圏散策ガイドブックを読んでいたら、渡良瀬遊水地のことが紹介されていた。周遊散策にはもってこいの場所である。だが、どういうところなのかを紹介する導入文にはて?と考えさせられるものがあった。
 「………遊水地とはいうが、本来の目的は、足尾銅山から渡良瀬川に流れ込んだ鉱毒を沈澱させることだった。完成は大正7(1918)年。(中略)谷中村を含むこの一帯が遊水地に選ばれたのは、足尾銅山鉱毒事件で、谷中村の反対運動が最も激しかったからだといわれている。」
 反対運動が顕著であったとしても立地条件があり遊水池はどこにもでもつくれるというわけではない。反対運動が先にあって一番激しいところを潰すために、あるいは見せしめのために水の下に沈めるということはどう考えてもおかし。
 専門家ではないので、詳しいことは分からないが、歴史講座などで聞いた話によれば、事実は逆で谷中村一帯は昔から豊かだったからこそ反社会的な行動が弱かった。つまりは潰しやすかった。実際には隣接する埼玉県の北川辺が最初の候補地なっているが、反対運動が強かっために難を逃れ次に栃木県の谷中村に計画されたという経過がある。結果的に谷中村では田中正造とともに最後まで壮絶な戦いが繰り広げられ、映画や小説になったので反対運動が一番強かったと思われても仕方ないが、「反対運動などすると遊水池にされてしまうぞ」と言わんばかりの教訓めいた表現は、あまりにも軽率すぎる。著者があまり調べもせず書いたにしろ、(ガイドブックだし歴史書ではないから仕方がないといえばそれまでだが)年代を含めて詳しく記述しているのであるならその裏をとるのが出版社に課せられた最低限の道理だろう。
 たぶん作者も悪気はけしてないのだろう。本を書く上でいろいろな文献を少しだけ参考にしていって混同しただけなのだろうと好意的、性善説的に思う。だが一番問題なのはその元になった文献はいったい何なのかということだ。その方が一番気がかりだ。そしてガイドブックを手に散策する田中正造を知らないひとたちにどれだけの真実が伝わったのだろうか。
 以上の意見は田中正造の地元であるから(それにしては、ちっぽけな「馬屋」一つ、守れないほどの存在でしかなく説得力は無いが)、より厳しい見方になってしまったのかもしれない。けして感情的になっているわけではないが、歴史というのは風化されやすく、なかなか正しく伝えられないものだと思う。後生の世でも田中正造は、義人でいられるのか。たんなる擬人・変人か。反体制とか、イデオロギーとかの枠の中に閉じこめられたままの人で終わるのか。それは、これからの私を含めた人々の行動にかかっているのだと思う。

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こならの森181号

2008-06-19 | 101号~200号
       ■こならの森181号■2003.5発行
表紙 「古レール橋 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森6月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「古レール橋」……………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】
古レール橋を見に行く

 昭和30年代のレトロブームというのはまだ続いているのだろうか。今回の企画は、昭和初期に建設された橋を追ってみた。古レール橋というのは、なんだか聞き慣れないのだが、身近に接する駅周辺では当たり前に見られるものである。ちょっと古い駅舎では、ホームの屋根の支柱などをよく見てみると、古レールが使われていたりする。それも、鉄鋼王と言われたカーネギーの会社製だったりするからビックリ。鉄道関係では、古くからリサイクルがなされているのだなと感心する。それもただ再利用しているだけではなく、立派に一つの独立した造形美を与えているあたりは、さすがだと言わざるをえない。

■3連の古レール橋
 単なる鉄橋というだけなら珍しくもなく、あまり興味を引かないのだが、それが使い古された鉄道のレールで出来ていると言われると、どんな作りなのかと見てみたくもなる。そこでさっそく取材開始。例によって、有名観光地でも無く、案内板や史跡案内などはいっさい無い(こんな取材ばっかし)こならの森流記事。それも無名の川や農業用水に架かる橋なので、あたりの風景は期待できない。ならばせめて菜の花や新緑の美しい頃にと晴れ間をねらって出かけてみた。行田市の押川に集中してあるというので、そこを目指す。後は川沿いに南下していく。これが一番分かりやすい。橋は川に架かっているものだから。
 途中の道筋に「おまけのコーナー」でも紹介する最初の石橋が出現した。当初、取材目的ではなかったものだが、調べていくと同じ年代に出来たものという。おまけが本題を食ったような形になった。余談だが、こういう場合撮影枚数に余裕のあるデジカメを導入して良かったと思う。駄作(ハードディスクゴミ)も多くなるが。
 それはともかくそれらしいと思われる橋にむかうが、そこで一番に出くわしたのはまたもや石橋(青柳橋)だった。
 さらに上流に目をやると、なにやら三連のアーチ橋が遠くに見えた。急いでむかってはみるが、川沿いに続く道というのは雑草が激しく生い茂る農耕道だった。しかたなく、途中から徒歩に。
 写真でもわかるように短い区間に古レールの橋が3つ続く。一番手前(上流側)の橋(水管橋)も三連であったならば、「三重連の3重アーチ橋」としてもっと有名になったかもしれない。そして不思議なのは、3つの橋とも(一つは水管橋だが)、その先に続く接続道路が無い。道路交通上においてはあまり意味のない橋でもあるのだ。
 それにしても3つの橋とも同じデザインではない。真ん中の橋が一番デザイン的にも優れており、原形をとどめているのだという。
 次の橋へむかう。実はこの橋は最初に見つけた橋でもある。(少々、順番などがややこしくなる)。そのためかレールの構造など詳しく写真に収めた。確かに、当たり前ではあるが鉄道のレールを加工してある橋だ。接合部分にはボルトが使われている。そして本来まっすぐであった鉄道のレールを工場内で工業的に加工しているという。どのくらいまで曲げても強度を確保できるものなのか、本来アーチ型は強度を確保できる構造なのかなどは、70年程を過ぎている現在の橋が実証しているようでもある。
 次にむかった橋は、何だか工場跡にあるようないわゆる廃墟、(廃橋)という感じで、あまりにも無惨な印象。接続する道も殆ど忘れ去られたよう。心なしか、重油のような臭いも漂ってきそうな雰囲気だった。
 そしてさらに下流へと向かう道筋に救いのように現れたのは、これまた石橋(堀切橋)だった。
 そして、今回の行程の最後に向かったのは、気分も一新の前屋敷橋。今までとは違った雰囲気だ。あたりの情景はちょっと違って都会的。橋を見に行くにもすれ違いの車のために立ち往生。写真を撮っている私も心狭し。しかし、アーチ構造が複雑に絡みある様は、橋の下からじっくりと眺めた方がよいと思う。


(略)

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こならの森180号

2008-06-18 | 101号~200号
       ■こならの森180号■2003.4発行
表紙 「渡良瀬川橋梁」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森5月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「幻のアーチ橋」…………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

 ヤンバル帝国化計画36

 毎度おなじみヤンバル帝国化計画でンす。3月のはじめ、朝刊各紙に「ロス疑惑の三浦被告に無罪確定」という見出しがならびました。20数年前、週刊誌の連載に端を発し、そのスキャンダラスな背景に加熱していった迫真のマスコミ取材、報道に釘付けになり、誰もが疑惑を確信していた当時、急先鋒のレポーターを相手に敢然と「マスコミ刑はいけない」とブラウン管から訴えたジャーナリストの筑紫哲也、また、よりにもよってナンパな深夜番組にゲスト出演していた三浦氏目当てで乱入(ヤラセ?)した同じレポーターを前に及び腰になりながらも「正義が勝つには時間がかかる」と言ってのけた青春の巨匠こと森田健作、一方、レポーターは卒業とばかりに半兵衛を決め込むくだんの(やっぱり)レポーター、そして逮捕後、見せしめのように居並ぶカメラの前を引き回した警察官の顔が浮かんできました。紙面から目を離し、フッと落ち着いたところでモーニング。最近、生きたまま腸までとどく乳酸菌が、悪玉菌や病原菌をやっつけて、おなかの中の平和を守り、虫歯やアトピーなどを防ぐというヨーグルトにこってます。ワタクシも毎日かかさず1個いただいでますが、特定保険用食品のマーク有無とほしい効能の乳酸菌を選ぶのがポイントだそうで、カスピ海ヨーグルトの培養(なんかキモチワル)もはじめました。《征服》
ほんのおしるしまで。
今回のおしるし・2

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こならの森179号

2008-06-17 | 101号~200号
       ■こならの森179号■2003.3発行
表紙 「彫刻の森 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
[花情報]……………………………6
「彫刻の小径」……………………8
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

風の独り言

「登山とトレッキングの旅」
登山とトレッキングの旅を創めました。
 弊社(ウィンズワールド)は創業40周年を迎えます。本年3月より、山渓部を新設し、本格的に登山とトレッキングの旅を主催することと致しました。新規事業の立ち上げの趣旨は次の通りです。
 山の遭難事故の9割が中高年登山者です。その内8割が未組織登山者(単独、またはご夫婦での入山)であると言われています。充分な装備を持たず、山の経験、知識に乏しく、体力の弱い中高年登山者が全国の山々でお怪我をしたり、その尊い命を失っています。
 弊社の山行ツァーにご参加頂くことにより、山の事故が少しでも減らすことが出来ればと考えております。私達は栃木県山岳連盟のご支援を受け、インストラクターの派遣と指導をお願いすることになりました。出来得る限り安全な登山を心がけていきたいと思っています。
 とは言え、山の事故は何時起こるかわかりません。自然の摂理により発生する事故も多々あります。そしてその責任はお客様の自己責任となる場合がほとんどです。その万が一の事故の補償を主催旅行保険と救援者費用保険(山岳保険)で賄うことと致しました。
 山渓部は未熟な事業部ですが、今後、安全登山の施策に万全を期し、美しい日本の山々を、山行の楽しさを十分に味わって頂けるよう全力で取り組んでいきたいと思います。
 皆様の暖かいご支援と、ツァーへのご参加を心よりお願い致します。


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こならの森178号

2008-06-16 | 101号~200号
       ■こならの森178号■2003.2発行
表紙 「 ラーメンとさきたま古墳群」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「ラーメン大紀行」………………6
さきたま古墳群……………………8
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

■ちょっとそこまで
さきたま古墳群

 今まで何度か近くを通り何かと気がかりだったところがここである。あまりにも近いところだったためか、たいしたことはないのだろうと思っていたが、多角的に考えてみると全く違った顔が見えてくる。それは縄文時代にまで遡る歴史の蓄積かもしれない。
 園内には最小の前方後円墳とうたわれる古墳があるが本当だろうか。それよりも小さな古墳を佐野市内で見ているし、こならの森でも特集の中で取り上げており、実際に現地へも行っている。もちろん佐野のその古墳がいつ、何年代の古墳であるかについてはよくわからないので、事実は不確かではあるが。
 こうした大規模な史跡は、やはり冬にいくのが一番良い。木々の葉が枯れ古墳が本来の姿に戻り、全貌が把握しやすい。
 余談だが古墳と言われても、小さな円墳などは、自力で作れないこともない。またそれよりも多少大きくなった前方後円墳でも、ある時間を費やせば出来ないほどではないと思う。自力で造れそうな古墳は多く見かけるが、100メートルを超えるものになると事情は少し違ってくるのだろう。
 大きな、円墳(実際には日本一大きいと言われる円墳がさきたま古墳群にはある)よりも小さな前方後円墳の方が素人目には意味があるようにも映って興味は尽きない。丸、円墳という発想はあまりにも単純で誰でも思いつきそうな事であるからだ。それなのに、一ひねりして後方墳を演出する(付け加える)発想はどうしたところから出てきたものか。いかなる考え、発想力の所作か。また、前方後円墳朝鮮オリジナル説が一時期話題になった。最近の調査では、前方後円墳ではないということ。やはり前方後円墳は日本独自のものなのだろうか。これも古代のロマンであろう。
 埼玉県の名前の由来のほんのはじめのはじめ、それはここなのだ。あたりは田園地帯である。よくもこうして残ったものだと不思議な思いもする。規模的にも、数の多さにおいても関東ではまれだろう。どうやら中央政権とつながりのあった豪族がこの地方一帯を支配していたようだ。
 道路を挟んだ、その反対側にも向かってみた。
 こちらはあまりにも生活に密着してしまった、あるいはとけ込んでしまったような気がする。古墳と言うより少し大きな築山か、公園のようでもある。これは湯津上村でみた古墳群のようであった。納屋の先や裏庭をかいくぐって古墳を見て回った記憶がよみがえる。
 さきたま古墳群は、運動場や大型公園、観光地化された施設といった整備の仕方なので、散策やウオーキングにはもってこいだ。事実多くのウオーカーとであった。犬の散歩などでは、回りきれないくらいだ。水をたたえた堀には鴨がたくさん集まっていた。ちょっと見たときには、なんだかわからなかったのだが。

(略)

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こならの森177号

2008-06-15 | 101号~200号
       ■こならの森177号■2003.1発行
表紙 「 ホトケノザとイヌフグリ」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「平地湖・八丁湖」………………6
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

平地湖? ウオーキングの楽園?
「八丁湖」ってこんな湖



■「八丁湖」
一番近い平地湖?

■白鳥の湖の謎?
 私は昔から地図を見るのが好きなのです。見ていて楽しいものです。一番楽しいのは新しい発見があるとき、あるいは珍しいものを見つけたときです。
 今回の八丁湖もその一つ、平野部に湖がある?という驚き。そこで、早速むかってみることに。
■謎の看板
 入り口には、白鳥の看板。これはいける? 白鳥も渡ってくるのか?多々良沼よりすごいのか????
 はじめは、どうせ「ため池」くらいなものに大げさに湖なんて名前を付けたんだろう、くらいにしか思っていなかったのだが………。(半分あたっていたが)。
 到着すると、「八丁湖」というなにやら大きな看板が目に入る。観光地にあるようなヤツだ。そして、車を降りると、小さいけれど湖らしい、といった印象を受ける。回りは小高い丘陵で覆われている。そこだけ見るなら高原にある湖そのままだ。車では通れないが、徒歩で回っていける散策道や展望台や休憩所もある。
 散歩やウオーキングをしている人もけっこういた。全部は回れなかったが、途中まで散策をする。
そして一羽だけだったが、水辺に白鳥の姿があった。鴨も何羽か泳いでいる姿が確認できる。しかし、どういう訳か水量が無く干上がった状態だった。もう少し、水かさがあれば又違った風景だったろうにと少々残念。
 休憩所の人に聞くと、どうやら工事の調査中で水を抜いているということだ。今は一羽ですが、真冬になるとさらに何羽か白鳥が飛来するのですか、と訪ねると、そうでは無いという返事。なんともう30年もここで飼われているものだということだ。最初はつがいであったともいう。吉見百穴で飼われていたものをここに移動したという。シラサギか何かの一種なのですかと聞くと、れっきとした白鳥、「コブハクチョウ」だという。帰りにまた例の看板を見たが、白鳥は2羽、まったく看板に偽りありだ。


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