国語屋稼業の戯言

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小論文「効率性と公平性」(経済学系統)

2021-09-20 16:12:00 | 国語


次の文章は、小塩隆士『高校生のための経済学入門』(ちくま新書、二〇〇二年)の一部である。〔ただし、省略もしくは表記を変更した箇所があります。〕文章をよく読んで、各設問に答えなさい。

設問一 所得再配分が政府の仕事として生まれる理由を二〇〇字以内で述べなさい。
(全体の二十五%)

設問二 経済成長のペースが落ち込んでいけば、効率性と公平性を追求できなくなる理由を二〇〇字以内で述べなさい。
(全体の二十五%)

設問三 本文章を読んだ上で、解答者である、あなた自身が考える「効率性と公平性の組み合わせ」について、五〇〇字以内で述べなさい。
(全体の五十%)



 「世の中は不平等より平等のほうがよい」という考え方は、もちろん程度の差こそあれ、私たちの頭の中にあります。この考え方を公平性(衡平性と書く場合もあります)の観点といいます。市場は、限られた資源を最も有効に活用するという効率性の点では高い点数が与えられますが、公平性の面ではあまり得点を稼ぐことはできません。
 だから、そこに政府の仕事がでてくるわけです。市場でのさまざまな経済活動の結果、得られた人から政府がいくらかを徴収し、残念ながら所得の低かった人にそれを再分配するという、所得再分配が政府の仕事として生まれます。所得再分配のためには、所得の高い人ほど税率を高めたり、所得の低い人は生活保護の対象にしたりする仕組みが考えられます。
 経済学者の中には、「能力」の違いによって発生した所得格差は是正する必要があるが、「努力」の違いによって発生した所得格差は是正する必要はない、と整理する人たちもいます。考え方としては一理ありますが、筆者は全面的には賛成しません。能力と努力は、そんなに簡単に区別できないからです(努力できるというのも能力の一つです)。また、市場は、個々人の努力の差を完全に正確に評価できるわけではありません。
 どちらにせよ、所得再配分の仕組みを機能させるためには強制力が必要です。高所得者の中には、低所得者のことを気の毒に思って自分の稼いだ所得の一部の自発的に寄付するという、慈愛心に満ちた人たちもいるにはいるでしょうが、すべての人がそうだとは限りません。有無を言わせず、お金を拠出させる必要があります。政府は税金という形で人々からお金を奪うことができる、唯一の合法的な組織です。
 ところが、政府に所得配分を担当させるとしても、どこまで所得再配分を進めるかという重要な問題が残っています。ここでは、両極端な考え方を紹介しましょう。
 一つは、まったく所得配分を行わなくていいという考え方です。世の中にどんなに貧乏人がいてもかまわない。その社会を全体として見た場合、人々が得た所得の総額が高ければ高いほど、その社会は幸せだと考えるわけです。一人の王様がいて、それ以外の国民が奴隷的地位にいてもかまわない。その社会は幸せだということになります。とにかく、社会全体の幸福の最大化が目指されます。これを功利主義的な考え方といいます。高校の「倫理」でも、功利主義という言葉は、ベンサム(J.bentham,1784-1832)というイギリスの思想家の名前と共に登場すると思います。
 もう一つは、世の中で最も所得の低い人の幸せによって、その社会全体の幸せの度合いが決定されるという考え方です。この考え方は、アメリカの政治哲学者ロールズ(J.Rawls,1921-2002)によって打ち立てられました。この考え方を援用すれば、所得はなるべく平等に分配されている状況が望ましいということになります。所得がどのように分配されているかという点に無頓着な功利主義的な発想とは一八〇度異なる考え方です。
私たちの公平性に対する考え方は、おそらくベンサム的(功利主義的)立場とロールズ的立場の中間に位置するでしょう。もちろん、人によって見方は違うでしょうし、具体的な名前は出しませんが、政党によってもどちらの立場に近いかという違いが出てきます。社会全体にとっての公平性についての認識は、その社会を構成する人々の平均的な考え方を反映するはずです。
 しかしどの程度公平性を追求するか―より現実的な問題としては、政府にどこまで所得再配分を行わせるか―という選択は、効率性との兼ね合いで考えなければなりません。例えば、公平性をあまりに極端に追求すればどうなるでしょうか。どんなに働いても税金という形で政府に稼いだお金を徴収されてしまい、みんな同じ給料になるということだと、誰も一生懸命働こうとしなくなります。社会全体の生産量は落ち込み、しかも、生産を上向かせようという誘因はどこからも出てこないので、品不足や闇取引が頻繁に起こります。かつての社会主義国が体制を維持できず、市場経済に移行したのも、公平性をあまりに追及し、効率性がおろそかになった結果と言えるでしょう。
 その一方で、効率性だけを極端に追求しても問題が出てきます。最近では、能力に応じて賃金を支払うという「能力主義」の風潮が高まってきました。がんばった分だけ給料が上がるからやる気がでてくる、それで会社の利益も高まるという点では、能力主義は確かに望ましい仕組みです。しかし、世の中には相対的に能力の劣る人もいます。がんばっても成果が上がらなかった人もいます。そうした人たちに「給料の低いのは、あなたの能力が低かったからだ」と言っておしまいという世の中は、はたして住みやすい社会でしょうか。企業の論理からすれば―あるいは広く市場の論理からすれば、と言ってもいいでしょうが―能力主義は理に適った仕組みではありますが、そこで発生する所得格差については、政府によるある程度の是正が必要だと私たちは考えるはずです。
 効率性と公平性、その一方だけを追求することは望ましくありませんし、そもそも不可能です。この両者は、一方を目指せば他方がおろそかになるという、トレードオフ(二律背反=一方を立てれば他方が立たず)の関係にあります。ただし、両者をどのように組み合わせるかという問いについては、経済学は残念ながら、誰もが納得できる回答を示すことはできません。「なんだ経済学なんてたいしたことないじゃないか」とおっしゃる読者も少なくないでしょう。しかし、世の中の議論を見ていると、どちらか一方に偏った議論ばかりが目立ちます。対立する議論の“交通整理”を行い、客観的に比較する枠組みを提示すること、これはやはり経済学の強みなのです。
 それでは、効率性と公平性の組み合わせはどのように決められるのでしょうか。結局のところ、その社会を構成する人たちの多数意見によって決まる、というしかありません。ただし、これまでの日本では、両者がトレードオフの関係にあるという点が、十分認識されていなかったように思われます。経済の効率を高め、経済成長を目指していけば、余分に生まれたお金で所得格差も解消できるという状況が続いたからです。しかし、これからはどうでしょうか。経済成長のペースが落ち込んでいけば、経済の効率性を高めていくことで公平性も追求できるという状況はなくなります。両者の間に成立するトレードオフの関係は、今後ますます明瞭になっていくでしょう。







解答例
設問一
所得再配分が必要な状況である不平等は能力の低い人と能力の高い人との間にできる所得格差が原因で出現する。不平等は一般に好ましくないと考えられているので、解決するために所得再配分を行うことになる。それを政府が行うのが適当な理由は、高所得の人の善意で自主的な再配分を全て行うのは難しいので、何かの強制力によって高所得者のお金を取ることが必要であり、それを合法的にできるのは、政府しかないからである。

設問二
効率性は、能力のある者に富が偏ることの要因であり、富の偏ることを避けようとする公平性と本来、対立するものである。しかし、経済の効率性を高めて経済成長ができている場合は、経済成長の結果、生まれた余分な富を活用して所得格差を是正することができる。これは効率性と公平性がある程度、同時に成立しているということになる。逆に言うと、経済成長のペースが落ちると、余分な富がなくなり、格差を是正することができなくなるのである。

設問三(解答A)
 「効率性と公平性の組み合わせ」を効果的にするために、再分配の負担者の意思を尊重することが必要だというのが私の考えである。
 高所得者は国家の強制力によって税金という形でお金を奪われてしまうが、その際、不満が大なり小なり発生することは間違いない。その不満感を減らさないと、高所得者は不満を持ち、働くことに損失感を感じ、効率性が下がってしまうだろう。
 そのために私は、再分配につながる諸団体に寄付をしたら税金の一部を控除する、あるいは、自分の支払った税金を使って欲しい分野をある程度指定できるようにすることで、再分配にお金を出している側の意思をいれるようにすべきだと考える。たとえば、農業を活性化するための団体やIT技術の普及団体などの寄付は失業率の改善につながるので、再分配として認められるものである。また、経済の苦しい地方へ税金を使うことを選んだり、年金の財源にできるようにすることを選んだりするのである。そうすれば、自分の思いの反映した再分配となり、自分の思いの反映した社会になるので、耐えられやすいはずである。

設問三(解答B)
 「効率性と公平性の組み合わせ」について、私が今、問題だと考えるのは、不課税所得の業種による不公平の問題である。給与所得者の把握率が自営者より高く、自営者の把握率より農業従事者の把握率の方が高いという現状があり、俗にクロヨンやトーゴーサンピンなどと言われている。同じ法体系にあって、業種が違うだけで公平性が異なることほど、公平性がないことはない。
 私は、この現状が望ましいとは思えないので、プライバシーの問題はあるものの、税の把握率を高めることにあると思う。ある種の背番号制やマイナンバーを徹底的に活用し、収入や支出を把握するのである。また、関連することとして消費税の免税事業者も廃止すべきであろう。
 これらによって、納税者の把握率はあがり、公平性は高まるだろう。もし、自営業者が厳しくなり、身近な店がなくなる、農業従事者がいなくなるなどの問題が起きたとしても、把握率があがることで税収は上昇するので、再配分を活用すればよいだろう。




※本文の引用は教育目的で行っていますが、問題がある場合は削除します。
※解答例は生徒が原則として書いたものを添削したものです。また、数年前の問題です。現状の経済と異なる場合があります。
※小塩隆士氏の『高校生のための経済学入門』(ちくま新書)は高校生だけでなく、経済学を専攻したことのない社会人にも必読書の書です。経済学というイメージがわかないが、重要なものだと感じている人は経済学が何をどう考えているかが、把握できると思います。また、無関心な人も経済学者が考えている問題意識を知るのも重要だとも思います。経済学を学んだうえで社会を動かしている人は多くいると思いますので。引用部分を見てお分かりの通り、非常に読みやすく、かつ、バランスよく書かれています。



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