国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

中高生のための内田樹(さま) その34

2019-04-02 11:00:01 | 中高生のための内田樹(さま)


次の文章を読んで後の問いに答えなさい。


(だって、)幸福に生きたいと思ったら、とりあえず、家族となごやかな関係をとりむすんでいることが必要だし、集団の中である程度敬意をもって遇されていることが必要だし、親しく信頼できる友人がいることが必要だし、抱きしめてくれる恋人が必要だし、通貨が安定していることが必要だし、国際関係が対話的であることが必要だし、エコシステムが維持されていることが必要だし……というふうに、ほんらいどんどん幸福の条件というのは外に向けて拡大してゆくはずのものでしょう。
 そうじゃないと幸福になれないから。だって、いくら親しい家族や恋人がいても、核戦争が始まったり、地球生態系が崩壊したら、もう幸福ではいられないんですから。
 ホッブスやロックが近代市民社会論を書いたときに近代の市民に対して「利己的にふるまう」ことも勧めたのは、人々が自分の幸福を利己的に追及すれば、結果的に必ず自分を含む共同体全体の福利を配慮しなければならなくなる、と考えたからです。利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望むはずだ、と考えたのです。だから、個人が利己的に行動して己の利益を最大化するべく努力をすることを共同体の基礎にしたのです。
 今問題になっているのは、そのような「ほんらいの利己主義」の意味が見失われている、ということではないでしょうか。
 利されているのは、「己」ではなく、「己」を構成するごく一部でしかない局所的快感や幻想的な欲望です。それが「己」の地位を占有し、独裁的な君主の地位にあります。そして、「己」を構成するほかの「局所的な要素」に向かって、全力をあげて、この狭溢なる「己」に「奉仕せよ」と命じているのです。
 「むかついて」人を殺す若者や一時的な享楽のために売春やドラッグに走る若者は「利己的」なのではありません。「己」が縮んでいるのです。「自己中心的」なのではありません。「自己」がほとんどなくなっているのです。
 ぼくが学生たちに言っているのは、「もっと利己的に行動しなさい」ということです。
 ここで言う「己」とは、瞬間的な劣情や怒りや憎しみのことではありません。もちろんそのようなものを含んでいますけれど、それ以外の無数のファクターを取り込んだ、開放的なシステムです。それをどうバランスよいしかたで立ち上げるか、それが一番たいせつなことなのです。
 でも。そのことをアナウンスする人は、ほんとうに驚くほど少ないのです。
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫)20頁


問い 「ほんとうに驚くほど少ない」のは何故か。具体的に述べなさい。











【解答】
本来、利己主義とは開放的で家族関係や友人関係から地球の生態系や国際関係までも含むはずなのに、大多数の人はその「己」を瞬間的で内面的な劣情や怒りや憎しみでできていると思っているから。



※「具体的」と設問にあるので例を入れられる場合は入れておくとよい。
※「驚くほど少ない」の説明として「本来+逆接+大多数」の形をとっている。





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