国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

やばい

2021-07-21 16:44:00 | 国語
「やばい」が多義語として用いられていることが話題になっている(※)し、自分も講義中で話題にしてきた。

「やばい」を善悪で使用することは日本語の伝統から外れたこととは言えない。言語そのものの伝統のせいかもしれないが、ここでは置く。

【いみじ】
動詞「忌む」が形容詞化した語。神聖・穢(ケガ)れであるから、決して触れてはならないと感じられる意。転じて、善悪とも極端に甚だしい意。
① はなはだしい。著しい。
② よい。すばらしい。
③ ひどい。恐ろしい。

まあ、古語を出さなくても現代語の「すごい」も同様の使用であり、「いみじ」「すごい」「やばい」が元はマイナスイメージであるところも共通している。素人考えではあるが、「やばい」を日本語の伝統から批判はしにくかもそれない。

ただ、私が「やばい」の使用を嫌うのが、使用者が不親切なのである。他者がいるときに、微妙な文脈で使うのは、望ましいとはいえないだろう。

例えば、カレーを食べているときに、「やばい」を「とてもおいしい」と「とても辛い」の意味で使用されたことがある。これは、わかりにくい。同じものを食べている友達同士ではわかっているようなのだが、違うものを食べている人間としては、蚊帳の外に置かれた気分だ。

身内に向けての言葉と他者に向けての言葉に差異を設けるのも日本語の伝統であろう。例えば、相手に応じた一人称の変化(僕、私、俺、あちき、拙者など)や敬語の使用(タメ口回避と言い換えてもいい)などである。
その観点から、わたしは「やばい」という言葉が苦手なのだろう。


と、なんとなく思った。

あと、さらに思い付きを書くと、単に語彙力がすくなくて多義語に頼っているように感じるからいやなのかも。
おいしさの表現が「やばい」だけだと、寂しいよね。




※2005年
コメント (2)
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