定年は荒野を目指す

Elderly be ambitious! おつりの人生楽しもう!

韓国に残る日本の城

2014-07-23 10:48:18 | 日記
すでに古い話題となってしまいましたがサッカーワールドカップ
もなんとなく意気消沈したまま終わってしまいました。

とはいうものの、さすがベスト16から決勝まで、見ごたえのあ
る試合が続きました。

決勝は10日ほど前の日本時間月曜日早朝、プサンから下関への
フェリーの中でテレビ観戦しました。

どういうわけか早朝下関港外で、入国管理が開くのを待っている
ときでしたが、間違いなく日本国内ですのに、船内の放送は韓国
KBSの放送でした。

当然解説は韓国語。スポーツのいいところは見ていれば解説が無
くても楽しめるところですね。
ドイツ、アルゼンチン、いい試合でした。

さて今回の韓国行きは、韓国南部の海岸線に残る日本の城を見学
する旅でした。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は今でも韓国では日本の侵略の歴史として、
小学校から教えられています。

しかしそのときの遺構が今でも残っているんですね。
今回はプサンから東北方向にあるウルサンという町に残る西生浦
倭城(ソセンプウェソン)という城跡を見学してきました。

日本の彦根城、伊予松山城などにも残っている「登り石垣」と呼
ばれる石垣がほぼ400年前のまま残っていました。
秀吉軍の加藤清正や黒田長政が、港付近に兵站受け入れのために
築いた城と言われ、全く日本式の山城です。

彦根城、伊予松山城など国内の城の築城技術にも、この韓国南部
の城の築城技術が使われたとのことです。

まさに日本古城を偲ばせる山城が海峡の向こうに残っていました。

現地では韓国の学芸員の方に説明していただきましたが、昨今の
日韓関係から、この遺構がいつまで残されるか、個人的な想いと
国の想いが交錯して複雑である、というお話がありました。

外国にある、しかも侵略の遺構ですので、壊されても当然と思い
ますが、城の研究をされている方にとっては、貴重な遺構ですの
で、なんとか残されてほしいと思いました。

韓国南部の海岸線には、東がこのウルサン、そしてプサンをはさ
んで西のスンチョンと言う町まで200キロぐらいあるでしょう
か。
その海岸線にまだ30か所もの日本の古城が残っているそうです。

それらをすべて巡って記録に残しておきたい想いが強くなりまし
た。


コメント
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